オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
なんと幸福な青春――『僕の小規模な奇跡』
まあ今朝方は、背筋が凝っていたせいで目が覚めた気もしますけれど。
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さて、せっかくなのでこのライトノベルを。
昨日に引き続き、入間人間氏の大学青春ドラマです。
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元々ハードカバーで刊行された作品でしたが、このメディアワークス文庫版では追加エピソードも収録されています。
20歳にして病気で死に瀕した「僕」は最期に、好きだった女性に告白することを決めます。
相手の彼女は今はもう人妻だけれども、告白するだけしようと。
ところが、彼女の家に行く途中、靴屋の前で通り魔に襲われ、ナイフで腕を刺されながらも撃退することになります。
しかも通り魔は、実は彼女の夫。
――と、ここまでがプロローグ。
本編はその20年後、一つ下の世代の若者たちを主役に、「僕」が腕を刺されて側溝に投げ捨てたナイフと事件の舞台となった靴屋などを巡ってドラマが展開されます。
「俺」は大学新入生、入学式で「彼女」に一目惚れして、最初にかける一声でいきなり告白に挑みます。
三白眼で態度の刺々しい彼女はあっさり拒絶しますが、「俺」は奇妙にバカで前向き。
フラレたけれど、無理の感触にもまだ指は触れていない。
まだ諦めるという段階でさえないのだ。というかこんな簡単に終わる程度の恋心だったら、彼女に対して失礼であるような気さえする。うーん、都合の良い前向き解釈だ。
一晩眠るまで考えて、他の告白方法でも見つけよう。うん、そうしよう。
(入間人間『僕の小規模な奇跡』、アスキー・メディアワークス、2011、p.65)
そんな「俺」にやがて彼女は「好きじゃないけど、付き合ってもいいわ」(p.98)と答えます。
「その代わりに、わたしをちゃんと守ってね。理想として、あたなが死んでもいいから」
(同書、p.100)
何やら『めぞん一刻』の「一日でもいいから、私より長生きして」の反転を思わせる言葉ですが……なんても「彼女」はストーカーに付きまとわれていて、「俺」が持っていた錆びたナイフに目を付けたとか。
他方、「俺」の妹である「私」は高校を中退して引き篭もり、現在靴屋でアルバイト中。ひょんなことから、その靴屋によく訪れるハンサムな青年(通称「ハンサム丸」)と色々話すようになるものの…
そんな「俺」と「私」の一人称語りが交互に展開されます。
入間氏はあまり登場人物の名前には凝らないようで、多くは姓を駅名から取っていたりしますし(たいてい名古屋の地下鉄)、本名不詳の登場人物も多いのですが、本作は特に徹底していて、代名詞か「ハンサム丸」「トマト」「アセロラ」といったあだ名ばかりです。

むしろ名前などない時の方が真骨頂であって、しばしば一人の人物を二人、あるいは二人を一人と錯覚させる叙述トリックに結び付いていることも。
本作にもそうした要素はいくらあり、またストーカーやらナイフやらといったきな臭い話もあるのですが、それが本題ではなく、やはり二組のカップルを巡る青春小説ですね。
偽装カップル、というのは恋愛物に時として存在するネタですが、この場合対外的に偽装しているわけではなく、むしろ彼女と紹介するのは禁止、それどころか「好きでない相手だと許せないことが多い」と普通の友達同士よりも縛りの多い奇妙な関係です。
例によって大学で集団に馴染めない孤独や、親睦会への参加を勧めて来る講師への怨恨、はたまた才能がなくて絵を描くことを断念した「私」のコンプレックス等、青春の屈折もたっぷり詰め込まれていますが、読後感は爽やかで美しいものです。
なんて私は幸せなんだろう!
というのは確かモーパッサンの短編「初雪」で、余命幾許もない主人公の女性が口にする台詞ですが、ふとこれを思い出してしまいました。病で死に瀕した人物が主役で始まるという共通点はあるものの、それ以外に比較することのある話ではないのですが。
大学生活の描写にしても――
そして彼らは去っていった。……坂の下に。諦めて、畑(マンション)に帰ったようだ。あいつらが講義に出席している姿を見たことがない件に目を瞑れば、仲良きことは美しいなぁと微笑ましく見届けられるというものだ。期末前だけ、急に彼らが心の友にならないことを祈る。
(前掲『僕の小規模な奇跡』、p.224)
入間氏の「ぼっちネタ」は大学生活を舞台に描かれるものが多く、高校までのようにクラスの中でヒエラルキーが決まったりすることもない代わり、とことん孤独に過ごすこともある、そんなところを上手く描いていますけれど(友達と遊び歩かずサークルにも入らない分、糞真面目に講義には出てくるのもありがちな現実)、しかし、そんな大学生活も悪くないという空気を感じさせてくれます。「俺」の場合、「彼女」の側にいられることが全てなのでしょうけれど。
孤独な者達の関わりの中から生まれる幸福という奇跡――それが眩しい。
20年の時を隔ててパーツや人物が互いに複雑に関わっているものの、「それらが組み合わさって一つの事件を作る」というほどに密接な結び付きでもないのも、何とも言えない人間的な「廻り合わせ」の心温まる印象をいっそう強めます。
ところで、昨日紹介した『彼女を好きになる12の方法』も大学もので、登場人物に名前がないのも同じ。しかも『僕の小規模な奇跡』の「俺」も『彼女を好きになる12の方法』の「僕」も、入学早々一目惚れした相手を追い駆けているのも同じ、しかし結果の明暗は歴然としています。
差を付けたのは迷わない行動力か、何か他の資質か、それとも運――それこそ「奇跡」――なのか……何やら光と影のようにセットになる二作でした。
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