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大御所、何に挑むか――『ビアンカ・オーバースタディ』

ビアンカ・オーバースタディ (星海社FICTIONS)ビアンカ・オーバースタディ (星海社FICTIONS)
(2012/08/17)
筒井 康隆

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帯にも「筒井康隆、ライトノベル始めました。」とある通り、日本SF界の大御所である筒井康隆氏のラウトノベル進出、というだけで話題性がありましたが、しかしそもそも数々の破格・実験的な作品を初めとして大概の妙なことをやってきた筒井氏のことであることを考えると、この程度で驚いてはいられない、という気もします(私もそれほど筒井氏の作品を読んでいるわけではありませんが)。

読んでみると、ライトノベルとして型破りなところ、さらにはライトノベルやそれを読んでいるオタクに対し批判的と読めるところも多々見られます。
たとえば、主人公の美少女・ビアンカ北町は生物研究部でウニの受精の実験をしていますが、それに飽きて人間の受精をやってみたいと思い立ち、自分に憧れる後輩の男の子・塩崎哲也から手コキで精子を採取します(後には他の男たちからも)。目次からして各章のタイトルがすべて「~~スペルマ」です。
この性的な方向性とその描写は型破りと言えばそうに違いありません(後半部の話はまた後ほど)。

しかし、それがもしまったくライトノベルに対し外的なものをぶつけるようなやり方であるならば、そのようなわざわざ縛りの厳しいところに行って縛りを破って見せるパフォーマンスは、格下の相手を選んで戦うのに似ています。
大御所というのはやろうと思えばそれができてしまう立場にあるだけに、なおさらです。

が、筒井氏の仕事に限ってもちろんそんなレベルに留まってはいません。あとがきを見てみましょう。

 この本にはふたつの読みかたがある。通常のラノベとして読むエンタメの読みかた、そしてメタラノベとして読む文学的読みかたである。どちらでもお好みの読みかたで読んでもらってよいが、できれば両方の読みかたで読んでいただければありがたい。
 (筒井康隆『ビアンカ・オーバースタディ』、星海社、2012、p.188)


本作は「普通のラノベ」でもあるのです。
そもそも、今までも見てきたように、「普通のライトノベル」と「メタライトノベル」が別々にあるわけではありません。むしろ、メタ言及的な性格はライトノベルに広く見られる要素の一つであり、メタライトノベルは正当派のライトノベルであり得ます。
ではそれがいかにして果たされたか、そこが問題です。

まず、恋愛に発展せずに精液を採取し、さらには塩崎を可愛がっていてビアンカのところに怒鳴り込んできたヤンキー風美少女・沼田耀子(ぬまた ようこ)もすぐに意気投合して実験に参加してしまうという独特の展開ながら、“学園トップクラスの美少女”なるものが集まって(ビアンカの妹のロッサも合わせて3人)男の子にいい目を見せるという展開はある種ライトノベル的仕様の読み替えには違いありません。

続いて、そろそろ中盤の展開を見てしまいましょう。

「ねえ、先輩」思いきって、わたしは言ってみた。「先輩って、もしかして、未来人じゃないの」
 (同書、p.60)


筒井氏自身の『時をかける少女』のセルフパロディ、あるいは変奏なのは明らかです。

「わたしはずっと前、ちっちゃな頃から、宇宙人だの未来人だのが、わたしの前にあらわれてくれることを待ち望んでいたいたような気がするの。そしてわたしを、この退屈な、フツーの女の子の生活から、男の子っていったらフツーの男の子しかいない現実から、どこか超現実的な、わくわくする世界へつれて行ってくれることを乞い願っていたように思うの。だからこそ、宇宙人や未来人の出現があたり前のように思いはじめていて、実際にあらわれても平気でいられるように、いつの間にか自分を訓練してたんだと思うわ」
 (同書、p.62)


こちらはまさしく『涼宮ハルヒ』的な「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら~」願望ですね。
あとがきの「いとうのいぢの絵を待つために一年足らずの時間が経った」(同書、p.188)という記述から見ても、『ハルヒ』のイラストレーターであるいとうのいぢ氏がイラストを描いているのは計算の上のようです。
他に『姑獲鳥の夏』ネタもありましたが…

それにしても、先輩は登場してから数ページで未来人という正体を見破られてしまいます。そこまでの先輩に関する記述もある種の伏線と言えばそうだったようですが、むろん分かるはずもありません。ビアンカの察しの良さに驚くばかりです。
「超現実的な事態を前にして驚き、信じられない」という常識的な場面なしに進んでいく淡々としたスピード感こそが本作のスラップスティックなユーモアを支えるポイントです。

さらに、未来世界を救うためにやってきた未来人が登場してそこからはSF展開……ではありますが、その内実は巨大カマキリとか人面ガエルといった、B級というのもはばかられるような、恐ろしくないわけではないもののかなりしょうもない代物です。計算の上でガックリ来させているとしか思えません。
しかもそれを相手にしてビアンカ達はそれなりに冒険を楽しんでしまいます。

そう、ここには「未来人や宇宙人の登場を望んではいたけれど、実際に“彼が未来人だ”と言われても証拠がなければ信じられない」とか「実際にSF・ファンタジー的状況に巻き込まれてみると期待とは違う」とかいった『ハルヒ』的契機はありません。むしろ現代人の方が巻き込まれるどころか積極的に未来人の正体を見破り、未来人を利用し、事件を起こします。
これもまた『ハルヒ』的状況の読み替えであり、『ハルヒ』を踏まえてこそ威力を発揮する演出でしょう。

終盤でようやく多少緊張感のある冒険になるも、そこで描かれるのは未来人の虚弱にして惰弱な姿です。
女の子を誘拐してまで手を出すことなく自慰にふける男について、

「そういう男って、あたしたちの時代にもいるよね」耀子も言う。「ほんとの女の子を敬遠して、アニメやラノベなんかの女の子に萌えたりなんかしてさ」
 (同書、p.174)


確かにこれはライトノベル読者に対する批判でもあります。
今ならではの原発事故といったネタも踏まえて、文明の危機と人類の衰退というそれなりに深刻なテーマが描かれるものの、究極的に印象付けられる未来は危機感があるというよりも情けないものです。
最終的に、ビアンカは未来の話などをするのをやめ、現代において勉強して未来を変えることを目指します。

超現実願望などから離れて現実の問題と向き合うのだ――ここにおいて、フィクショナルな世界への願望を持った主人公が同類のヒロインに自己投影して甘やかす『ハルヒ』の構造の鮮やかな逆転は完了し、一気にオタク批判という色が出て来ます。
とは言え、そうした批判は今やいささか凡庸なものでもあります。そもそも、そうした「現実に帰れ」というメッセージを投げかけた『エヴァンゲリオン』がむしろオタク達をますます熱狂させたように、このような批判そのものが今やオタクの世界の一部でもあります。
が、それゆえに本作はやはりライトノベルなのだ、とも言えます。
「中二病的願望を脱して大人になる話」も先例は多々あります。むしろ本作は積極的にそうした系譜の中に位置付けられて評価されるべきでしょう。


ところで、表紙左側やや下よりにも見えるこの動物↓、私にはどうしても実験動物のアフリカツメガエルではなくウシガエルに見えるのですが、そもそもここから生まれた人面ガエルが地上を跳びはねていることを考えると、これはイラストレーターのせいではないと言うべきでしょうか。

ビアンカ・オーバースタディ
 (同書、p.68)

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)
(2006/05/25)
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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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