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かつてない喪失に対処法は見えるのか――『戦うパン屋と機械じかけの看板娘 4』

今回取り上げるライトノベルはこちら、『戦うパン屋と機械じかけの看板娘』第4巻です。



 (前巻の記事

前巻ではパン屋として街の人たちに受け入れられていることをはっきりと示したルートの「トッカーブロート」。
祭りのシーズン到来でますます繁盛する一方、前巻での敵であった親衛隊のヒルデガルト中尉(相性ヒルダ、15歳のボクっ娘)が名誉挽回を期して、「人狼」と呼ばれたかつての工作員ハイドリゲ(敵国に亡命を企てたとのことで収監中)を連れだし、ルートを暗殺に訪れます。
しかし正体はあっさり見抜かれるのですが……ルートは何を思ったか、彼等をトッカーブロートで働かせることに。

という訳で、今回の主役はヒルダです。
敵キャラとしてはプライドが高く当たり散らすだけで無能な小物だった彼女ですが、没落貴族の家に生まれて、貴族家ならではの特異な差別に晒され、父親にも疎まれてきた背景が明かされます。
そんな中で、家名と地位だけに縋ってきた彼女の見出す自分の生き方と居場所……小物の敵キャラだと思っていた彼女にこういう救済が与えられるのは意外でもありますが、今回も良い出来でしたね。
そして、そこに「人狼」ハイドリゲの事情も絡めて描かれるのですが……

本作はこれまで毎回、トッカーブロートの経営拡大を図るも人材不足 → 事件解決により、助けた事件関係者が人材として仲間入り……という展開を繰り返してきました。
今回もそうかと思いきや……ラストで暗転する展開はなかなかに衝撃的でした。
希望を見せて暗転……も定番ではあるのですが、今まで3巻で定番展開を確立していたからこそ、それを覆す衝撃力。本作ではほぼはじめて名前ありキャラの「死」が描かれた、ということもあります。

しかも、このラストではルートとスヴェンの間も引き裂かれることになります。

合間には猟兵機やスヴェンたちを生み出した兵器開発局が親衛隊に襲撃されるという展開も描かれており、ただごとでない動きがあるのは示されていましたし、また本編は「何日」単位で進んでいくのに対して、兵器開発局襲撃は「何時間」単位で、時系列が一致していないことも分かっていましたが、両者がこう繋がってくるのか、という。
この構成は巧みです。

というわけで、今回は前後編で、次巻でルートたちが挽回に向かうと思われるのですが、注目は「AIの心は人間の心と異なり書き換え可能なのか」という点でしょう。
登場人物が記憶喪失に陥ったり、敵に洗脳されたりという展開はままありますが、そうした作品は一般に「記憶はなくなることはない、思い出せなくなるだけ」という病理学的見識に基づいています。
したがって、記憶を思い出すのを妨げたり、洗脳で植えつけられたものを打ち破れば、以前の記憶と人格は戻ってくる、というわけです。
(もちろん、魔法的なもので箪笥の中身を取り出すように記憶を取り出したりできる、という設定ならば話は変わってきますが。その場合は当然、展開もその設定に沿うことになります)

これに対して、コンピュータから消去されたデータは、本当になくなったのであって、もう戻ってきません。
いくらロボットが人間的な人格を備えていても、そういう意味で、記憶を奪われたり人格を書き換えられたりした場合の対処法は人間とは異なる――ということを明確に描いていた事例として、私の咄嗟に思い出せる限りだとたとえば漫画『マップス』がありました(大作SFの傑作です)。

本作の場合どうなのか――開発者ダイアンも見通してはいなかったほどに、スヴェンたちのAIは「人間的」なもの――主観的判断をする、時に命令や任務にも反する、情報を主にも秘匿する等――へと成長していたことが描かれています。ですから書き換えのような上からの制御でも、制御しきれない分分が生じても、不思議はありません。
しかし、だからといって全てが人間と同じになるとは限りません。やはり、書き換えは可能なのか、完全に書き換えられてしまったとしたら、いかにして対処すべきなのか……どちらに転んでも、楽しみなことです。


なお余談ながら、現実には目と髪の色で黒は優生なので、日本人と西洋人のハーフは基本的に黒髪、隔世遺伝で金髪の両親から黒髪が生まれることは、一般的にはないのですが……それもフィクションの世界では違うと言われれば、それまでですが。
ついでに、作中で「ロボット三原則」という言葉が登場しますけれど、現実との対応で言うと本作の作中年代は第一次世界大戦後あので、確実にアシモフによる三原則の定式化より前のはずです。
まあ、架空の世界、それも現実にロボットが存在している世界でとやかく言うことでもなく、同原作が別の形で成立した、でもいいのですが、「作中世界でのロボット三原則成立経緯」は多少気になるところです。



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大胆に逸脱するところ、それでも繰り返されるもの――『張り合わずにおとなしく人形を作ることにしました。 2』

今回取り上げる小説はこちら、アリアンローズから刊行の『張り合わずにおとなしく人形を作ることにしました。』第2巻です。

実は、前巻の記事を書いたことにより、作者の遠野九重氏から連絡をいただき、今回の2巻は献本もいただきました。ありがとうございます。



 (前巻の記事

本作は乙女ゲーム『ルーンナイトコンチェルト』の世界に悪役令嬢アルティリア・ウイスプとして転生した女性――前世の名は黒河透子――の物語です。
ゲームでは主人公を苛め、そして悲劇的な最期を迎える悪役令嬢に転生し、破滅を回避すべく奮闘する……というのは(今や「小説家になろう」系の女性向け作品にありふれた)悪役令嬢転生ものの王道設定ですが、本作の主人公はもはや、ゲームの舞台と大筋を辿りつつ自らの破滅に繋がるフラグを摘み取る、といった生き方をせず、もっと抜本的な回避を図ります。
今回、12歳になったアルティリアは、ゲームの舞台となる魔法学院行きを避けて、錬金術大国ルケミアへと海外留学してしまうのです。

これはゲーム知識をどう活かすかという考え方の問題でもあります。
ゲーム知識により、人物やこれから起こることについての予備知識があるならば、それを大きなアドバンテージとできるかも知れませんが、しかしまさに自分の振る舞いによってゲームの筋書きから遠ざかることによって、それも徐々に役立たなくなっていく可能性が高いでしょう。それに、細かいことを知って破滅フラグを回避しようとしても、大きなナガレには抗えない可能性もあるわけで、ならばいっそ最初から……という考えもあり得ます。
何より、本作のアルティリアは――前巻の時に引用したように――ゲームの主人公であるルトネと出会うことによって、意図せずともゲームと同じく彼女を苛めるように自分がなってしまうことを恐れています。
だから、大胆に舞台を離れるわけです。

結果として、1巻で登場した二人の攻略対象キャラ――エルスタットと「彷徨える伯爵」クリストフ・デュジェンヌも置いてけぼりで、今回はほとんど登場しないという暴走加減です(今後、また合流する布石はすでにありますが)。

そして、留学先のルケミアで彼女は、ゲームの攻略対象キャラの一人であった天才錬金術師フィルカ・ルイワス、それに転生して初めての友人といえる存在となる同年代の公爵家令嬢マレーネ・オルウィとも出会います。

とは言え、試練の神アスクラスアが陰謀を巡らせていることもあり、彼女の周りは相変わらずの波乱万丈。
ここでも国を揺るがす大騒動に巻き込まれます。

なお、WEB版とも九分九厘別物なので、もう細かく照応する余裕はありませんが、大まかにWEB版の第2部に対応している模様。

さて、本作の1巻はいきなり世界の最後に現れる終末竜の力でバトルするという少年漫画的な展開でした。
今回は敵がマスコミを使って情報戦を仕掛けてきたりと、謀略の色彩が強くなりますが、バトルアクションの要素が強いことに変わりはありません。

主人公は様々な男(彼女をこの世界に転生させた神を含む)にアプローチをかけられており、今回は記憶喪失という傷を抱えるフィルカとの交流もありますが、恋愛要素そのものは薄め。
それに、今回はアルティリアに友人が出来て、それが彼女の人形たちにも影響を与える展開もあるのですが、友人マレーネと交流する日常シーンも比較的あっさりしている印象を受けました。
まあこれは、同レーベルではそういう部分にもっと力を入れている作品を見てきたがゆえの相対的な評価という面もありますが。

かくして、一応ゲームのキャラは登場するものの、ゲームの舞台からは遠く離れてしまい、「これからゲームの設定・展開では……」等と考える展開もあまりなし(フィスカという人物個人に関しては「ゲームで登場した時にはこうなっていた」と「今後」のことを考えて接する場面がありますが)。
そもそも「乙女ゲーム」色が弱い……となると、本作は何なのか。

答えは私が聞きたいくらいですが、しかし示唆はありました。

 フィルカ・ルイワスは十二歳で錬金術の奥義に辿り着いている。
 しかしそこで目にした“何か”は人間の心にとって重すぎるものだったらしい。
「すべては繰り返されてるんだ! 抜け出さないといけないんだ!」
 彼は半年に渡って獣のように暴れ狂い――正気を取り戻した後、すべての記憶を失っていた。
 (遠野九重『張り合わずにおとなしく人形を作ることにしました。 2』、フロンティアワークス、2016、pp. 96-97)


「すべては繰り返されてる」と言えば、ただちにタイムループが連想されます。
そもそも透子を転生させた神アスアも、現在の敵であるアスクラスアの2000年後の姿で、未来から干渉しているというタイムパラドックスの要素がすでにあるのですから、ループが入ってもそれほど不思議なことはありますまい。

さらにルイワスの推測によれば、精霊は人間の魂の行く末であるとのことですが、アルティリアの人形に宿る精霊たちは人間だった時の記憶を持っておらず、真相は謎のままです。
ただ、今回一人の人形精霊に不穏な動きがあり、それも何やら重大な真相に関わっている模様。
「行く末」というのは、それこそループが一巡した「先」であるとしたら――

思えば、「ゲームの世界に転生する」話は数あれど、なぜそうなるのか、詳しいことは説明されない作品が多い中で、本作においては、元々この世界は存在していたのであって、その情報が現代日本の人間に伝わってゲーム『ルーンナイトコンチェルト』のモデルになった――という説明がありました(1巻pp. 76-77)。
しかも1巻では、(黒河透子の転生ではない)原作ゲームにおけるアルティリアの辿った運命とその内面を描く断章まで挿入されていました(2巻にはありませんでしたが)。
これがあくまで「ゲームでのストーリー」と考えると、ゲームの登場人物を内面を持ったものとして一人称で描くのは違和感があるのですが、これが「実際にあった、別の歴史」であれば、話は別です。
そして「別の歴史」とはパラレルワールド等も考えられますが、ループの前巡ということも――

総括すると、本作は「乙女ゲーム」という媒体の性格や「ゲームと現実のギャップ」をあまり強調していません。
それは、問題点がむしろ「ゲームと現実」ではなく、(どちらも現実の)「異なる複数の歴史」の関係にこそあるから、ではないでしょうか。
だとすれば、原作ルートを大胆に離れる主人公の行動により、歴史はどう変わるのか、それでも反復されるものは何か、ということが、今後徐々に見えてくるはずでしょう。

そこでカギを握るのは、やはりアルティリアの使役する人形の精霊たち、ということになりそうですが……
人形たちは可愛いですし、今回それぞれに変化や新たな動向を見せましたし、ある意味では彼等の動きが一番気になる、と言っていいかも知れません。

中でもサボテンくんが癒し。

張り合わずにおとなしく人形を作ることにしました2巻
 (同書、p. 2)

無口だったのが今回結構喋ったので、イメージが変わった部分もありますが……


果たして実情はどうなのか、これからの展開はどう転ぶのか、楽しみにさせていただきましょう。



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言葉と物、人為と自然の境の彼方で――『血翼王亡命譚I 祈刀のアルナ』

ブログの更新も休みがちで、何だかライトノベルを取り上げるのも随分と久し振りな気がしますが、今回取り上げるのはこちらの作品、第22回電撃小説大賞の「銀賞」受賞作です。
(そもそも、同賞の受賞作は先月から次々と発売されてはいるのですが、なかなか読めていません)



本作は独特な世界観のファンタジー作品です。
舞台は「赤燕の国(レポルガ)、主人公は王女アルナリスの護武官に就任することが決まった少年ユウファ=ガルーテンですが、実は彼はこの就任以前からアルナリス王女と密かな付き合いがありました。
そして、新たな王女と護武官の就任に当たって、供もなしで森に入って「迎燕(ぎょうえん)の儀」を行うことになるのですが、その途中で謎の襲撃。襲撃犯の中に潜んでいた味方だという少女イルナを加えて、二頭の軍犬を連れ、逃避行に入ります。
誰が味方で誰が敵か、黒幕は誰なのか……という手に汗握る展開、そして彼等の関係の行く末――

一つのポイントは、この世界では王族は言葉を喋ることを禁じられており、王族同士が会話する時に用いる「手語」をユウファもアルナリスから教わっている、ということ。
言葉を禁じられた少女と、一人の少年の特権的な関係と、しかしそこにあったすれ違いの結末は、悲しくも美しいものでした。

こうした人間ドラマについてはこれ以上細々と語っても仕方がないとして、本作の大きな特徴は、その特異な世界観です。
王族が話すことを禁じられているというのは序の口、この世界では犬は人を乗せられる大きな生き物であり、鳥と猫は喋り(本来、王族が下々の者に語る時には筆記をお付きの「王鳥」が読み上げます)、そして人はみんな鳥・猫・蛇のいずれかの血が入っており(耳とか尻尾とか鱗などの特徴が出ます)、また伝書鳩のような通信手段として虫が使われています。

さらに重要な設定が「言血(げんけつ)です。
これは最初、ユウファが「燕舞(えんぶ)という武の演舞のようなものを舞う場面で「指から手首、手首から肩口へ、言血を渡して体幹に繋ぐ」といった表現で出てくるので、「気」のようなものであることが窺えますが、それだけでなく、「言」と名にある通りの言葉や心に直結する内容を持ったもので、他者(他種族であっても)と言血を通わせれば相手の気持ちや記憶を知ることもでき、また相手に影響を与えることで犬の調伏なども可能です。また、「血」の名の通り、生き物の血に宿るものでもあります。さらに、これは決して抽象的なものではなく、固体や液体の形で現れることもあります。
まさに言葉であるものが同時に具体的なものとして、とりわけ生命を司り、また王族は「王歌」で人の傷を癒すなど他のものに働きかけることができる……という設定を見れば、王族が言葉を禁じられている理由も察せられるでしょう。
本作が描くのは、まさに神が「光あれ」と呼びかければ光があった如く、言葉と事物が一つの神話的世界であり、その言葉=事物を操る力がとりわけ王に帰せられている世界です。

 大君は 神にしませば 真木の立つ 荒山中に 海をなすかも (『万葉集』)

そして、こうしたことの多くは作中人物の視点から、周知のこととしてさほどの説明無く語られます(もちろん、主人公が知らないことについて説明が入ることもありますが)。
それが「これが当然の世界」を印象付けるのであり、また言血という様々な現れをするものに関しても、その中での様々な用例を見ていくことによって、徐々に分かってくるのです。ちょうど現実において、「空気」というのが周囲の至るところのある気体を指す意味でも、また心理的な意味でも使われ、われわれはそれを不思議に思わないばかりか、なぜかと言われても咄嗟に説明できないように。
(ただし、私はあまりにも外国語のテキストを読むのに慣れているので、こういう時には外国語を読むつもりで、用例から意味を探り出そうとするのですが、それに馴染まない読者もいることは否定できないでしょう)

まあ叙述方法はともかく、ここまでは、そこまで驚くことではないと思われるかも知れません。
人間以外の種族が喋り、人間と共に社会を築いていることなど、ファンタジーではよくある設定ではないか、と。
それはそうですが、本作にはさらに、驚くに値する設定があります。
この世界の人間は、母胎から生まれるのではなく、壺の中で作られるのです。
これでは、まるで全人類が人造人間であるようなものではありませんか。

あるいはこれは、人が語る言葉と事物が一つである世界の延長で、生命がそのまま人為でありえることの現れなのかも知れませんが、私がこの点を気にするのは、1ヶ月先行して『電撃文庫MAGAZINE』Vol. 48に掲載されていた短編の影響もあります。
本編では、この人間の生まれ方に関する設定は中盤になって語られますが、この短編ではすでにこの設定が語られており、しかも「他の動物は親から生まれるのに、人間はなぜ」という問いがはっきり提示されていました。
さらに本編では近い箇所で、他にも人工生命は存在することが明かされており(これは多くの登場人物も知らなかったこと)、「生命が人工でありうる」という設定は、この世界の成り立ちのカギを握る重大事であるように思われたのです。

もしここで、「この世界はいかにして生まれ、成り立っているのか」という話になれば、それは昨年の『バリアクラッカー』を思わせますが、そうはなりませんでした。
そして、それとは別の形でこの設定が活かされたかというと、いささか疑問です。

そもそも、特異な設定を「そういうもの」として提示しつつ、ストーリーに活かすというのは、かなりの難事業です。
提示できる情報量には限度があるので、世界観に凝りすぎるとストーリーが手薄になりがち、ましてや両者を有機的に結び付けるのは……

ただし気になるのは、――電撃文庫の新人賞作品にしてはかなり珍しいことに――本作は「I」と巻数が表記されていることです。
内容的には、むしろこの1冊で綺麗に完結しているように思われるにもかかわらず。
詳しく言うとネタバレになりますが、これだけスパッと結末を付けてしまって、続くものだろうか、と。

しかし、続巻が出るのであれば、この世界観がポイントになってくるのかも知れません。
この世界の成り立ちを解き明かす――という方向に向かうかどうかはともかく、この世界ならではの、死生観そのものが全く違ってくるような場面を活かしていくという可能性は、ありかも知れません。
そこにおいては、おそらく「別れ」の意味も変わってくるでしょうから。

なおストーリーに関しては、ユウファの師匠に関するネタはいささか強引さを感じ、いささか設定と話に馴染んでいない感もありましたが、まあいいでしょう。
続くとしたらどうなるのか、で随分と評価が変わってきそうな気はしますが、筆力は確かなものが感じられた作品でした。



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金のために何を懸けるか?――『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』

今回取り上げる小説はこちら、『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』です。
読書メーターの献本に当選して、いただいた1冊です。(余談ながら、今回の当選はまったく偶然ではあるものの、同時期に宝島社からの他の献本も重なり、宝島社の本を一気に4冊も献本をいただく結果となってしまいました)



第14回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作とありますが、この賞も『このライトノベルがすごい!』大賞と同じく、宝島社が刊行しているムックの名を冠した新人賞です。
なお投稿規定を見ると、募集対象は「エンターテインメントを第一義の目的とした広義のミステリー」とあります。この「広義の」が味噌であって、つまりはミステリ要素は限りなく希薄でも構わないようです。
本作もその例に漏れないように思われます。

本作のヒロインは、依頼人から元手を預かっての株式投資で莫大な金を稼ぎ出し「黒女神」と呼ばれている女性・二礼茜(にれい あかね)
主人公の百瀬良太(ももせ りょうた)は、銀行員から転進して石川県庁の金融相談員として働いていた人物ですが、兄の会社が資金調達のため茜を頼ったのがきっかけで、彼女の助手(といっても、金融取引の仕事そのものを手伝うわけではありませんが)として彼女の仕事に付き合うことになります。

プロローグでは繊維工場を経営する良太の兄、第1章では老舗和菓子屋の社長、第2章では死んだ大物歌手の父親……といった依頼人と、それに対する茜の仕事ぶりを通して、お金を巡る様々な人間模様が描かれます。
第3章では、政治家として立候補を目指す元官僚と、取り締まりが厳しくなる中で足を洗おうとするヤクザの話が交差。
第4章は東京に舞台を変えて、日本の産業の命運に関わる企業の買収問題に、茜自身の今後のことも関わってきます。

それぞれの依頼人の話を中心にした短編連作のようにして話を進めつつ、最後は茜自身のことに関わる……というのは構成としては王道でしょう。
なお、無許可で信託投資を行っている茜の正体と、彼女を「追っている」良太の上司・秀島……といった謎の要素も少しはあるのですが、答えはさらっと上から説明されており、謎解き要素は希薄です。

本書の巻末には4人の審査員による第14回『このミステリーがすごい!』大賞の選評も収録されていますが、やはり誰もが気にかけるのは、株式投資において圧倒的な勝率を誇る茜の超人ぶりでした。
実際、これはいささか非現実的ですし、それゆえに――終盤は不調でかなりミッションに苦戦するとは言え――緊迫感もそれほどありません。

ただ、これは「現実準拠、あるいはそれに近い世界において、超人すぎて現実離れしている」というだけの話なのかというと、それだけではないように思われます。
問題は、株式投資というのはギャンブル、儲かるか否かは確率の問題だということです。
たとえば現実の世界では、格闘技の達人と言えど、数人の素人に囲まれるとボコボコにされる、ということがあります。何十人と喧嘩して勝つ人が登場したら、それはやはり非現実的だと思うでしょう(しかし、現実にはまったくないとは言えないという話も。事実は小説より奇なり)。
ただ、私のような非力な人間とプロの格闘家が喧嘩をすれば格闘家が100%勝つ、これは力の大小の問題です。ですから、その程度差を現実的にあり得る範囲から延長しても、ある程度までならばまだありそうに思えます。
それに比べると、誰にも予測できない株の動きを見通すというのは、何か超能力めいたもの、常人とは質的な差異があるように感じられるのです。
もちろん、株価は単にランダムで動くわけではなく、人間の思惑が関わっているわけですし、茜も「株を通して人間を見ている」のだと強調していますが、それでも、です。
後半で説明される、彼女と言えどいつも勝てるわけではない、不調の時もあるという話も、かえって彼女の能力が何か説明したがい直感的なものであるという印象を強めます。

そんな問題はありますが、やはり本作の見所は、お金を必要とする人々の人間模様であって、その点では前半の方に味わいがありました。
前半は話の性質としては、人情物に属すると言えるでしょうか。

ポイントは、茜が依頼人の「大切なもの」を報酬として要求する、ということです。
欲を掻いて、お金に困ってはいないけれどもっと欲しい、という人間は、大切なものを手放せはしません。
人生において重要なことのためにどうしてもお金が必要である、という依頼人に対して、本当にその一歩を踏み出す覚悟があるのか、と茜は問うのです。
他の形でも、茜は依頼人の覚悟を問います。そもそも、彼女を信じて資金を托す時点でそうですし(当然ですが、黒女神の名を騙った詐欺もあったとか)、たとえば、株は十分に値上がりした、今売ってもかなりのお金は得られるという場面え、茜の「もっと上がる」という言葉を信じて売らずにいられるか――
これは他力行にも似た厳しさです。

浄土仏教の言葉である「他力本願」というのは、(誤って)他人頼みの怠惰な態度を指すと思われていることもありますが、これは実のところ「本当に任せておいて大丈夫なんだろうか」という不安や迷いを断ち、自己を放棄することを求めるという厳しさがあります。
任せつつ、「保険をかけて自力でも何とかしておこうか」などと考えてはいけません。

なぜこんな宗教的な用語を持ち出すのかというと、問題はたかが金だからです。
こう言うと「いや、お金は大事だ」と仰るかも知れませんが、私は私の価値観を言っているのではありません。
マネーを題材にしたドラマのほとんどは、ただ儲かるかどうかだけでなく、必要なだけのお金を確保できないと殺されるとか、今後の人生で再起することにも差し支えるとか、お金以外の危機をそこに絡めることで盛り上げてきます。
「金は命より重い」は『賭博黙示録カイジ』の登場人物・利根川の台詞ですが、しかし『カイジ』の大金を賭けたギャンブルが面白いのは、負けたら強制労働とか身体の欠損とか果ては死といった危機があるからです。「金は命より重い」は、命が金に懸かっていることを前提としています。
つまり、お金だけでは話を盛り上げるに不十分だというのは、何も私の見解ではなく、世のほとんどの作家・鑑賞者に共有されている見解です。

本作ももちろん、その例に漏れません。
人生の懸かった一場面において、人は何を賭けることができるのか――そんな、宗教的決断にも似た厳しい場面において、「人間」を描いているのが、本作の魅力です。



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終わらない、目的を摑むその日まで――『火輪を抱いた少女II 悪鬼』

今回取り上げる小説はこちら、『火輪を抱いた少女』の第2巻です。



 (前巻の記事

アニメイト限定特典はオリジナルSSシート。冊子と違ってサイズが大きく、本来「折り曲げるべきでないもの」という扱いなので、少し収納場所に困ります。他にとらのあなでも別のSS特典が付く模様。
余談ながら、アニメイトで買った時にはどこにも「特典付き」の表示が見当たらず、本当にこれで良いのか少し迷いました。

火輪を抱いた少女II SSシート

さて、本作は強化人間を作る実験「黎明計画」の失敗作として捨てられながら生き延びた少女ノエルが、幸せを求めて戦う戦記物です。
太陽が好きで晴れの日は脳天気に明るい一方、雨の日は極度に不機嫌になるノエル。今回の表紙は苦難を予告するような、雨の下で嘆く彼女の姿です。

前巻ではコインブラ州の軍に入り、太守グロールの命を救ったこともあって、あっという間に百人長の地位と騎士の称号を得るスピード出世を達成したノエル。
このグロールという太守は帝国皇帝ベフナムの息子なのですが、不運もあって彼が太守に赴任してからコインブラは凋落著しく、皇太子の地位まで剥奪されてしまいました。しかも、彼の弟にして隣州バハールの太守であり、新たに皇太子となったアミルからの度重なる挑発――と言うか、公式には否定しているもの、反乱を煽るなどほぼ侵略行為です――もあり、もはや両州間の内乱勃発は目前というところ。
今巻では、いよいよ戦争が始まります。

ノエルは武に関しても軍略に関しても優れ、戦果を挙げていきますが、何しろ軍のトップである将軍からして裏切っているコインブラの現状は四面楚歌どころではなく、彼女と言えどできることは限られます。
まず肝心なことは上がやらせませんし、仮に彼女が力を発揮できたとしても、一人と武力とせいぜい千人かそこらの部下では、大局を引っ繰り返すにも限度があります。
さらに、アミルの側近には「黎明計画」の唯一の成功例で、ノエルの施設時代の仲間であったファリドが――つまりはノエル以上の力を持つ相手がいます。
かくして、今巻でのノエルは数々の活躍を見せ、「悪鬼」の異名で敵に恐れられるようになりながら、敗北に追い込まれます。

主人公が無双の強さで活躍する作品は枚挙に暇がありません(とりわけ「小説家になろう」系作品では)。
主人公が負ける作品ももちろん多々あります。
しかし、主人公が無双の活躍を見せつつなお負けるのは、ライトノベルあるいはその近隣では多くはありませんし、「小説家になろう」系では貴重です。が、これこそが歴史の大きな動きを感じさせてくれる戦記物の醍醐味でもあります(歴史小説では悲劇の名称って題材、結構ありますしね)。

同じことは同作者の『死神を食べた少女』でも言えましたが、しかし『死神~』のシェラが敗軍の将たることを予告されており、そして彼女の属する王国軍の敗戦(+エピローグ)をもってひとまず物語は終わっていたのに対し、本作の物語はまだ続きます。
ノエルも仲間たちもまだ生きている、まだ巻き返せる――『項羽と劉邦』で漢中に流された劉邦が再起を図る場面のような高揚感がある、美味しい展開です。

ノエルの口癖は「世の中そんなものだから、仕方ないよね」ですが(この言葉は、敵に向けられるとすさまじく残酷な一言になるのですが)、しかし彼女が諦めるのは、個々の事柄だけです。
生き抜いて幸せになることは、決して諦めません。
そして、途中過程はどうなろうと、約束も守ります。

さらなる見所は、そんな中での仲間たちとの絆です。
たいてい仲間作りというのは面白いものでは、中でもポイントはノエルの副官リグレットでしょう。
彼女はコインブラの将軍ウィルムの娘ですが、剣もまともに振れないくらいに身体が弱く、しかも陰険で不満をすぐ表に出し嫌味ばかり言う性格なので、父から疎まれていました。この度も監視役としてノエルに付けられたわけですが、同格の百人長であり新参のノエルの下に付けられるというんは完全な左遷です。
そんな境遇への不満と、どこの馬の骨とも知れないノエルへの蔑みから、ノエルにも嫌味ばかり言っていましたが、ノエルは何を言われても意に介せず、むしろ彼女のことを気に入っていました。

そんな中で、色々あってリグレットが次第にノエルに心を開き、そして何より決定的に父ウィルムを見切って、真にノエルの仲間となっていく過程は必見です。

 今まで、嫌われているのを自覚しながらも、なんとか評価してもらおうと努力してきたつもりだ。だが、もう愛想が尽きた。(……)
(国を裏切ろうが何をしようが私の知ったことじゃない。許せないのは、私を利用した挙げ句、簡単に使い捨てたことよ。――あの男、絶対に殺してやる!)
 (七沢またり『火輪を抱いた少女II 悪鬼』、KADOKAWA/エンターブレイン、2016、p. 259)


そう、ウィルム将軍は太守グロールを裏切り、アミルに協力していました。これは前巻から判明していたことです。
彼に言わせれば、これはコインブラ人として祖州を愛しているがゆえの行動であって、無能な太守を排除することこそコインブラのためです。
まあ、そもそも金の鉱脈が尽きたといった不運もあってのコインブラの凋落を全て太守のせいにすれば済むのかどうかも疑問ですが、そこは目を瞑って、たとえこの大義が通るとしても、少なくとも彼が、その過程で犠牲になる人間のことを切り捨てているのは事実です。犠牲を避けようとするにしても、それは「あまりこの州に被害が出るのは望ましくない」という数量的判断に過ぎません。
それどころか、娘のリグレットのことは使えるならば利用して、体よく使い捨てようとしていました。

大義を掲げる者はいつもこうです。
『死神を食べた少女』の軍師ディーナーは最期まで、自分が生きて新生王国の礎を築くことで「数万、いや数十万の民」が生きるのだと弁明していました。
しかし、それによって生かされる「何万の民」に含まれない者にとって、そんなことは何の意味もありません。
だから、ディーナー率いる解放軍によって食べ物を奪われ、殺されかけたシェラはただ「お前も死ね」と言い放つのです(「権力の盲点」の記事を参照)。
生かされた覚えもなく、ただ自分が殺される側だった者にとって、「お前も死ね」より柔らかい言い回しがあるでしょうか。
いくら大義があっても、それには綻びもあります。

たとえ軍人という体制の一員として戦う主人公を描こうと、そんなアナーキーな反体制的テーゼを含む、それも七沢またり氏の作品の魅力の一つです。
本作においては、敵への憎しみをあまり見せずあくまで自分の幸せのために戦うノエルの傍らで、リグレットがそんな面を担っているように思われます。

そして、七沢氏の作品の主人公の少女たちは、皆約束を守り、重んじます。
それは常識外れで、時に狂気じみてもいる彼女たちにとって、人間性の要です。
対して、言葉なんて何とでも言えると思っている者、相手をいいように利用するつもりの者が約束を守らないことは、言うまでもないでしょう。

というわけで、次巻はノエルの巻き返しです。
ただ、戦記としてはそうなのですが、ノエルの目的はあくまで「幸せになる」ことであって、特定の敵を討って勝利することではありません(ノエル自身は、戦ってきたお陰で皆と会えたんだから戦いは好きだと言っていますし、また――最後に勝者の位置にいるという意味で――「勝ち続ける」ことを幸せになるための方法として有望と見なしているものの)。
どう物語を着地させてくれるのか、ファリドとの関係は、そして「幸せ」はどこに見出されるのか――

仲間たちの見せ場も、まだこれからです。
ノエルが戦術面でも優秀なこともあり、リグレットは副官としてまだそれほど活躍してはいません。
ゲンブ州の使者として訪れ、ノエルと友誼を結んで、使者としての役割を超えて共に戦ったカイも、その本領を見せる活躍はまだありませんでした。
彼等の活躍も楽しみなところです。

内容的にはほとんど文句なし、傑作です。

おそらく完結編となる第3巻は5月発売予定とのことで、3ヶ月間隔になるようです。
WEB版はすでに完結済みですが、加筆訂正もあり得ますし、楽しみです。


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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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