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それでも生きている――『アラタなるセカイ』

前回までに続き『アラタなるセカイ』の話です。

そう言えば、「今日」を繰り返す、すなわち様々な「今日」の中を町ごと移動しているので、毎日「世界が切り替わる」時には「空が虫食いにあっているみたい」(『アラタなるセカイ』、小説、p.128)になるという設定があります。
それが気持ち悪いとか逆に綺麗だとか言われていますが、具体的な描写はあまりありません。それがアニメでは見事に描写され、なるほどこういう感じか……と。こういうところが実によく嵌まっていたと思います。映像化の難しいネタも多い入間氏の作品に対して(まあ本作の場合、最初から映像化すべく作られたので、そうしたネタを含まないのは当然ですが)結構良いモデルを提供しているのではないでしょうか。

さて、今回は(ようやく)ストーリー面に踏み込んだ話となります。
とは言え、私が独自に本作について論じられることがそう多いとは思いません。以下もいくつかの論点は先行する感想に負っていますが……
いずれにせよ、以下ネタバレです。




小説「現代編」の中盤で明かされる重大な事柄、それはすでに未来人は現代に来ていた、ということです。
いつの日か過去行きタイムマシンが発明されるなら、現代にも未来人が来ていておかしくない、というのは一つの理屈です。実際、入間氏の「未来を待った男」(『時間のおとしもの』所収)は、自分でタイムマシンを作るのは諦めて未来人が来るのを待つ男、というのを一つのテーマにしていましたが…

しかしさらに本作『アラタなるセカイ』の場合、6000年後の未来に発展した文明の行き詰まりの結果として人類は滅亡の危機に瀕していたのであり、未来人は滅亡を逃れて過去にやってきたことが明らかになります。
そして未来人がやって来た結果として過去の世界も文明が急速に進んでしまい、滅亡が早まる。未来人はさらに過去へ……という繰り返しであって、やけに文明の進んでいた2012年の町もそれが原因でした。そんな事態を止めることを主張する未来人・左京山は自分たち未来人を「時間の寄生虫」(小説、p.150)と形容します。

過去に遡って滅亡を防ぎに行く、あるいは未来を守るため未来人がやって来る、という物語のパターンはここで引っ繰り返り、未来を救うためではなく自分たちが生き延びるために過去に逃げ、過去を滅ぼす未来人という業の深い光景が展開されることになります。
と言っても、文明が過剰発展して滅びるには数百~数千年はかかるはずですが、ここでもう一つ、タイムトラベルした者は不老不死になるという異様な設定が登場します(※)。
文明が過剰発展して滅びるまでの何百何千年を何度も繰り返して生き続ける未来人……何ともまあ……

※ 同様の設定は「未来を待った男」にも登場しましたが、そちらでは時間の流れから外れるといった言い方がされていたのに対し、本作では「タイムトラベルによって歪んだ時間が矯正されて消失しないよう、つまり生き延びるために、原因である未来人を『生かしている』」(同所)とか「時間の保護」とかいった表現がなされている辺りは若干異なります。
また、『昨日は彼女も恋してた』『明日も彼女は恋をする』のタイムマシンとの設定の違いは世界によって時間のルールが違うためとホンサン――実は異世界人――は説明していましたが、しかし「未来を待った男」と『昨日~』『明日~』はリンクしていて同一世界の話であるので、少しずつ設定にズレはあります。
人が神隠しのように消えるのも過去に未来人が干渉したため……というのも少し妙な話ではあって、もし過去に遡ってある人の存在が消されたならば、「現代の」人たちは最初から「その人のいなかった」歴史を生きてきたことになり、改変があったことにも気付けないと考える方が普通です。「過去の改変」を「現在進行形で」知覚できるのは――写真の中の自分が薄れて消えていくのを見る『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の主人公のように――タイムトラベラー本人だけというのが無難なイメージです。
しかし、なぜタイムトラベラーにとってだけ過去の改変が現在進行形なのか、というとそこに明瞭な理屈が存在しないことが多い(というより、理屈を付けることはきわめて困難)ですし、しばしば例外も存在したりします。その点で、タイムトラベル物のイメージの延長上にあるものとして、本作にもそれなりの正当さがあるでしょう。

もちろん、未来人たちも自分が生きるのに必死でした。少なくとも新は――そんな悪を急に告白されても実感が湧かないせいでしょうが――責める気にはなりません。

さて、こうなると過去に少年少女が送られたのは人類滅亡の原因を突き止めるため、というのも偽りになります。計画の中心にいる連中(未来人を含む)は元々、人類滅亡の原因を知っているのですから。
実は、過去に行くことになった少年・桐島と未来に行くことになった少女・八草遠い子孫がタイムマシンを発明することになるのでした。

↓パッケージイラストの向かって左が桐島、右が八草。中央が現代編の主人公・中村新です。
アラタなるセカイ

では、二人を引き離すのはタイムマシンそのものを「なかったこと」にしようとする意向のゆえなのか。
確かに物語のキーパーソンである未来人の一人・左京山は過去行きを繰り返す「寄生虫」のような生き方に異を唱えています。しかし彼は今回のタイムトラベル計画の主導者ではありません。それどころか、「少なくとも過去と未来に飛ばした程度の断絶では、なにも起きない。もっと根本的なものを破壊する必要があるみたいだから」(小説、p.186)と発言しています。
むしろ、タイムトラベルした者は不老不死になることを利用して、桐島と八草を「保護」しようとする連中の意向があったようです。
どうやら、二人が出会うきっかけとなった携帯電話こそが「もっと根本的なもの」となっているようで、左京山はこれを破壊しようとします。

未来人による過去への干渉が世界を救うどころか滅亡を早めている中で、過去に遡ってタイムマシンをなかったことにする、つまり過去干渉で過去干渉そのものをなかったことにするという捩れが本作の設定の核心ですが、同時に、そのために奔走する左京山の冒険はほとんど推量するしかない程度にしか描かれないというのがポイントでもあります。
実際、左京山は現代編・過去編・未来編と跨って登場し、過去編と未来編ではまったく同じように登場してタイムトラベラー達を出迎えます(6000年以上の時代を隔てて、背景の街までまったく同じ!)が、左京山自身にとって「どの」左京山が先でどれが後なのかは明言されません。目の前の左京山は「過去へ行ってきた『後』なんじゃないだろうか」(小説、p.199)新は疑ってはいましたが…

この辺に関する設定は普通に考える限り、辻褄が合っているとは思えません。
まず、二人を6000年以上離れた時代に飛ばしても二人の子孫が生み出す事態が変わらないというのがすでに謎ですし(タイムトラベラーは不老不死になるので、過去に飛んだ方が6000年以上生きた後に再会できる可能性はありますが、その場合も「二人の遠い子孫」に関わる歴史はまるで別物になるでしょう)、さらに二人の子孫が生まれることを防ぐためならば「出会うきっかけとなった」携帯電話は出会う前に破壊せねばならないのではないでしょうか。

ただ、本作は――これこそブックレットのインタビューにあるネタバレですが――全て「新の書いた物語」という性格を持っています。新にもよく分かっていないこと、疑ってはいても確証のないこと、「よし、伏線回収」と解決したことにしているけれど本当に結論なのかは分からないことがあります。
そもそも「時間の保護」などというものが働いている(その結果、過去をどんなに改変しようと未来人自身は消滅することはありません)時点で、「過去に二人が一緒にいなければ、未来に子孫は生まれない」といった普通の因果性とは別の理屈が働いているのではないかと疑う余地は大いにあります。
だからといって、どうすれば辻褄が合うのか説明できるわけではありませんが。

いずれにせよ、過去編と未来編でそれぞれ桐島と八草は携帯電話を破壊し、その結果として世界は再編され、新しい世界に辿り着いたらしい、という形で終わりとなります。
ただし、これで世界が救われたとしても、カップルが再開するエンディングだけは禁じられているわけですが。とは言え、別れはタイムトラベルに出発した時点で決まっていたことでもあります。思い出の品まで失うのは思いがけないことでしたが……

しかし印象は不思議に対照的で、過去編で携帯電話を破壊する理由をちゃんと説明され、“彼女に滅びていない世界を遺すため”破壊した桐島が一人残るラストが物悲しくビターな空気を漂わせるのに対し、未来編の八草は理由も分からないまま、タイムカプセルの新の伝言に従って感情を叩きつけるように携帯電話を破壊します。が、その後、新の自主制作映画を観て、彼女たちは次第に涙を流し始めます――最初はその拙さに、「映画について話したこと、ぜんぜん活かされていないよね」と笑ったりしていたのが。

「彼女のため」一人納得して、「僕らはそのために出会って好きになった気がしていたのだろうか…」と言う男と、知らぬ間に贈り物を受け取っている女。マチズモと言えばそうも言える構図かも知れません。
それでも最終的な印象は、別れの切なさではないように思われます。

明日には人類が滅びるため、「明日」から逃げ続けている文字通りの明日なき世界でも、新たちはいつも通りに生き、相応に一所懸命に、映画を作った。それは遙かな未来の友人たちにも伝わったから。
明日の希望があろうとなかろうと、今を生きる――

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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