オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
無能な大人と信頼できる大人
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まあ何はさておき、今月の『マガジンSPECIAL』の発売日になりました。
『絡新婦の理』コミカライズの第13話掲載です。
内容的には当然ながら前回の続き、原作第7章の後半に当たります。
聖ベルナール女学院にやってきた探偵・榎木津礼二郎は美由紀に会うなり、さっそく犯人を指摘します。

(京極夏彦/志水アキ「絡新婦の理」、『マガジンAPECIAL』2016年No. 6、p. 619)
榎木津を知らない人は誰もが驚く、以前に理解出来ないスピード解決ですが、ただ本作に限ってのポイントは、すでにこの前の益田パートで「誰を疑うべきか」の指摘はなされており、読者としては榎木津の犯人指摘を理解出来るということ。
目撃者の美由紀からして、なぜ榎木津がいきなりそれを見抜けるのかは分からないままに、「なるほど、あいつが犯人ならば辻褄が合う」と理解します。
その点で、本作においてはむしろ、「榎木津がその特殊能力で何を見て何を言っているのか分からない」という場面は少なめです。
ただ、そうやって一つ一つの事件について何が起きているかは比較的明快でも、それは事件が起きてからの犯人当てにすぎず、事件が事件を呼ぶ全体の構造――「蜘蛛の巣」――は解きほぐしがたく、誰もその連鎖を止められない――それが本作の事件の恐ろしく、厄介なところです。
さて、今回の見所はまず、探偵サイドの人間たちが美由紀の証言を理解してくれるのに対し、彼女のことを端から信じようとしない学長たちの愚鈍さ・醜怪さの対比でしょう。
真相を遠ざけるだけの無能な関係者・捜査者というのはミステリの定番ですが、美由紀パートは主役が大人の力に翻弄される立場の女学生であるだけに、いっそうその嫌らしさが際立ちます。
まあ、美由紀と榎木津が会っているのは前回ラストから今回冒頭のわずかの間だけ、会話はまったく成立していないのですが、(顔がいいだけでなく)美由紀の見たことを見通している榎木津に、彼女は独特の信頼を感じています。
何しろ、探偵助手の益田はというと、

(同誌、p. 623)
美由紀の脳内では本人の名乗りよりも榎木津による(間違った)益山という呼称の方が優先されるような扱いですし。
とりわけこの漫画版では、当初は「どうこの人も信じてくれないだろうし…」と原作よりも益田に対する不信感が印象付けられました。
それでも、益田は美由紀の話をちゃんと聞いて信用してだけに、一定の評価はされます(頼りないせいか、信頼というには今一つな扱いですが)。
他方で、前理事長の腹心・海棠は、横柄な態度を取っていたかと思うと、相手が榎木津財閥の御曹司と知って一変する卑屈さ。

(同誌、p. 620)
学長に至っては、美由紀の発言をまったく信じようとせず、「妄言」だ何だと罵ります。

(同誌、p. 625)
美由紀と織作碧のどちらを信じるかとなれば、学院一の優等生で経営者一族の娘である碧を取る、という態度も露骨ですし。

(同誌、p. 629)
碧の可憐で無垢なイメージがまた、見事です。

(同誌、p. 631)
この表現だと学長がロリコンっぽく見えますが、多分性愛の問題ではなく。
何よりの問題は、「黒い聖母」というのが殺人鬼の仮称であることを全く理解せず、いつまで経っても「そんな怪異がいるわけがない」「木像が動くはずがない」と言っていること。


(同誌、p. 637-638)
「分かってるじゃないか」と美由紀が(内心では)上から目線で思ってしまうのも、そのことがちっとも伝わらない大人ばかりを相手にしていたから。
原作では「他の連中は大人のくせになんでこの程度のことが理解できないのか、美由紀には理解できない」という一文があって、ある意味で痛快でした。
もう一つ、愚鈍な大人たち相手の痛快は、この「知らないならいいです」。

(同誌、p. 640)
ちなみに、原作の文章では学院上層部の人間は学長・教務部長・事務長といたのですが、漫画ではこの禿頭が学長で、すると横の眼鏡が教務部長でしょうか。個人的には驚く程にイメージ通りです。
なお、原作の設定だと礼拝堂の壁に刻まれているヘブライ語は何かの引用とかではないのですが、この漫画の絵では何が書かれているのか、未確認です。書体は聖書写本の類で見たような感じですけどね。
こういうのは、オリジナルの文章を書こうと思ったら専門家のアドバイスが必要な場合もありますし、大変なところです。
さて、今まで原作の1章を連載1話に収めるにせよ、数話に分けるにせよ、原作の章の区切りが漫画の話の区切りに一致していたのですが、実は今回のラストは実は原作第7章の最後まで行っていません。
第2話、第6話、第11話と「事件が起こり、新たな死体が出て引き」という形になっていたのですが(これはそれぞれ原作第2章、第3章、第6章の締めと一致しています)、今回もそれと同じ形になっています。
確かに、同じパターンの引きの繰り返しであることはそれほどマイナスにはならない、死にはそれだけの力があります。
今回は「まさかこんな結果に……」というインパクトもありますし。
連載漫画の構成としては、ありでしょう。
ただ、原作7章の残りは、犯人を取り押さえるアクションと若干のやり取りくらいで、そう紙面を要するとは思えません。
とすると、次回の構成はどうなるのでしょう。
原作8章――ふたたび益田パートで舞台は京極堂――に移ってしまって、この後の顛末は回想で語るという手もありかも知れませんが、はてさて……
とにかく、今回も漫画として魅せるための工夫をしつつ、原作の嫌らしさ、痛快さ、悲劇の衝撃といった持ち味をしっかり押さえており、素晴らしい出来でした。
次回はどう運ぶのか、期待して待ちましょう。
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