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『トカゲの王』漫画版ほか

前回までの『アラタなるセカイ』の話に、再考したことも含めて少しだけ言い添えようかと思いますが、ちょっとそれはこの記事の後半部に回します。
ちょうど、やはり入間氏原作の『トカゲの王』のコミカライズ第1巻が発売されたので、まずそちらから。
(原作紹介記事 

トカゲの王 1 (電撃コミックス)トカゲの王 1 (電撃コミックス)
(2012/10/27)
入間 人間

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原作イラストとのマッチ具合で選ばれている感がなくもないコミカライズですが、しかし

・そもそも原作の内容とイラストとの合い具合
・原作の序盤はいまいち(1巻はすべてプロローグ)

ということを考えると必ずしも条件に恵まれてはいなかったかも知れません。
しかし作者の守月史貴氏の紹介には「かわいい女の子と血生臭いものをこよなく愛する漫画家」とあるので、実は作風も合っていたりするのでしょうか。
実際、この巻の内容は原作1巻の途中までで、これだけ読んでもどこに向かっている話なのかまだよく分からないかと思いますが、廃工場を舞台にしたバイオレンス&サスペンスな展開はなかなかよく雰囲気を出しています。
原作の映像化しにくい叙述トリックの要素は一部切り捨てられてはいますが(ストーリー上あまり重要でもありませんし)、基本的には原作に忠実で、廃工場で血腥い殺し合いが起こるだけの話をじっくり描いています。

それから、登場人物が多いので、原作イラストには描かれていない人物も結構おり、その場合はコミカライズ作者が適宜新たにデザインせねばならないわけですが、これも良い味を出しているかと思います。

殺し屋の男「ヘビ」

トカゲの王 ヘビ
 (入間人間/守月史貴『トカゲの王 1』、アスキー・メディアワークス、2012、p.155)

やはり殺し屋の女「カエル」瞳孔がカエルだったり。

トカゲの王 カエル
 (同書、p.115)

もちろんブリキ氏のデザインならまた違った感じになったのでしょうが、作品全体の雰囲気とも合わせるとなかなかよくマッチしているのではないかと。
この巻では終盤に登場しただけですが、実は副主人公のナメクジは原作イラスト通りに可愛いですし。

トカゲの王 ナメクジ
 (同書、p.153)

 ~~~

なお、このコミカライズ作者の守月氏は現在『コミックフラッパー』誌上で『池袋発、全セカイ行き!』も連載中。そちらが単行本化された初のオリジナル作品とのことです。

池袋発、全セカイ行き! 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)池袋発、全セカイ行き! 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
(2012/02/23)
守月 史貴

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池袋発、全セカイ行き!  2 (フラッパー)池袋発、全セカイ行き! 2 (フラッパー)
(2012/08/23)
守月 史貴

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舞台はアニメ・漫画等のクリエイター養成を掲げた高校(専門学校ではなく)「私立池袋創作(クリエ)学園」
気の進まないまま入学させられてしまった主人公・嵯峨重方(さが しげかた)が入学初日に出会ったコスプレ少女は実は同じく新入生にして学園創設者・理事長(小学生の時に学園創設)である宮川姫音(みやかわ ひなり)。他にも独特のキャラを備えた斬ヶ峰雪(きりがみね すすぎ)やどんな声でも出せる才能の持ち主・響ワタルといった濃い面々を集め、世界を目指す……という学園コメディですね。
そもそも世界を目指すといっても漠然としていますし。サービスシーンもきっちり満載です。

 ~~~

で、以下は『アラタなるセカイ』に戻って、ネタバレに関わる話をもう少し。



「未来編」の冒頭に入る新の挨拶と、途中での星ヶ丘(新の映画友達)の台詞で繰り返して「いまを生きるんだ、ってやつです」「今を生きるってやつだよ!」と言われ、「ロビン・ウィリアムズか」と元ネタを指摘するコメントの入るやり取りがあります。
しかし他方で、「ここが未来で、わたしたちはちゃんと生きていて、あの繰り返す毎日よりもずっと有意義な時間を過ごしているのだと、誰でもいいから太鼓判を押して欲しい。今なら、それに快く騙されてあげよう」八草のモノローグのありますした(まあその後で「生きてても、死んでてもどっちでもいいけど……」という八草の発言に対して上記の星ヶ丘の台詞が来るのですが)。
その上で、「未来編」のラストは新の残した映画を観ながら、八草の「私たちには未来がある。明日がある」というモノローグで締め括られます。

携帯電話を破壊するシーンで叩き付けられていた八草の苛立ちは、何のためかも分からず生き、目的も知らされないままに未来に飛ばされ、今度は携帯電話を壊せと言われることに対してでした。
しかし、「何のため」という将来の目的が見えなくても、「今を生きる」ことそのものの価値は揺るがない。その「今を生きる」というフレーズと理念は知っていればこそ、後になって「ああ、あのフレーズの意味はそういうことか」と実感する――ラストはそんな場面だったのではないでしょうか。

「私たちには未来がある。明日がある」も、「明日のない」同じ一日を繰り返す世界との対比で、つまり「明日のない世界での新たちもこの通り生きていたのだ、まして私たちには~」という意味でも取れますが、それよりももっと「生きること」にとって根源的な、目的が見えなかろうが「今日」を繰り返そうが変わらない「未来」の存在、とも考えられるでしょう。


それから、未来編のエンディングテロップ後、八草たちのところから離れた席に携帯電話のストラップを手にした桐島の姿が描かれます。「過去編」のラストも携帯電話を破壊した後、桐島が映画館で新の映画を観ているシーンで終わります。
もしや、世界の再構築により飛ばされた先は時代も違っていて(それぞれ過去編の1714年でも未来編の8012年でもない)、それで合流しているとか…?
ただ、桐島の顔は見えずひっそりといるところは、やはり再会を否定するように思われますが。

過去編と未来編で街の光景がまったく同じというのもその辺に関係があるのかとも思いましたが、しかし過去編は携帯電話を破壊する前の光景なのに対し、未来編は携帯電話の破壊後に飛ばされた先ですからね。
小説ラストに収録されている脚本を見ても、街の光景が過去編と未来編でまったく一致することまでは描かれていませんし、ここはやはり理由を追究するところではないのかも知れません。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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