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まさかのカリフ啓蒙小説&漫画――『俺の妹がカリフなわけがない!』

まずは何も言わずにこの画像をご覧になっていただきたいと思います。

俺の妹がカリフなわけがない!

各方面で活躍し、色々と話題にもなったイスラーム法学者・中田考(なかた こう)氏による同人誌『俺の妹がカリフなわけがない!』です。
2015年末から始まって年2回の刊行なので、2巻まで+スピンオフで計3巻、第1巻発行時には同時に解説本も出しています。
この調子だと今年の夏コミで4冊目が出るのではないでしょうか。

自作品の通販サイト「BOOTH」で販売もしています。

 俺の妹がカリフなわけがない! - マクタバハサン - BOOTH

ちなみに中田氏がBOOTHで販売しているのは他にも自分をキャラ化したグッズ等があり、昨年の学会でお会いした中田氏ご本人もそれをプリントしたTシャツを着ていました。
こういう感じ↓です。

中田考

中田氏はムスリムとして「カリフ制再興」を唱えており、それを日本の若者に普及するために書き始めたのがこの作品とのこと。
中田氏が twitter 連載で執筆した小説を氏の知り合いの同人作家・天川マナル氏がコミカライズしたものがこの同人誌になります(解説本と2巻以降には原作小説も収録しています。なお twitter の当該アカウントは現在非公開の模様)。

※ ご本人はカリフ「ラノベ」だと主張していますが、ジャンルの規定において刊行形態を重視する場合、twitter で書かれたものを「ラノベ」と呼べるかどうかは疑問なので、ひとまず当ブログではその呼称は採用しません。

なお、絵のクオリティはこんなもの。それほど高くはありません。小説としてのクオリティについては後述しますが、まあ素人作品ですし、その辺の出来に期待するものではないでしょう。

俺の妹がカリフなわけがない! 本編

内容としましては、天馬愛紗(てんま アイシャ)という女子高生が突然「カリフ」を称して生徒会長に立候補、愛紗の双子の兄である垂葉(タルハ)は振り回される……というもの。その中でイスラームとカリフについても解説されます。

この設定はどう見てもちょっと……いやかなり無理があるように見えるのですが、読んでみるとこの設定を可能にするためのある種の筋は通していることが分かりました。
まず、天馬家は預言者ムハンマドの遠い子孫で、中国のムスリムがムハンマドにちなんだ「馬」姓が多いのですが、それが日本に渡ってきたという設定。
垂葉と愛紗の祖父はそれを信じていたのですが、その息子(つまり垂葉と愛紗の父)は信じていません。しかし愛紗はその伝説を信じ、「東方から義なるカリフが現れる」という伝承を実現しようとしている、というのです。

この設定はどうも日ユ同祖論のもじりに見えます。
日本人の祖先はユダヤ人だとか、秦(はた)=羽田氏の祖先はイスラエルの王ダヴィデだとかいう説があるのです(専門家はまず支持しませんが)。京極夏彦氏の『絡新婦の理』にも、自らをユダヤ人の末裔と信じて古代ユダヤ教の神殿を日本に造ろうとした人の話が出てきます(『絡新婦』の場合、最大の問題は戦前に日ユ同祖論があったかどうかですが、まあフィクションですので「実はあった」と一言言えば済むことです)。

『俺の妹がカリフなわけがない!』の場合、原作小説では垂葉たちの父・夢眠(ムゥミン)が、天馬の先祖について記録が残っているのは明治以降だけだと明言し、すべては夢眠の祖父・真人の妄想だと断言しています(まあアラビア語教師の白岩先生は「夢眠は何も分かっていない」と言っていますが、少なくとも実証的証拠に関する限りでは夢眠の言う通りなのでしょう)。
つまり、天馬家が本当にムハンマドの子孫であるかどうかはさしたる問題ではなく、「愛紗がそれを信じて実行した」という事実のみがあれば話は成り立つのです(もちろん、現代の女子高生がそれを信じて実行する時点でやや無理はありますが)。

それから、カリフは男性でなければならないのに、なぜ女である愛紗がカリフを称せるのかという点について。
これに対してはアラビア語のハリーファ(これが英語に転じたのがカリフ)は女性形だと愛紗が答えています。

多少なりとも語学に覚えのある人には言うまでもないことですが、語形は女性名詞の形に当てはまっても例外的に男性名詞として扱われる名詞とか、そういう類はままあるものです。ハリーファもその一つだということに過ぎません。
でも、そういうことは承知の上で最低限の筋を通しているのには笑うやら感心するやらです。

イスラーム関係を離れて気になるのは、垂葉たちの通う君府学院の設定でしょうか。この学院はプラチナ、シルバー、ブロンズに生徒が階層分けされ、待遇に著しい差別が存在するという設定です。
これはどう考えても『暗殺教室』の影響です。漫画版1巻巻末のインタビューで中田氏本人が『暗殺教室』を一押し作品に挙げているので間違いないでしょう。
と同時に、これは競争を煽るグローバリズムとその下での格差社会の象徴であって、それを妥当するべく「イスラームの下での民族と宗教の自治」を唱えるカリフ愛紗が立ち上がる……という意図なのも理解できます。

ただし『暗殺教室』の場合、一部の生徒をE組として冷遇し、けっして優等生クラスのA組を特別厚遇するわけではない、という点に意味がありました。その点、君府学院の3階層の人口比について明確な記述はありませんが、たぶん最上位のプラチナクラスは少人数でしょう。
このシステムが教育上成功するかどうかは疑問です。

どうせあり得ない話なんだから……と思うかもしれませんが、個人がとんでもないことを始める可能性はあります。それは「あり得ること」として認められます。しかしたとえば日本人の大多数がいっせいにムスリムに改宗するとか、そういうことはまずあり得ないでしょう。
個人レベルでの「ありそうにない設定」と集団レベルでのそれは説得力(のなさ)がまるで違うのです。

この点に関して興味深いことに、漫画版でははっきりとブロンズの生徒たちがプラチナの連中に反感を持っている様子が描かれています。そして原作小説だとほぼ説明なしに愛紗が生徒会長に当選してしまうのに対し、漫画版では垂葉が応援演説をして、愛紗が自由と平等を掲げていることを訴え、人数的には多数派であるブロンズの生徒たちを味方につける展開が描かれます。
これにより原作だとそもそもカメラ以上の存在意義に乏しい垂葉にも活躍が与えられる、効果的な改変でした。

その上で欲を言うなら、むしろブロンズの生徒たちには「悪目立ちしたくないから、上位クラスになんか上がりたくない」というムードが蔓延し、むしろ勉学意欲を削いでいる――くらいの設定で良かった気がします。
もちろんだとすると、君府学院が現制度になってから実績は上がっていないはずですが、そこは小学校・中学校入試で優秀な生徒を選んでいる私立学校ですからどう転んでもある程度は難関大学での進学者も出ているでしょう。学校側は都合のいい数字だけ掲げて現制度が効果を上げているように見せかけている、世間と保護者は簡単に騙される――という設定にすればいい。
もし私が作者ならそれくらいはやります。


そういうわけで、細部に疑問はいろいろとありますが、ちょっと無理のあるように思える基本設定にもそれなりの筋は通しています。
やはり素人作品なので上手くはありませんが、漫画版が展開と魅せ方について独自に工夫しているのも分かります。
他方で、専門的な知識や設定をある程度細かく語っているのが原作の方ですね。それは原作者が学者だからというだけでなく、文字媒体という性格もあるでしょう。
解説本には天川マナル氏による漫画版制作の裏話もあり。

俺の妹がカリフなわけがない!解説本
 (『俺の妹がカリフなわけがない! 解説本』、p. 6。クリックで画像拡大されます)

ただし、この点に関しても私の意見は少し違います。
確かにライトノベルではレアですが、衒学小説というものは存在します。専門的な知識を語るのはアリなんじゃないでしょうか。
それにここで引用されている箇所は白岩先生によるアラビア語の授業場面で、内容的にも論文というほど高度ではない、いかにも語学の初級授業という感じです。
むしろ問題があるとしたら、こういう授業場面を丁寧に書いてしまうことではないでしょうか。知識を期待している読者も、文法解説では退屈してしまうでしょう。

それからその前、2コマ目で引用されている場面は、主人公の垂葉と幼馴染みの越誉(こしよ)メクの会話なのですね。会話が多少なりとも面白いのはもっぱら彼女の登場する場面です。
それに対して、垂葉はブロンズクラス、愛紗はプラチナクラスで、下位ランクの生徒は上位ランクの施設に許可無く入ることはできず、寮も別なので、会いに行くのも難しいという設定。兄妹なのに絡みが少なすぎるのが一つの難点でしょうね。


――とまあ、やっぱり細部に気になるところは多いのですが、若者を啓蒙するべくこんなことにも精を出している中田氏の活動は興味深いものがあります。
その反面、「お前たちは知らないだろうがイスラームの考えではこうだ」という「啓蒙」の姿勢について、学者としてはそれは違うだろうと異議を唱える向きもありますが、それはまた別の話としておきます。


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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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