「国家百年の計」と「結果オーライ」

唐突ですが、集団的自衛権については、以前の記事で書いた考えは基本的には変わっていません。

今一度、具体的に考えてみましょう。

たとえば、ホルムズ海峡は中東産の原油を輸送する上での要衝です。
ではホルムズ海峡が封鎖された場合を想定するなら、どうすべきか。

どう考えたって、そんな危険を冒さねば輸送できない石油に頼らないのが、一番安全です。
そんなことを言ったって、多くのエネルギーを石油に頼っているのに、それをいきなりなくすわけにはいかないだろう、と言われるかも知れません。
それはそうです。
しかし、たとえ海峡封鎖で輸入ルートが断たれなくとも、現存するほとんどの油田の採掘量のピークはすでに超えています。これから既存の油田からの産出量は減る一方で、世界のエネルギー消費量はますます増えていくでしょう。
石油に限っても、産油国は中東だけではありません。日本近海にだってメタンハイドレートの埋蔵もあります。代替エネルギー戦略というのは、決して考えることのできないお話ではありません。

一気に石油への依存をゼロにすることはできませんが、徐々に切り替えを図ることは不可能事ではありません。問題は全か無かという話ではないのです。

余談ながら、私は夏の登山の帰りには富山県魚津市(8月には全日本大学女子野球選手権大会が開催される街でもあり、毎年そのポスターを見ます)に行って海の幸を食べていますけれど、まさにその街で水揚げされた海の幸でさえ値上がりしているらしく、店内には「原材料の値上がりにより~」云々という告知がありました。
最大の原因は、漁船の燃料費のようです。そりゃそうだ。
これは局所的な話ですが、大局的に見ても石油なんてこれから足りなくなる一方だろう、とは言えます。

さてその上で、やはりホルムズ海峡を通って輸入する石油にある程度までは頼らざるを得ないとなれば、どうするか。
紛争によってホルムズ海峡が封鎖される場合、一番の当事者は中東諸国なのは明らかです。
ならば、まずその「当事者」たる国との関係でどう動くか、が問題ではありますまいか。

さらに言えば、石油の問題は世界中の国々にとって重大事ですから、世界各国が利害において関わってきます。
そんな各国との関係において、我が国はどう振る舞うべきか、それが国防戦略というものでしょう。

しかし日本の場合は、「今まで以上にアメリカの軍事行動に従うことにしました。その一例としてホルムズ海峡が封鎖された場合の機雷除去作業があります」です。

これでは目的と手段が転倒していると言わざるを得ません(仮にそれ以上の考えがあるのなら、それをまともに説明できる人間がいないということで、別の意味で事態は深刻です)。

それでは、たとえ結果として取った選択が正しくとも、結果オーライに過ぎません。そこに国防戦略はありません。

ただ、これだけ目的と手段が転倒するからには、多分最初から「国防」以外のところに目標を置いているのだろうな、とは言えますが。
話はそれだけのことです。

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品格の問題

今日は後期授業の打ち上げでした。
学事暦の上ではまだ12月後半も、そして年明けも授業はあるはずだ、などということは深く気にしないように。

もっとも私は明日、思想文化研究会で発表予定です。
おそらく懇親会もあると思われます。2日続けてとなると飲み会費もバカにならないので、今日の二次会はパスしました。

 ~~~

さて、明後日は衆議院議員選挙ですが……
選挙公報で某候補者の欄を見て唖然としました(どこの党の候補かは言うまでもありません)。

 2年前の日本を思い出して下さい。円高・株安は止まらず、震災からの復興も進まず、「このままこの国は衰退してしまうんじゃないだろうか」という閉塞感に覆われていました。
 それを一掃したのが、総選挙での皆さんの選択でした。安倍総理の下、自公連立政権は日本に希望を取り戻しました。(……)


景気はともかく、「震災からの復興」がそんなに進んでいたとは寡聞にして知りませんでした(実は経済の方も、この直後に「元より、あれほど落ち込んでいた景気を一気に回復させる魔法はありません」と言い訳しているのですが……)。
いやいや、私が世事に疎いだけで、今や震災で家を失った人たちも復興した街で景気のいい暮らしをしているのでしょう。きっとそうなのでしょう。その割にはこの候補者は結局、景気の話しかしていませんが……

だいたい、家を失い土地を失い命を失った震災よりも先に「円高・株安は止まらず」と書き、そして原発事故のことには一言も触れない辺りに考えることの優先順位が見て取れるように思うのは、気のせいでしょうか。

そもそも、2年前の選挙でも「震災復興」が公約になっていた覚えがありませんが。
そんなことはことさらに言うまでもない、不言実行だったということでしょうか。
ええ、きっとそうなのでしょう。公言せずに復興を進めたのでしょう。慎ましいことです。
その割には事後の態度は押しつけがましいですが。

「2年前は大変だったけれど今は違います」という宣伝のダシに、今も大変なままのことを利用するのであれば、それは不謹慎ではないでしょうか。

同じことを東北の選挙区で、とりわけ福島で言えるのか、それが問題です。

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再・集団的自衛権考

ニュースを見ると相も変わらず、憲法解釈の変更によって集団的自衛権を認める云々という話が出ています。
何度か書いてきたことですが、ここで今一度考えてみましょう。

自国が他国の侵略を受けた際に戦う権利は「個別的自衛権」です。
集団的自衛権というのは、自国が直接危機に晒されていないにも関わらず外国の戦争に首を突っ込んで回る権利であって、要するに、傀儡政権国家を事実上の支配下に置いている国が、傀儡政権に不都合があった時に軍事介入するのに用いられます。
その意味で、集団的自衛権というのは「自国を守るために必要不可欠」なものでも、「独立国家なら持っていて当たり前の権利」でもありません。その点をまず確認しておきましょう。

日本はアメリカと日米安全保障条約(以下、「安保条約」)を結んでいます。
安保条約によればもちろん、日本には、自国に直接危機の及ばないような外国の紛争に介入する義務はありません。
他方でアメリカは、日本を侵略から守る義務があります。
このお陰で、日本はアメリカの「核の傘」の下で繁栄を享受してきました。

ではなぜ集団的自衛権が必要なのか――自国を守るためという範囲を超えて、海外紛争に介入することによる利権が欲しいのだ、というのは論外です。
自分が現場に行くわけでない方々としては、そういう本音をお持ちの方もいるかも知れませんが、それに付き合ってはいられません。

安保条約が締結された当時から情勢は大きく変わっている、いつまでも同じ体制に頼ってはいられない――というのならば、それなりの理があります。
そこで、今までよりももっと積極的に外国の戦争に付き合って回る必要がある、そうやって認められないと国を守れない、のだとしましょう。

ところが、そうやって付き合う相手がアメリカだとすると、それこそが戦後レジームなのです。
今まで以上にアメリカの戦争に付き合って回り、アメリカの軍事力を頼って国の安全を守り、アメリカの核の傘の下で反映を謳歌する――戦後レジームの強化そのものです。
(「日本が戦争に付き合ってくれる」ことによる利益と、「日本が余計なことをする」リスクとを秤にかけて、アメリカが賛成するかどうかはまた別問題ですが)

集団的自衛権の行使が可能=今までより軍事力を意のままにできる=対米独立、という図式は甚だ疑問です。

したがって、「戦後レジームからの脱却」と同時に「集団的自衛権の行使を認める」ことを主張する政治家が論理的に可能な道は、「アメリカ以外の国とも軍事同盟を結ぶ」ことになります。
では、その同盟国の候補としてどこを考えているのか。
そこまで指針を示すことができて、はじめて国防戦略と言えるのではないでしょうか。

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思考停止の再生産について

昨日は研究室の予餞会、つまり卒業・修了生を送り出す宴会でした。
もっとも、修士論文の試問はこれからだったりするのですが……
以前の大学では、試問までは卒業修了生と指導教官が一緒に食事をしてはいけないとかいうルールがあって、それが宴会日程にも影響していたような記憶がありますが、京大文学部では関係ないようです。
二次会まで参加していると例によって遅くなるので更新はお休みしました。

 ~~~

今回の話題は、先だって紹介した西田昌司氏『総理への直言』の引用から始めましょう。

 皮肉なことに、民主党の歴代代表というのは、学歴的には非常に優秀な方ばかりです。鳩山由紀夫氏は東京大学工学部出身です。菅直人氏は東京工業大学理学部出身、野田佳彦氏は早稲田大学政治経済学部出身、みんな素晴らしい学歴です。間違いなく戦後の優等生です。問題は、戦後の社会や教育環境の中では、戦後の価値を学べば学ほど、残念ながら、頭はスッカラカンになってしまうことです。その原因は、上辺の綺麗ごとしか見えなくなってしまうからです。世の中の本当の問題点を見ずに、ただ受験勉強をして、優秀な大学に行く。そして、優秀な大学を出て、様々な組織に入り、そういう人たちが社会のトップになる。そのような社会を戦後は作ってしまったのです。
 これは言い換えれば、思考停止社会なのです。戦後の価値観、枠組み、その矛盾を考えず、その価値観を肯定しさえすればどんどん出世ができるのです。政治の世界でも然りです。勿論民主党だけではなく、自民党も同じです。かつては、自民党でも当選回数を重ねれば自動的に大臣などの要職に就くこともできましたが、解釈の経営者も役人の世界でもそうなのです。
 つまり、戦後の価値の枠組みの中でしか、ものを考えない人が出世できる仕組みです。(……)
 (西田昌司『総理への直言』、イースト・プレス、2013、pp.119-120)


東大だけでも毎年約3000人が入学し、その大部分は卒業していくわけですが、それが皆本当に「頭はスッカラカン」なのか、「学歴的には非常に優秀」でありつつ、「戦後の価値観」に留まらないところで仕事をされている方はいないのか、といった疑問は当然生じますが、それはひとまず措いておきましょう。ある程度の例外が存在しても良いのでしょうし。

ここで西田氏が言っている「思考停止社会」とは明確に、「戦後の価値観、枠組み」を頭から信じて疑わず、そこで思考停止している事態を指しています。
さらに西田氏は、「戦後体制」(安倍晋三総理の表現では「戦後レジーム」)は「冷戦が前提の仕組み」(同書、p.99)であって、冷戦終了後が問題が噴出してきた、と述べています。つまり、かつてはある程度まで「戦後体制」「戦後の価値観」で上手く行っていたものの(もちろん、アメリカの属国として「上手くいく」ことを良しとしない考えもあるでしょうが)、状況に合わなくなってきた、というわけです。

では、戦後の価値観とは異なる、今の状況に合った価値観を頭から信じて疑わず、思考停止するのは、良いことなのでしょうか。

もちろん、西田氏はそんな、「別の方向に思考停止すべきだ」等と主張しているわけではありませんし、そんなことを言いたいわけではない、と好意的に解釈してもよいでしょう。
しかし、そういう風に考えてしまう人が存外多いのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、そうなければ、教科書問題とは一体何なのでしょうか。

「正しい」教科書はどうあるべきかという議論にかくもこだわること自体、教科書に書いてあることをそのまま子供たちの頭に流し込んで、盲信させるのが教育だ、と考えているからではないでしょうか。
それが良いのかどうかという以前に、そもそもそんなことが可能かどうか、という問いもないままに。

教科書が間違っているならば先生が授業で訂正すればよいのです。
逆に、もし仮に先生が「偏向教育」を行っている等という実態があるのなら、教科書を議論するのは無駄です。

もちろん、教科書を訂正するためには、先生に相応の教科の知識と能力が求められるでしょう。
しかし、教育改革論議の中で「先生の教科の能力を高める」という話が、どれだけなされているでしょうか。
先生のことを、漏斗のように生徒の頭に教科書の知識を流し込む存在だとでも考えているのなら、それはまさにその名に値する「教育」をまったく受けたことがないことを意味します。

公式の「正しい」知識を盲信させ、その枠組みの中でしかものを考えられない思考停止した人間を作りだすという前提のもと、その盲信させる内容をどちら向きにするかで揉めている、といった現実が、ありはしないでしょうか。
しかし、思考停止社会をこれ以上再生産して、どうするつもりなのでしょうか。

そして、ここでもう一歩問うことができます。“与えられた枠組みの中でしかものを考えない思考停止した人間を作りだす”ということ自体は「戦後の価値観」に含まれてはいないのか、と。
少なくともGHQの占領政策は、まさにそれを行ったはずです。占領政策がいかに強力なものであったかは、それを問題視する人ほど強調することです。
どこの国家でもやっていることだろう、と答えるならば、それこそ視野狭窄の感があります。なぜなら日本ほどにそれが成功している国が一般的だという人は、必ずしも多くないのですから。

結局、「いかにして戦後体制を脱した価値観を信じて疑わない国民を作るか」という議論そのものが、戦後体制の中に留まっている、という疑いがあるのです。

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タイトルから想像されるほど切れ味鋭くはないが…――『総理への直言』

すでに旧聞に属しているかも知れませんが、一色正春事件というのも覚えておいででしょうか。
2010年9月7日、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突して破損させた事件で、漁船の船長は逮捕されたのですが、「尖閣諸島は中国の領土」とする中国側が船長を日本の司法によって裁くことに対して抗議。那覇地検は船長を解放したのですが、当時の官房長官であった仙谷由人氏による指示があったというのが定説で、要するに仙石氏は中国におもねる外交に終始したということです。
しかしこの時、ハンドルネーム「sengoku38」を名乗った海上保安官・一色正春氏によって漁船衝突時の映像が You Tube に流出。一色氏は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検されたものの、結局起訴猶予処分となっており、そもそもこの衝突映像を本当に守秘義務の課せられる「機密」として扱えるのかどうかも疑問視されたままです。

さて、最近成立した特定秘密保護法が当時存在していたら、どうでしょうか。この衝突映像を「防衛に関する事項」を「ロ 防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報」として指定することができたのではないでしょうか。
少なくとも、比較的記憶に新しい「情報流出」事件がこの一色事件であり、この秘密保護法案の検討自体、一色事件を受けて始まった経緯があることを考えれば、このような事態を考えるのは理に適っているはずです。

つまり、某国におもねり、日本を某国の属国にしたい政権がそのために不利な情報を隠蔽するために、特定秘密保護法は役に立つということです。
確かに現安倍政権は中国・韓国に対しタカ派の態度を取っていますが、政権はいずれ交代し、法律はその後も存続します。たとえこれから政権交代のない世の中がやってきて安倍氏が生涯首相を続けたとしても、寿命は来ます。
そこまで考えた上で特定秘密保護法を指示するのかどうか、ということです。
法というのは、運用者が可能な限り「悪い」時でもできる限り安全なように設定しておくべきだと思います。

「さすがにもう二度と仙石のような奴を権力の座にはつけない。有権者はそこまでバカではない」――残念ながら、これほど説得力のない言葉もありません。

このように考えた時、現政権が一見正反対のようであっても、奇妙に前民主党政権を引き継いでいるように思われることがあります。
立場として民主党を支持するというのなら、誰にもその権利はありますけれど、民主党政権にお引取りを願った人、反中国の立場を示す人(安倍総理を含めて)がなぜこうも民主党の肩を持つのかは、まったく不思議なことです。

 ~~~

そんな話と多少は関係あるところで、久し振りに新書を取り上げてみましょうか。

総理への直言 (イースト新書)総理への直言 (イースト新書)
(2013/10/10)
西田昌司

商品詳細を見る

著者の名前は先だっての参議院議員選挙で京都選挙区の候補として見覚えがあったので手に取ってみました。
自民党議員である著者が、与党内から総理に「直言」するのか? と思い。

が、実際に読んでみると、本書のかなりの部分は先の民主党政権、あるいはもっと以前の小泉構造改革に対する批判です。
しかし、著者の批判することで現政権でも継続されていること、たとえばTPP参加はどう扱われているのでしょうか。第三章「TPPは売国条約」を見ると、最後に以下のようにあります。

 要するに、自分で自分の国を守るということを念頭に置いてさえいれば、TPP問題は解決できるものだと思います。逆に、これを念頭に置かずにTPPを論ずると、アメリカに身を売るという選択しかできなくなってしまうのです。これでは、民主党政権と同じ轍を踏むことになるのです。
 私の再三にわたるこうした指摘にもかかわらず、安倍総理は、TPP交渉参加を決断されました。しかし、条約を批准するためには、自民党内で議論した国益を守る基準をクリアしなければなりません。この基準を守れば日本にとって最悪の事態は回避できるはずです。交渉をしっかり見守ってゆきたいと思います。
 (西田昌司『総理への直言』、イースト・プレス、2013、p.95)


これだけです。

たしかに「解決できる」とか「この基準を守れば」といった言い方は、「決して参加してはいけない」と主張するものではないかも知れませんが、そもそも参加せねばならない理由があるという論も本書からは引き出せません。
「指摘にもかかわらず」という言からしても総理の方針に対して異議はありそうですが、著者が最初に議員になった時以来の師であるという安倍氏に気を遣っているのか、タイトルから期待されるほどに総理に対し真っ向意見してはいないような……

ただ、先の選挙で西田氏のTPPに関する公約は「国益守りぬく」という、他の項目に比べても著しく抽象的なものでしたが(国益を守るためにどうするかが問題なのです)これは氏自身の立場と党の方針との板挟みの結果だったのか、という推察はできるようになりました。


それでも、著者が党や安倍総理とは異なる自らの意見を提示している箇所はいくつもありますし、またそこには独自の筋が通ってもいます。
たとえば憲法改正に関しては、著者は(改正手続きを定めた)96条の改正を「邪道」と言います。

では著者の意見はというと、そもそも日本国憲法は「占領基本法」であってGHQによる占領が解けた時点で無効、本来は大日本帝国憲法が生きているべきである、というのです。
たしかに、サンフランシスコ講和条約は日本の「主権の回復」を謳っているわけですから、それ以前の日本には主権がない、すなわち一つの国家として認められていなかったわけです。
その状態で「国の最高法規」(第98条)たる憲法を定めることができるのか、というのは――「押し付け憲法」であるとかいう論とは別の次元で――法学的に問う価値のないことではありません。
とは言え、現実的に考えて、半世紀以上通用してきたものを今更無効にできるのか、というのは別問題ですが。

いずれにせよ、西田氏は現行憲法を認めた上で改正することには反対ですし、無効を主張してもただちに理解されていないことも認めています。ではどうするのかというと、憲法の条文はそのまま、解釈で補うという(割と一般的な)論になるのですが、しかしここで「現行憲法下でも集団的自衛権の行使は認められるという憲法解釈をすること」(『総理への直言』、p.143)のはよく分かりません。
氏は9条の条文を引いて、これは「戦争放棄ではなく、国防という国家主権の放棄を宣言するものであり、独立国家としてあり得ないことです」(同書、p.133)と述べていました。「国防という国家主権」は当然、個別的自衛権に属します。そこからなぜ集団的自衛権に話が飛ぶのでしょうか。
著者の中にどのような理があろうと、「集団的自衛権」とはどういうものでなぜ必要なのか、一切の説明を欠いてこの語が出てくることは事実です。

西田氏は平成に入って日本社会は「タガが外れ」、「戦後の価値の枠組みの中でしか、ものを考えない人が出世できる」「思考停止社会」に陥っていて(同書、pp117-120)、「同朋を守るためには自己犠牲も厭わないという自主防衛の道理を正面から論ずることから逃避」(p.214)していると主張し、本書はまず「国民への直言」(p.239)のつもりだ、と述べています。
「自主防衛」のためには個別的自衛権だけでなく集団的自衛権が必要だということは、「タガが外れ」「思考停止」した国民も説明を要さず理解できるほど、自明のことなのでしょうか。
そうだとしたら、理解できない私は不明を恥じるより他ありませんが。

といった不明点はあり、理念は明瞭でも政策としてどうすべきなのか判明でないことはもっと多いのですが、著者の議論は批判することに関しては明晰であり、また新自由主義批判といった立場もはっきりしています。
たとえば第1章「「JAL再生」神話のウソ」における、そもそもJALの破綻は国交省航空局の「オープンスカイ」政策の誤りにあるというのにその反省がないこと、経営再建に税金を注ぎ込んでいながら上場益を国民に還元せず、外国人株主に流しているのは詐欺であること、といった論はよく分かるものです。

いわゆる「戦後レジーム」というのは、アメリカの庇護下で国の独立を損なっていても経済的に繁栄しさえすればよい、という体制のことで、近年になってその問題点が噴出している、われわれが今生きているのは先祖あってのことであって、権利とはまず相続の権利であり、歴史観をもって国を引き継いでいかねばならない、といった主張も――賛否は色々あるでしょうが――筋は通っています。

その上でやはり気になるのは、そうした一貫した立場から場合によっては党や総裁の方針にも異議を唱える著者が――本人の言によれば、異議を唱えているのは党内でも著者のみということもあったとか――それでも自民党議員をやっているのはなぜか、ということです。
もちろん、政党は党の方針に従順な人ばかりで結成されるべき、とは限りません。党内に意見の多様性があり、批判者がいた方が良いということもあります。
その辺をもう少し明瞭に語ってくれれば、議員としての著者に期待したくなったかも知れません。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
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