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真面目な人と困った人

いきなりですが、大学の場合、以下の人は「真面目」と言えるでしょうか?

・授業には休まず出席しているけれど、授業中はずっと寝ている人。(あるいは寝ている程度ならまだしも、教室で私語をしている人)
・逆に、自ら目標を持って自学自習で学んではいるけれど、授業に出て来ない人。
・自ら学ぼうとし、授業にも出ているけれど、毎日遅刻してくる人。

皆ある意味では「真面目」です。しかし別の意味では…
こういう「まじめ」の意味を広げて行くと、学校に出て来ず,学校での勉強らしきものはせず、どこかをほっつき歩いている人でも、実は本人なりの目標に従って「真面目」にやっているのかも知れません。
(もちろん、全てやってこそ本当の「真面目」であって、上記のような人はごくわずかしか「まじめ」ではないという主張は正当ですが)

そしてまた、たとえちゃんと授業に出て学ぼうとしていても、こういうところで万物に文句ばかり言っているところからして、私なども相当に「困った人」です。
どこにでも「困った人」はいます。

実は、勉強しないだの遊び歩いてるだのというのは、大学においてはそれほど「困った人」ではありません。本人が落第しようと周りは大して困らないからです。(もちろん、「迷惑をかけなければ何をしてもいい」という訳ではありませんし、先生や本人の身内には色々苦労があるかと思いますが)
やはり問題なのは共同作業で、ここでは明確に周囲に迷惑がかかります。

(ここで思うのですが、学校というのは「みんないっしょ主義」で、「出来る子も出来ない子も皆で力を合わせて頑張りましょう」といったお題目が唱えられている場所だと思われている向きがあります。それは事実ではありますが、物事の半面でしかないと思います。「勉強する場」としての学校は個人主義で、自分の成績さえ良ければ評価されます。むしろ他人の成績は悪い方が相対評価では有利です。一方で成績が悪くても、授業妨害さえしなければ、他人の知ったことではありません。対して、会社で1人1人の社員が営業成績を競って互いに同僚の足を引っ張っていたら会社は潰れます。そんなことが分からないサラリーマンはいないという前提があるから、「皆で力を合わせて」等と声高に主張する必要はなかっのです。学校は個人主義の温床なればこそ、「みんないっしょ主義」を唱えなければならないのです)

私も協調性からは程遠いので、一番「困った人に困らされている」現場からはいささか遠いのですが、話を聞いている限り、一番「困った人」というのは、「能力のない人」ではなく「『この仕事は自分がやる』と言っておいて、やらない人」です。
「やる気がない人」でも、申し付けられた仕事を最低限してくれれば、まだ良いのです。積極的に人を押しのけて「自分がやる」と言い出した挙句、「できてません」等と言うのは本当に困ります。他人に援助を求めていれば、こう困ったことにはなりません。

思うに、人の性能というものは他者から頼られることで引き出されるものなのです。
こう「性能」等と言うと、人を道具扱いしていることにお叱りを受けそうですが、こう言うのには訳があります。
確かに人は道具とは全く違います。

・人は思い通りにはならない
・人は他者が「使」わなくても勝手に動く

したがって、人はある程度自分で自分の性能を「使う」ことができますし、またそうしています。しかし、だからこそ言うのです。決して自分一人で自分を使いこなそうとしてはいけません。自分は必ず自分の手に余ります。
(例えば、自学自習は大切ですが、自分一人で学べるなら、学校に来るのは何のためでしょうか?)
人に助けを求めて人の性能を引き出し、自分もまた人から性能を引き出される、それこそが何にもまして学ぶべきことであり、「コミュニケーション能力」なのです。

生れつきによりて、即座に智慧の出る人もあり、退いて枕をわりて案じだす人もあり。この本を極めて見るに、生れつきの高下はあれども、四誓願に押し当て、私なく案ずる時、不思議の智慧も出づるなり。皆人、物を深く案ずれば、遠き事も案じだすように思へども、私を根にして案じ廻らし、皆邪智の働きして、悪事となる事のみなり。愚人の習ひ、私なくなること成りがたし。さりながら、事に臨んで先づその事を差し置き、旨に四誓願を押し立て、私を除き手工夫いたさば、大はづれあるべからず。
我が智慧一分の智慧ばかりにて万事をなす故、私となり天道に背き、悪事となるなり。脇より見たる所、きたなく、手よわく、せまく、はたらかざるなり。真の智慧にかなひがたき時は、智慧ある人に談合するがよし。その人は、我が上にてこれなき故、私なく有体の智慧にて量感する時、道に叶ふものなり。脇より見る時、根づよく確かに見ゆるなり。たとへば大木の根多きが如し。一人の智慧は突つ立ちたる木の如し。
古人の金言・仕業などを聞き覚ゆるも、古人の智慧に任せ、私を立てまじき為なり。私の情識を捨て、古人の金言を頼み、人に談合する時は、迦(はづ)れなく悪事あるべからず。
 (『葉隠』、岩波文庫、旧字体は一部改めた)


                           (芸術学2年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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