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やはりここでこれがないと、という驚き――『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語』

普段は1~2ヶ月に一度も映画館になど行っていないつもりですが、にもかかわらず随分前から、映画館に行くたび見ているように感じるCMがあります。長いものでは半年~1年くらい前から見ているような気がしますが…?
『サイボーグ009』の新作映画のCMとか、いつ頃からやっていたでしょうか。

当然と言うべきか『魔法少女まどか☆マギカ[後編]永遠の物語』観てきました。
TVシリーズの総集編ということもあり、公開館は多くはない(京都府内では一箇所)のですが、それにしても予約受付日にはさっそく見る間に席が予約で埋まっていくというのは少し驚きました(それ以前に前売券というものもあったかも知れませんが…)。
しかも現金決済の場合、上映30分前には映画館に行って実際に現金を払いチケットを買わねばならないのですが、45分くらい前に行くともう行列ができていました。
席は予約なのに……と思いましたが、入場者特典(数に限りあり)があるのでしたね。まあ初日から品切れということはないと思いますし、現に手に入りましたが、ただこの特典の引渡しのためか、行列が捌けるのにかなり時間がかかりました。列の後ろの方は上映開始する頃になってようやくシアターに入れたのではないでしょうか(もっとも、まだしばらくは広告ですが)。
先に受付の係員が行列の後ろの方までやってきてチケットをチェックしていましたからね。

その特典というのは特製フィルムコマです。先述の通り、前編を観た人にはこの引換券↓が渡され、

フィルムコマ引換券

フィルムコマ引換券(裏)
 (裏)

今回、後編の入場時に引き換えてもらえるわけです。
フィルムコマというのは以下のようなアニメフィルムの複製です。

フィルムコマ1

場面はループ過去編でまどかが自らのソウルジェムを掲げるところ。
透明なフィルムですが小さいものです(小さすぎて写真が撮りにくいですね)。

フィルムコマ2

というわけで、以下ようやく内容の話です(一応ネタバレ)。



とはいうものの、――ここからはいっそうストーリーの連続性が強く削ったり移動したりできる箇所が少なかったせいか――前編以上にTVシリーズの通りでした。
後編は公称108分、1話実質25分ないであろうTVアニメを4話分合わせても余裕があるはずですが、どこか足されたかというと細部の演出がもっぱらです。というわけで、以下の話も、どこまでTVシリーズと違っているか詳しく確認できないところも多いですね。

まず冒頭、古い映画風にノイズの入ったフィルムが流れカウントダウンする演出(ただし、フィルムの中身は例によってサイケデリックですが)。これが後でちょっと意味を持ちます。

さやかのソウルジェムがグリーフシード化し、そこから人魚の魔女が出現、そこでほむらが登場し杏子を連れて逃げる……という展開は第9話のアバンタイトルそのままで、その後にオープニング(前編と同じ「ルミナス」)も入ります。
戦闘シーンの表現は大幅に変えられているのが分かります。奏楽堂のような人魚の魔女の空間で床が抜けて落ちていくシーンで、杏子達は髪や服がたなびいているのに対し、切り絵のような魔女にはそうした動きがなかったのがTVシリーズでは印象に残っていますが、今回の映画ではそういう様はありませんでした。魔女の細かい動きが増えているように思われます。
後は、杏子の結界の表現もだいぶ変わっているような(未確認)。

なお、杏子がこの魔女の攻撃を受けて血が大量にしたたり落ちるシーンはこのアニメ最大の流血描写でしょう。マミの首が食いちぎられるところも直接描写はされませんでしたし。

杏子が魔女(と化したさやか)と共に散る直前、祈るように自らのソウルジェムを握り締めて掲げるシーンはかなり念入りになっていた感があり、彼女の「聖女」としての最期を強く印象付けました。

――ここで前回の話に少しばかり結び付けるなら、杏子の「自分のためにしか力を使わない」というエゴイズムは、過酷な経験の末に自ら選び取ったことのはずでした。
しかし――これは山川賢一氏の指摘していることですが――グリーフシードに穢れを吸収させて回収するのも、魔女化時のエネルギーには及ばないとは言えキュウべえのエネルギー回収の一環だったとすると、使い魔は倒さずに魔女に育たせグリーフシードを手に入れるのがキュウべえにとって一番の利益だったはずで、結局そうしたエゴイズムこそシステムの利に奉仕していたことになります。「マミみたいな(人助けを優先する)タイプは珍しい」というキュウべえの発言からしても、たいていの魔法少女はそうなるべくしてなっていたのでしょう。本作におけるシステムの描き方の巧妙さはこうした点にもあります。
もっとも、さやかと共に散華したという彼女の行動もまた、まどかを魔法少女にするためワルプルギスの夜への対向戦力を奪うというキュウべえの狙い通りだったわけですが……何とも逃げ場のないこと。
とは言え、――普通なら心中というのは、あまりまともなこととは見なされないとしても――生きていればいずれ魔女化して災厄を生み出すというあの状況で、それを拒んだ彼女の判断力は、否定されるべきものでしょうか。
最後にまどかが魔法少女になる時、マミとともに助言すべく彼女が登場したことからしても、彼女は道を切り開いたのではないでしょうか。

この後、ほむらがキュウべえに「美樹さやかを救える見込みがあったというのは本当?」と尋ねて、上述の――杏子を殺すつもりでけしかけたという――本音を聞きだす場面は、TVシリーズではほむらのアパートでしたが、夕陽で赤く染まった墓場に変更されています。無数の十字架が並ぶ洋風墓場の光景は3DCGで作られており本作らしい見事なもので、さらに聖母らしきものを筆頭に天使、英雄・怪物等の彫刻が映るシーンは杏子の「聖女」っぷりとの呼応を感じさせます。

そして、ほとんど真っ白な中に木の並んだ奇妙な背景の中をほむらが歩いているシーンを経てループ過去編に。ここで冒頭のフィルムがまた流れ、カウントダウンが数字の増える方に逆回しとなる演出が入ります。
ループは内容を増やそうと思えば増やせそうなところですが、ほぼTVシリーズのまま。どころか、パンフレットによればここだけはアフレコの録り直しもなしだとか。

前編のインタビューでも言ったように、この総集編は「もう1~2回ループした世界」というイメージが自分にはあります。だから役者さんたちの演技がテレビとは違うことにも、「ループした別の世界だから」という意味付けがあるんです。まどかたちが同じ時間を繰り返したように、お芝居も同じ場面を繰り返していただくという点でも、そんな意味合いを持たせられるんじゃないかと。でも第10話だけは違っていて、あれは既にあった出来事で、新たなループとは関係がない。だから新たにアフレコをし直す意味付けもないんです。音響監督の鶴岡(陽太)さんも、自分とは違う理由なのですが、「録り直してもあのときの芝居は超えられないだろう」ということで、第10話はテレビのときの芝居がいいと考えていたようです。
 (新房昭之[総監督]インタビュー、『[後編]永遠の物語』パンフレット、p.7)


ほむらがワルプルギスの夜と戦っているところでTVシリーズ「Magia」が流れ、キュウべえがまどかに契約を迫る(TVシリーズ第1話アバンタイトルの)場面も、そして最後に「あなたのためなら、私は永遠の迷路に閉じ込められても構わない」というほむらの決意の言葉で締めた後にTVシリーズオープニングテーマ「コネクト」が入る展開までそのままでした。
これはさすがに少し驚きましたけど、でもここで「いい最終回だった」と言いたくなってしまうこの流れを考えると、やはりこれは必要なんですよね(オープニングが最後に入るのは優れて最終回的な演出です)。しかし「まだ終わっていない」ならここからどう動かすか、というところが味噌なわけでして。私はリアルタイム放送時に言いました(「まどか☆マギカ――メタレベルの戦いを超えて」)けれど、ここで放送が一時中断したのはある種できすぎでした。
TVシリーズのオープニング映像も、コメディ風の箇所は削って新規映像(何人ものほむらが現れるなど)が入ってましたが、一部はそのままで流れます。最後の塔の上のカットもまどかとほむら二人きりという新しいもので、「コネクト」の歌詞と合わせてやはり二人が強調される演出です。

映画で追加された変身シーンですが、ほむらのものはワルプルギスの夜との戦いに挑むところ(TVシリーズ第11話分)で登場、まどかのものはついにありませんでした。
まどかの魔法少女姿が初登場するのはループ編なわけですが、ここは上述のようなわけでほとんど追加なし、最後で魔法少女になるところも、いったん(夢の中で?)マミのアパートでマミと杏子と話をして、現実の場面に戻ると魔法少女の姿になっている、という流れはそのままでした。ただし、世界を作り変える中で最終形態の新衣装に変身するところはおそらく新規映像だったと思います。

そして最後、作りかえられた世界で街の中、ほむらが魔獣に立ち向かい、ふたたび「コネクト」、その後砂漠のようなところで魔獣と戦うほむらと、どこかから響くまどかの声――この辺もやはりそのままです。その後のスタッフロールは完全に白地に文字のみでした。
映画1本の中で2回この曲が締めとして流れるとやりすぎな気もしますが、要るか要らないかと言われるとやはり必要なんですね。

(……)前編の話になりますが、テレビアニメのようにオープニングを入れるのは、一般的な映画のつくりではないですよね。でも『まどか☆マギカ』ファンに喜んでもらうためには、あった方がいい。そうしてオープニングで始まって、前編の最後を「Magia」で締めくくるのも、『まどか☆マギカ』という作品だと、その形が一番よいと思ったからです。後編で「コネクト」が途中で2回流れることも、映画として考えたら、カットしてしまうのが普通なんだと思います。だけど自分もそうだし、映画館に来る『まどか☆マギカ』ファンも、やっぱりあのタイミングで「コネクト」を聴きたいはず。映画という形にとらわれるよりも、ファンに向けてファンが楽しめるものにする、それが総集編をつくる中での根底にありました。この意識は、新作を制作するにあたっても、大事にしたいと思っています。
 (同所)


他にも新房氏インタビューでは、本当は後編は「第10話でほむらが転入してくるシーンから始められたらベストだろうな」、「前編と後編で、どちらも同じシーンからスタートできると、いい仕掛けになるんじゃないかと思った」(同パンフレット、p.6)が、さすがに9話まで前編に入れるのは難しいしできなかったという話もあって、ほとんど同意せざるを得ません。

――ところで、これはTVシリーズから変わらない描写のはずですが、ラスト近辺のほむらはビルから飛び降りて翼のようなものを出して着地していますし(弓矢とともにこれもまどかから受け継いだものでしょう)、現実の兵器を使って戦っていた彼女が最後には抜きん出てファンタジックな能力の持ち主になっているのも興味深いところです。


そして予想通り、スタッフロールの後には続く「完全新作」の予告が来ました。
どうやらまどかによる改変後の世界を舞台にした続編のようですが……?
公開予定は2013年とのみ。TVシリーズ総集編をやって完全新作に繋げるという流れを作った以上、'13年前半には観られると良いように思いますが、こういう場合どうなのでしょうね。

なおパンフレットの虚淵氏インタビューでは「実は三本目の新作で物語は終わりません」等と言っていますが、どうなるのでしょう…


(映画オープニング↓)
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(エンディング↓)
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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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