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教えるということ

ここ最近書いた内容は、改めて考えるとカテゴリ分けに迷いますね。

さて、だいぶ話は変わるようですが、今年の3月、春休みにスペインに行って来ました。バルセロナのピカソ美術館、ミロ美術館、それにマドリードのプラド美術館も見て来ましたよ。ツアーだったんでじっくり見て回る時間はありませんでしたが。
で、プラド美術館でエル・グレコの《聖三位一体》の前に来た時、同じツアーにいた女の子が「これキリストですか?」と訊いたんですね。
「まあ、そうだ」と答えました。そうとしか言いようがありませんから。その後も追って作品の説明やら絵の見方やらを多少は話しましたが。
さらに、帰りの飛行機の中では別の女の子が「キリストってなんで処刑されたんですか?」と訊いている。こういう話を真面目に追求し始めると難しい問題はあるんですが、そういうことではなく、「世界史」の教科書に載っているようなことを知らないらしい。(添乗員さんの意図もあって)乗り換え後隣の席になったのを幸い、イエスについてもしばらく喋っていました。

ところが帰国後改めて気付かされたのは、私のような「教えたがり」は多くないという事実でした。こうも基本的な質問をされると「なんかどうでもよくなってしまう」という意見を聞きました。
加えてそもそも、一介の学部生に過ぎない(専門家という訳でもない)私が知った風にまくし立てていていいのか、という問題もあります。

この点について私なりに出した結論は、良い、むしろ、教えるということはやってもやらなくても良かったりすることではない、というものでした。
別に「俺は優れているからお前等愚民を教化してやろう」という訳ではない。求めてもいない人のところにわざわざ押しかけてまで教えようという訳でもない。ただ、自分が知において一歩先んじていて、それを求める人がいるなら、教えなければいけない。たとえ自分も未熟であっても、難しい質問をされて返答に窮しても、はたまた相手があまりに物を知らないことに呆れても。元々「これだけ知っていれば十分だ」ということは無いんですから。

この理由は理屈を言おうと思えば言えるんですけれど、何よりも思ったのは、以下のようなことです。だって、2000年近く前に処刑されたオッサンのことなんて、彼女達はおそらく、気にかけたこともあまり無かったのではないでしょうか。それが名作の並ぶ美術館に来て、何か感ずるところがあって、質問をしている。その意志に答えなくて何とする、と。
これは職業が「先生」であってもなくても、本質的には変わらない。そう思います。
                           (芸術学2年 T.Y.)
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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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