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学びと不死――『死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死』

ところで、私がかつてこの上なく真だと認めたものの全てを、私は諸感官〔感覚器官〕から、あるいは諸感官を通して受け取ったのであった。しかし、諸感官は時として誤らせるものであることに私は気付いたのであり、われわれを一度でも欺いたものは全面的には信用しないのが賢明というものである。
 (Descartes, Mediationes de prima philosopia ; Œuvres, publiées par Adam & Tannery, Tome VII, Paris, Vrin, 1996, p.38〔デカルト『省察』山田弘明訳、筑摩書房、2006、p.35〕)


感覚は見間違い・聞き違いも錯覚もありますし、夢を見ているということもあります。では何もかもが夢や錯覚であるという可能性はないのか、確実な認識は可能か――というところから、デカルトは唯一確実な原理としての「私」の存在に到達します。
他方、「私」を起点に外界認識――今で言う科学的認識――を根拠付けようとしたデカルトに対し、プラトンはある種別の方向への徹底性に向かい、身体の感覚器官を通して知ることはつねに欺かれる可能性があるのだから、人が真に「学ぶ」ことができるのは「魂によって」のみであり、私たちが「学ぶ」ことは生まれる以前から魂が「知っている」ことを思い出すだけにすぎない、といういわゆる「想起説」を唱えます(ここで魂が「生まれる以前から知っている」ところのものが「イデア」です)。


長い前置きでしたが、これは今回取り上げるライトノベルに大いに関係します。

死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死 (メディアワークス文庫)死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死 (メディアワークス文庫)
(2010/10/23)
野崎 まど

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タイトルからして奇妙、帯の煽り文句も「死なないはずの女が死んだ」と奇妙で矛盾しています。

主人公は28歳の生物教師、前の高校を解雇されて、このたび新たに女子校に赴任することになります。
ところでこの学校には「永遠の命を持った生徒」がいるという噂があり……
生物教師として主人公(伊藤先生)は「もしそんなものがあるとしたらどんな存在か」を論じたりしますが、無論飲み会の席の話レベルであって、本当に信じてはいません。
しかし、「永遠の命を持った生徒」は60頁台にして本人が名乗り出てきます。

そして殺されます。

やはり永遠の命などは無かった、と常識ではそうなるところですが、さらに事態は意外な展開を見せ……

殺人事件を巡るミステリーでもありますが、ある意味では犯人と動機は予想の範囲内(そもそも犯人候補はそうそういませんし)。しかしそこに「永遠の命」の正体という謎も絡み、さらに最後で思わぬどんでん返しをも見せてくれます。


さて、前置きにも繋がる興味深い話として、自称「永遠の命を持つ生徒」識別組子(しきべつ くみこ)が「証拠になるかは、ちょっと微妙」と言いつつ、「永遠の命」の証拠として奇妙なものを見せます。

 識別が描いたのは……図形。そう。とてもシンプルな図形だった。
 だが、その図形を見た瞬間、オレの頭の中に生まれて初めて味わう感覚が生じた。
 それは。
 四角形と五角形の中間の図形だった
 俺は初めて見るその図形が何なのかを、直感的に理解できていた。しかし論理的には全く理解できなかった。何なのかは解る。四角形と五角形の間に入るはずの形だ。それは間違いない。問題はたった一つ。果たして存在できるのか
 脳みそに直接触れられているような気味の悪い感覚に包まれる。デジャブが何十倍にも増幅したような居心地の悪さ。崖の際に立っているような不安定さ。今まで知っていた世界が変質していくような気色の悪さが、その図形を見ている間、延々と押し寄せてくる。
 俺はハッとして、チョークを取った。そして識別が描いたのと同じ形を、自分も黒板に描いた。
 だが描けなかった。
 正確に言えば、描けてはいるが歪んでいた。
 俺が真似て描いた図形には、外国人が書いたひらがなを見るような違和感が付きまとっている。知っている者だけが感じ取れる違和感。知らないはずなのに感じ取れる違和感。俺の頭の中には、この図形の完成形が存在していないだから描けない
 (野崎まど『死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死』、アスキー・メディアワークス、2010、pp.89-90)


文章だからこそできる(文章でしかできない)無茶な話ではありますが……

「俺の頭の中には、この図形の完成形が存在していない」とはまさしくプラトンの言う「イデア」が存在しない、ということのように思われます。
永遠の命を持つ存在は我々とは異質なのか。
しかし、彼女があくまで「永遠の命を持っている」だけだとすれば、これも永遠の命を活かした長年の学びによって得たもののはずです。とすれば、原理的には我々もこの図形を学ぶことができるのでしょうか。

プラトンの『パイドン』における上述の議論が「われわれが学び得ることを、魂は生まれる前から知っていた」という点から、魂は生まれる前から存在している、として魂の不死と繋がっていることと、この作品のテーマはパラレルです。

また、本作の主人公が憧る美人の同僚・有賀先生は名教師として知られていて、担当教科のみならず、演劇部の顧問として自分が見た演劇についても生徒たちに教えている、と言います。

「なるほど……しかし、舞台の内容を人に話すのって難しくないですか? なんて言えばいいのか……例えば臨場感とか、場の空気みたいなものってあるじゃないですか。そういうのって、会場じゃないと味わえないですし」
 俺がそう言うと有賀先生はニコッと笑って、そんなに難しいことではありませんよ、と言った。
「大切なのは要点なんです。何を伝えるべきか。何を伝えなくてもいいのか。それが判れば劇の内容を生徒に教えるのはそんなに難しくはありません。慣れれば教科書の内容を教えているのと変わりませんよ」
 (同書、p.107)


この後さらに「食べ物の味を伝えること」はもっと難しい、という話になり、そして「教育の限界」は何か、といった議論に発展していきます。

プラトンにおいて「我々は何を学び得るか(学び得ないか)」、言い換えれば「何を教え得るか(教え得ないか)」は「社会を作る存在」としての我々人間のあり方、そしてそれに関わる道徳の問題と一体となって中心的なテーマであり続けました。
この『死なない生徒殺人事件」』はまさしくそうしたテーマを巡る物語です。
ただし本作においては、おそらく「魂によって学ぶ」ことは決して天上でしかできないことではなく、身体を持って生きている我々にも可能なのであって、そのことによって「永遠の命」についても新たなイメージが生まれるわけですが――

これ以上はミステリーのネタバレになりますし(警告の上でネタバレ話をすることもありますが)、ひとまず今回は致しません。上の話がどういうことかは読めば分かります。
(まあ、この設定ならばあの点はどうなるのか、と新たな考察課題となり得る問題が浮上してくる点も多いのですが……その点でSF考証を徹底したという感じの作品では必ずしもありません)


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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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