2016年11月の読書メーター

先月の読書メーターまとめです。
10冊2480ページでした。

読書メーター2016年11月

明らかに、読書メーターを始めて以来最低の数値です。
その理由は一つには、550ページくらいある英語の大著『The Simgular Univers』(+いくつかの未読了の学術書)を読んでいたことでしょうか。2ヶ月続けて300~500ページの洋書を登録しているというのは、そう多くないはずです。
逆に言うと、学術書に集中してこの程度のペースではとうてい満足はできませんが。
今後はもっと研究に本腰を入れ、洋書をもっとハイペースで登録できる……といいのですが。その一方でブログの更新がなければ、そういうものだと思ってください。

それと、最近読書メーターがリニューアルされました。
書き込みの反映が遅かったりと不便も多いのですが、まとめも少し変化したようで、月間読書冊数のグラフはまとめに入らなくなりました。今はまだ旧読書メーターも使えるので、そちらからグラフをダウンロードしましたが、それもやがて消えるかも知れません。

以下は抜粋です。


【小説】



失恋した女子高生・児嶋アリサのもとに哲学者ニーチェを名乗る男が現れる。以来、ニーチェをはじめキルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパースが現代の京都に現れ、哲学を教授してくれる日々が始まる…ニーチェの時には大胆に噛み砕きつつも外れてはいないという感覚だが、キルケゴールに至っては宗教的な部分を抜きにすると中身も失われた感が否めない。背景の異なる思考を伝える難しさよ。ただ、著者が自らの実存から、表面的な慰めでなく真の導きとして哲学を受け止めているのが伝わるのは好印象。読後感も良かった。


こういう「現代日本人に分かりやすい例で噛み砕いて説明された哲学解説」を見ると逆に、やっぱり西洋哲学には西洋的文脈が重要なのだなあ、と実感しますね。それはやはり一つには、キリスト教です。
キリスト教を厳しく批判して「神の死」を唱えたニーチェにせよ、独自の信仰の立場を確立しようとしたキルケゴールにせよ、どちらの方向についてもそれは言えます。が、やはりとりわけキルケゴールについては……という気がします。

……が、他方で、これが哲学解説書のコーナーに置かれているのではなく、(専門家ではない)「哲学ファン」を自称する著者の手によって書かれた小説である限り、これもいいのかな、とも思います。
著者が自分の人生の導きとして哲学を求め、自分の問題として受け止めていることがよく伝わる、それでいいではないでしょうか。
学問の題材として哲学書を読んでいるとかえって疎かにしがちなことだけに、なおさらです。

そもそも死者の魂が残って現世に帰ってくるという設定が彼らの哲学と相容れるのか、等という野暮なことも言いますまい(等と書いた時点で言ってしまっていますけれど)。




 (前巻のレビューを含む記事はこちら

現役中高生の相談に答える『読売中高生新聞』連載版の単行本化、これをもって今度こそ最終巻らしい。相談員は初期メンバーの3人のみ。ただ、書き下ろしの最終回を除いて1話4ページしかないため、あらぬ方向に話が転がって行くいつもの持ち味は弱め。毎回回答ページには別個のキャラ絵があり、あとがきにもイラストを使ってのネタありでイラストはやけに凝っている。随所にキャラのらしさも見られたので良しとするか。



【漫画】



 (前巻の記事

総大将ジシュカの裏切り、多くの女達も捕虜になり苦境のターボル軍。だが、娘を攫いにクマン人が街に潜入し、攫われたクローニャを助けるべくシャールカが動いたことから真冬の奇襲が始まる…多重の裏切り工作も成功し、最後は十字軍を国から追い出す勝利も戦争終結には至らず、さらに新たな内紛の影も。毎回不穏な影をちかつかせながら、それを振り払っての勝利を描いてきたが、どこで終局を迎えるのか…怖いながらも楽しみだ。女の戦いという点では、今回はクマン人の姫エドゥアとフランチェスカも、それに皇后バルバラの存在感も印象的だった。


今回、シャールカはついに親友を殺した犯人を知るのですが、それでもその相手を「憎む」方には向かいません。そもそも、敵に対しても憎しみで戦っている風ではありませんでした。けれども戦う力を欲し、優しくか弱い少女でありながらいくら傷付いても立ち上がる――そんな主人公シャールカの不思議な強さが魅力なのは、言うに及ばず。




『週刊文春』の連載、気になっていたがちゃんと単行本化されたか。前半は東京の漫画喫茶に泊まり込み、後半は伊豆の別荘での計3年間の生活を綴る日記漫画。行き逢った不快な人、変な人をしばしば怒りを交えて描くのはもはや芸風だが、後半は環境の変化により人が減って虫や齧歯類との戦いが増えていく。虫の擬人化が多かったのは人間の女性が足りないせいか。その中でも珍しく日記漫画でなかったナウシカネタには大笑い。場面に応じた絵の味の出し方も外さず、老練の味である。久々の単行本を読めて良かった。


ちなみにケース入りの装丁で判型は横長(短編綴じ)、表紙と裏表紙も漫画になっている――というか、普通に連載第1回が表紙に、最後の収録分である第150回が裏表紙に掲載されています。週刊連載150回でちょうど3年分。

前半はこんな感じでしばしば人と世間に怒りをぶつけ、

日々我人間7回

伊豆の別荘暮らしになった後半では、たとえば屋内に侵入するタイワンリスと戦ったりする日々(他にもムカデとの戦いが何話にも渡って続いたり)。

日々我人間87回
 (いずれもクリックで画像拡大されます)


【美術】



個人的にダリは昔から馴染み深い画家なので、こういうコンパクトな本に書かれることならばかなりのことは既知。ポイントは画家の著作も豊富に引用し、ダブル・イメージの指摘も親切な作品解説、それに様々な作風を模倣した初期から、夫婦仲も冷え切って不遇になった晩年までの包括的な記述だろうか。最盛期の細密描写を示すいくつかの拡大写真や、例外的に抽象的な遺作《ツバメの尾》の読み解きがあるのも良かった。



【科学】



相対性理論、量子力学、宇宙観の歴史、素粒子論、相対論と量子論の統一理論、熱力学、そして宇宙における人間の地位を題材とした7つの物理講義。「とくに中心的な」統一理論として超弦理論でなく自分の専門であるループ量子重力を挙げる辺りはこだわりか。ループ入門には手頃かも。反面、熱力学と時間については古典的な印象も。古典や歴史にも通暁した学識と簡素ながらも鋭さのある解説は流石。ただ、各項の説明は本当に初歩の初歩。ベストセラーとは裏を返せば、これだけ易しくないと売れないのか、と思わないでもない。


イタリアではジャンル別ではなく、全書籍でトップのベストセラーになり、「奇跡」と言われた一冊とのこと。それは凄いことです。
しかし、「売れる本とはこれくらい初歩的なもの」だというのを見せられた後だと、興味深い本を見るたび「でもこれじゃ売れるには専門的すぎるか……」と、自分と世間との落差を思い知らされそうです。
ちなみに、著者のロヴェッリは物理学者ですが、人文学にも豊富な教養を持つ人だとあとがきでも言われています。それは事実。しかしその面でも、本書に表れているのはほんの一端でしかないように思われます。何しろ、古代ギリシアの哲学者アナクシマンドロスに科学的思考の起源を見るという本を書いて、紀元前のミレトスの歴史を述べ、古典ギリシア語でアナクシマンドロスの断章を飲用したりしているのと見比べれば、分かります。




「単独の宇宙」「時間の包括的実在性」「数学の選択的実在論(反プラトニズム・反規約主義)」という三つのテーゼに基づき、部分を理解するための理論を全体へと延長する宇宙論的誤謬を乗り越え、宇宙全体を理解するための自然哲学を目指す、哲学者と物理学者の共著。哲学的時間論ではなく現代の物理学が直面する問題から時間の実在性を唱えるのが味噌。スモーリンの部がTime Rebornより専門的なのはともかく、アンガーの部は繰り返しが多くやや辛い。ただ数学の選択的実在論だけでも価値はあったか。とにかく重要な一冊なのは確か。



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ここ二週間ほどのこと

随分と長いあいだ、ご無沙汰してしまいました。なぜそうなったのか、という言い訳も今回の記事に含まれるのですが……

まず11月3日(祝日)、アルバイトで京都哲学会の手伝いに行ってまいりました。
ただ、看板などの案内に働いた後はほとんど受付で外に座っていたので、あまり忙しくない代わり、発表も聞けず。これが報酬の一環として懇親会にタダで参加できても先生方の話に入りにくい一因にもなりました。
なお報酬は5000円+懇親会への無料参加。1日で5000円ということは、1年間休みなしで働いて180万円のペース、最低賃金にも届きません。懇親会の食事代は本来ならばそこそこ高額なのでしょうが、タダでも一食は一食、食いだめができるわけでもありません。
研究者にとっては、学会参加自体は(分野が自分の関心に合っているならば)お金を払ってでもする価値のあるものですが、肝心の発表を聞けないならばその価値も激減。
他にいないので引き受けざるを得なかった手伝いですが、仕事としては微妙でした。目先の金に困っているならそれでもありがたいのかも知れませんが、残念ながら(?)今のところ金に困るところまでは来ていないので……

そもそもこの京都哲学会、京大の哲学において大変伝統のある会なのですが、今回は参加者もそれほど多くなく、懇親会に至ってはほぼ京大文学部の哲学系の先生方+アルバイト学生+発表者2人のうち1人だけというメンバーに。
そして、現在の責任者は前任者から、過去の発表者のリストもHPの管理方法も何も引き継いでおらず、HPで今年のプログラムを告知できなかったのもそのせいという衝撃の告白が。もはや実質別団体と化しています。

 ―――

翌4日(金曜)は演習に出た後、そのまま名古屋の実家に帰ることに。
というのも毎年恒例、母校である愛知県立芸術大学の芸術祭があるからです。
ただし、今年の芸術祭は(3日が祝日であるおかげで)3~5日という日程なので、4日夜に名古屋着の私が生けるのは最終日だけです。

去年は講義棟が改築工事中のため、講義棟の下に模擬店を出すことはできなかったのですが、今年はいつも通り、講義棟下の店舗復活です。
我が出身専攻の店も例年通りの場所で一安心。

芸術祭2016 (2)

ただ、今年は講義棟下が店舗で埋まっておらず、空きがありました。
こんなことは先例が思い当たらないのですが……その代わり、何もないところに屋根までデザインして建てている店舗が目立ったので、まあ出展者の希望の結果だったのでしょうか。

芸術祭2016 (3)

芸術祭2016 (4)

ただ、メニューに関しては気にかかることもありました。
たとえば、彫刻専攻の出している「大刻屋」など、かつては炊き込みご飯「大刻飯」が看板メニューだったのですが、数年前に保健所の指導で米を出すことが禁止になってからは麺になり、ついに今年はメインがお好み焼きになっていました。
日本画専攻の「ぽん」も、餅搗きが名物だったのですが、米の禁止により餅搗き廃止で切り餅になりました。
何十年も続いてきた伝統のメニューを保健所の一存でこんな風にすることが許されるのでしょうか。

さらなる問題は、米などというのは一番食中毒を起こしにくい食品で、禁止される理由がさっぱり分からない、ということです。
大学祭での主たる食中毒事件というと、名古屋大学のクレープ食中毒事件(2008年)がありましたが、クレープと米は関係ありませんし……
もう少し内容的にも時期的にも近いものというと、2010年に滋賀県K市の地区主催の餅搗き大会でノロウイルスによる食中毒が発生した、という一件でしょうか。
しかしこれも、まず指導すべきは手洗いの徹底であって、特に餅であったから、という話でしょうか。

これは保健所職員の医学知識の低下ではないか、「ゆとり世代」とかいって若い世代をバカにして「自分はまだ大丈夫だな」と安心するあまり勉強を怠っている間に、皆して知的水準が深刻なことになっているのではないか、と憂慮する次第です。
まあもちろん、保健所には医者がついているから、そんなことはないはずなのですが……しかしだったらなぜなのか、解せません。


展示ももちろん盛況ですが、撮影禁止のところも多いので。
そんな中、ちょっとユニークだったのは、講義棟内部のこれでしょうか。

芸術祭2016 (1)

廊下の真ん中に無意味な階段出現。

後は最大の見所と言ってもいいこれ、デザイン専攻の段ボール遊具。
今まで以上にたくさんの子供たちで盛況なのを見た気がします。
幼稚園児から小学校高学年まで年齢層も幅広く(兄弟で一緒に来ている場合、中学生くらいが混じる場合も)。

というか、大人も楽しみなくらいですから。回転遊具に乗った子供を転がすとか。

芸術祭2016 (7)

芸術祭2016 (5)

↓これは起き上がり小坊師のようなもの。一人で乗ろうとすると倒れてきますが、うまく乗って真ん中に体重をかければ大丈夫。
さらに複数人でバランスを取れば……ということでこんなに乗っても。
段ボールの強度に驚くばかりです。

芸術祭2016 (6)

 ―――

翌週は東京と関西にまたがって国際ベルクソンシンポジウムが開催されました。
私は10日木曜日には東京にも行って来ました。
シンポジウムは翌11日にもあったのですが、その日は大学の演習があるので、その日の夜には京都に帰ってきた……のですが、その帰りの道中辺りから体調が悪化。一時期は眠れないほど関節痛が酷いわ喉が荒れて声も出ないわで、大学は休むことにしました。そのために帰ってきたのに行かないとか、何とも噛み合いません。

12日土曜日は移動日で、13日日曜日に大阪大学で3日目が開催です。
2日間寝込んで療養した私は、13日には大阪に行ってきました。まだ咳はありましたが。17日現在で9割5分は回復といったところです。

↓こちらは去年のシンポジウム論集。今年の分も来年刊行される……んでしょうかね。



日本勢は研究者にはお馴染みのメンバーとして、海外勢ではまさにベルクソンの専門家としてカミーユ・リキエ氏が参加。彼の研究はさすがに大したものでした。
海外勢で昨年に続いての参加となったのはバリー・デイントン氏。彼を含め、今回のシンポジウムは分析哲学や脳神経科学といった他分野との比較参照にウェイトを置いていて、専門研究という点では色々と引っ掛かることもあります。しかし他方で、今まで英語圏では忘れ去られていたベルクソンを紹介する仕事は、尊敬すべきものでしょう。

 ―――

東京では国立新美術館のダリ展も観てきました。
まあ同じ展覧会は以前に京都市美術館でもやっていたので、その時に観ていれば良かったのですが、機会を逃したままで……

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2016年10月の読書メーター

先月の読書メーターまとめです。
22冊5156ページでした。

読書メーター2016年10月

大部分は漫画ですが、洋書を3冊読了できたのが成果でしょうか。
それがこのくらいのペースに留まっている原因とも言えます。

以下は抜粋。他の本は改めて取り上げるつもりがあるものもありますが、結局記事を書く余裕がないまま終わるかも知れません……


【ライトノベル】



 (前巻の記事

耳長族(いわゆるエルフ)の村に招待されたエルネアとミストラル。そこで登場する第三の嫁候補? は耳長族の幼女プリシア。そこに猫モドキのニーミアも加わり、前半は賑やかながら平和。後半、戦巫女ルイネイネのお使いの旅にエルネアが同行することになってから、ようやくバトル展開も。竜人族との揉め事は当然想定されたが、直接ミストラル絡みではなく背後にもっと大きな騒動がありそうな展開。そして、ここでも女性陣が協力してハーレムへの道を敷くことがハーレムの条件なのか。エルネアの着実な成長は描かれているが、多分道は遠い。


ハーレムについての論は他作品で展開したので割愛。
今巻の前半は新ヒロインとして耳長族の幼女プリシアを加えての割と平和な日々、後半は1巻から主人公に好意を寄せている様子の描かれていた戦巫女ルイセイネの意外な能力が判明、一気に重要な味方メンバーに浮上、と同時にミストラルと手を取り合ってハーレムルートという内容でした。
なお、勇者リステアの出番は一気に巻末付録エピソードのみに後退。




森川瑠璃は幼い頃から篠宮あさひに付きまとわれて迷惑していたが、ある時あさひと同級生4名と共に異世界に召喚される。そこでも疎まれて森に追放と不遇な目に遭う瑠璃だが、実は精霊達に好かれる「愛し子」であることが判明。そして何の因果か猫に変身する腕輪を嵌めて竜王の城で暮らすことに…。国をも滅ぼせるチート能力ゆえにかえってその制御に苦心し、考えなしに戦争を目論む弱小国を止められずに苦労する様が深刻だが楽しい。そして瑠璃と竜王の、互いに惹かれ合いながら猫になっていて正体に気付かないすれ違いの恋愛が本筋かな。


アリアンローズの新作です。
竜王ジェイドは女性としての瑠璃に惹かれながら、目の前の白猫の正体が彼女とはつゆ知らず、瑠璃も自分を探しているという男がジェイドとは知らず。
お互いに惹かれ合いながらすれ違う男女……はラブコメの基本でしょう。


【学術書(洋書)】



「言語に対してもっとも批判的な哲学者こそ、もっとも上手く書く哲学者である」―言語は持続を表現できないと批判するベルクソンは、それでも持続を表現すべくいかに言語を用いたのか。ソシュールとの比較からベルクソンの批判はランガージュよりむしろ「ラング」に該当すると論じ、後半はベルクソンの文体分析を通してその哲学者としての言語使用を解明。最初のカントやフッサールの時間論との比較はやや形式的で、そこがソシュールとの比較にも不安を感じさせるが、ベルクソンの言語論研究としては興味深いものの一つ。


まあ「誰それにおける○○」という、専門家以外は読まない「研究書」の典型ではありますが。




物理学はつねに永遠不変の法則を求め、時間を排除してきた。とりわけ時間を第四の空間軸として記述するニュートン以降は。だがその考え方を全宇宙に適用することはできないし、「なぜこの法則なのか」の問いにも答えられないと見なす著者は時間の実在性の復権と、その中で法則も進化してきたという「宇宙論的自然選択」を提唱。哲学的には共同研究者アンガーの影響らしいが、ベルクソンとも多くが呼応する。その上で物理学者として反証可能な仮説を立てており、実に興味深い。最後は時間の実在性から社会論にも結びつく辺り、やはりベルクソン的。


著者のリー・スモーリンは理論物理学者ですが、哲学の学識もあり、『迷走する物理学』では「科学とは何か」を考察して学界のあり方についても提言するなど、優れた教養の持ち主です。
本書はブラジル出身の哲学者ロベルト・マンガベイラ・アンガーとの共著である『The Singular Universe and the Reality of Time(単独の宇宙と時間の実在)』への導入編のような扱いとのこと。
「時間の哲学」と現代哲学の対話可能性という、私自身の関心事にも深く関わる内容で、非常に興味深い一冊でした。



H.G.ウェルズの『タイムマシン』で始まった「タイムトラベル」という新しい想像力の形、その原型から現在に至る展開まで。タイムトラベルSFの主要作品を取り上げつつ、哲学者による議論や物理学の関連トピックも絡めて話を展開。科学史ライターの著者が現実には不可能な話題で書くとは? と思ったが、この不可能事を人々がいかに(時に真面目に)論じてきたか分かって面白い。最新の作品や議論(最近読んだものも)への言及もあって良かった。ただ一般向け読み物故か、引用の正確な出典を示していないのが残念。


なぜか日本のAmazonだとハードカバーのISBNでKindle版のページに飛ぶ上、ハードカバーは来年発売予定になっているのですが……
なおカバーの右下には「A HIstory」とあり、アメリカのAmazon.comでは『Time Travel: A History』までがタイトルでした。『タイムトラベルの歴史』という感じでしょうか。
タイムトラベルという現実には実現されていないものの歴史とはこれいかに……と思いますが、もちろんタイムトラベルを巡る思考と言説の歴史です。日本語でこのタイトルの本が店頭にあったら……悩むところです。
普段から学術書ばかり読んでいると、小説表現の引用が多い本書のようなものはやや読みづらくはありますが、しかし面白いものでした。


読んだ本の詳細は追記にて。

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実行犯判明と、より大きな蜘蛛の巣と――『絡新婦の理』(漫画版)第3巻

またまたご無沙汰していました。
今回取り上げる作品は当然というべきかこちら、『絡新婦の理』コミカライズの第3巻です。



 (前巻の記事

各回の内容については概ね連載時に書いてきた通り。

 (連載時の記事:第11話 第12話 第13話 第14~15話 第16話

整理すると以下のようになります。

第11話:原作第6章(伊佐間パート)後半。刑事・木場修太郎が織作家の三女・葵から話を聞き、川島喜市の背景を突き止め始める。そして喜市の母親と思しき女性・石田芳江が住んでいたという小屋に向かうが、そこで次なる被害が……

第12~14話:原作第7章(美由紀パート)。美由紀は事件の真相に気づき始め、さらに学院を訪れた榎木津がさっそく殺人犯を指摘するが、ここでも新たな被害を止められず……

第15~16話:原作第8章(益田パート)。ここまでの顛末を京極堂に報告する益田。しかしそこに青木の報告が合わさると、同じ連続殺人の背景に別人による別の動機が見出されるという奇怪な事態が判明。「蜘蛛の巣」に喩えられる事件の複雑さと、真犯人「蜘蛛」の狡猾さが見えてきます。「自分が出て行っても同じだ」と事件解決には動こうとしなかった京極堂ですが、今川からの「織作家の呪いを解いて欲しい」という今川の依頼により、ついに腰を上げます。

かくして、今回は一つ一つの事件の実行犯が判明し、場合によっては捕まるという意味では「解決編」に入っているのですが、それぞれの事件には実行犯だけでなく様々な人間が関わっており、犯人を捕まえてもそれが次の段階の事件を呼ぶだけ、という構造も同時に露わになってきます。
ちょうど次の4巻(来年3月発売予定)で完結ということで、今巻が「転」で、ただ犯人を「捕まえる」だけでなく京極堂が背後関係を明らかにして締めるの次巻が「結」とも言えますが。

しかし、『魍魎』『狂骨』よりも原作のページ数は多いのに、コミカライズの巻数ではそれより少ない全4巻完結とは……
蘊蓄が端折り気味であったり、いくつかのやりとりが消えているなど圧縮を感じるのは、月刊連載という形式の都合もあったかもしれません(話しているだけの回がずっと続くことを避けたものか)。
ただ、掲載時の移動に当たっての(場合によっては早期終了も見据えた)様子見、そして最後はまたしても掲載誌の休刊と外的な事情が色々あったことですが分かっているだけに、やや残念な気はします。
いくぶんの圧縮を感じてもなお、素晴らしい出来のコミカライズではあるのですが……

そして、このコミカライズは原作の順番を入れ替えて美由紀編から始まったわけですが、最終巻も前半は美由紀パートの解決編となるわけで、(最後にこそ登場しないものの)最後まで彼女が主役の印象を残しそうです。
後、今回の表紙は木場。『コミック怪』時代はずっと京極堂だったのが、今作では京極堂、榎木津、木場と表紙のキャラを変えてきました。4巻は誰になるのでしょう。関口では冴えないだけでなく、今作でほとんど登場しない彼が表紙を飾るのも妙な木がしますが、はてさて……

また別の掲載誌を探して『鉄鼠』をコミカライズできるのか、それが気がかりです。
原作の順番(および作中の時系列)では先の『鉄鼠』がまだのせいで、たとえば今巻での敦子の「益田さん警察辞めちゃったんですか?」なんて台詞から二人に面識があることが分かっても、いつ会ってるのか不明なままなんですよね。

 ―――

そしてほぼ同時期に、コミカライズ第18話を掲載の『マガジンSPECIAL』も発売。



今回はセンターカラーです。

絡新婦の理第18話扉

ちょっと謎の扉絵ですが。

内容に関して言うと……こちらは「憑物落とし」のカタルシスが関わるだけに、なんだか余計に急ぎ足なのを感じてしまうところはありました。
『姑獲鳥の夏』など、それまで皆が信じていた現実を解体され、あまにも残酷な真相を突き付けられていく辛さがありありと伝わってきたのですが、それに比べるといささか弱いかな、と。

ただ、そろそろ解決編ということで、どうしてもネタバレを含むので詳しくは追記にて。

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なぜそんな話に帰着してしまう!?

グレッグ・イーガンと言えば、現代を代表するSF作家の一人です。
個人的には、とりわけ彼の短編には衝撃的なものが多かったのを覚えています。

たとえば「しあわせの理由」(同名の短編集に収録)は、少年時代に脳の腫瘍を治療すると同時に、まったく幸福感を感じられなくなってしまった青年の物語。
彼は幸福感を取り戻すため、脳内物質の操作による治療を受けるのですが、幸福も好みも脳内物質次第だとしたら、自分とは何なのか? という問いを投げかけてきます。



あるいは「ぼくになることを」(『祈りの海』収録)は、人格を含めた脳の機能を完全に複製する「宝石」を脳に埋め込むことが当然となった世界の物語。やがて老いて脳細胞が死んでいく脳から人格を完全に「宝石」に移し換えることで、不老不死すら達成できるのですが、やがて生体組織の組織を摘出して、すっかり宝石に入れ替わった時、それでも自分は自分なのか? という



このようにアイデンティティの問いに貫かれているイーガン作品ですが、今の私ならば、これはそもそも問いの立て方に問題があるのではないか、と問い返すこともできます。
つまり、そもそも人格を複製できるという前提から話しを始めるから、そういうことが問題になるのではないか、と。
しかし、仮に人格が物質としての脳の機能だと考えたところで、物質の状態ならば完全複製できるというのは本当か、ことはそれほど自明とは思えません。

それでも、イーガンの作品は強いインパクトを与える鋭さを持っていました。

――が、「祈りの海」(同名の短編集に収録)は正直なところ、つまらないと思いました。

「祈りの海」は、地球ではない異星が舞台です。
この短編の主題はつまるところ、宗教です。
舞台となる星の人間は皆、ある宗教的儀礼を行う習慣があります。その儀礼で喩えようもない多幸感を体験し、主人公を含む誰もが「これぞ神の御業」と信じていたわけですが、それがある時、微生物の分泌物による作用と判明。それじゃあ信じていたものは何だったのか、となるわけです。

……
この話は以下のような論法に基づいています。

(1) 多幸感を感じることから、その原因として神があるに違いないと考えていた。
(2) その多幸感が神なしで説明できると分かったならば、神は否定されるのではないか。

さらに突き詰めてみると、(1)のさらなる前提は結局、「多幸感のような一時的な心理状態こそ宗教の要であり、それを得ることこそ宗教的実践の目的である」というものでしょう。

が、考えてもみましょう。
たとえば、スポーツをすると疲れます。辛さもあります。しかし、達成感もあります。
では、疲れと達成感といった心理状態を脳内物質の操作によって再現できるようになれば、スポーツはもう必要なくなるのでしょうか。
スポーツ好きならば、そんなのはお話にならないと言うでしょう。
これは、「疲れと達成感」のような一時的な状態こそがスポーツの存在意義だと考える前提に問題があるからです。スポーツにおいて問題なのは過程です。その過程のあり方によって、様々な競技が分かれているのですから。
「祈りの海」の宗教観はこれと同じです。

そもそも、一時的な心理状態に限って言えば、いくら「神を体験した」と思ってもまやかしでもありうることは、古今の宗教家も説いてきたことではありますまいか。
「化学物質」という知識を挟んだところで事態に何の進展があるというのか、甚だ疑問です。

まあ、あらゆる宗教が一つの本質に合流するといえるほど、宗教が単純ではないのは事実。
一時的な状態を重視する宗教もあるかもしれません。
そして、宗教観が合おうが合うまいが、小説として面白いものはあります。

問題は――
「祈りの海」の主役の異星人たちは、地球人とは異なる独自の生態を持っています。何しろ、セックスすると男から女に性器が移って性別が入れ替わるのです。
そうした、独自の面白そうな設定がありながら、「その設定でこそできること」を掘り下げず、凡庸な問いを投げかけて終わり――これにがっかりしないでいることは難しいことでした。

イーガンの長編は2,3編しか読んでいませんが、同じような傾向を感じることがないではありませんでした。

何も問題はイーガンに限りません。
「その設定でこそできること」を活かさないで凡庸な問いに帰着してしまうのは、駄作の黄金パターンです。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
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