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日常の臨床、完結――『も女会の不適切な日常 3』

はい、今回取り上げるライトノベルは「日常」を解体・治療する精神臨床小説別の記事にて私が勝手に命名)『も女会の不適切な日常』3巻です。
これにて最終巻ですが、作者のコメントとあとがきを見ても至極満足の様子で、ネタ的にも続ければ新鮮度の無くなりそうなものでしたし、自然な完結と言って良いものと思われます。

も女会の不適切な日常3 (ファミ通文庫)も女会の不適切な日常3 (ファミ通文庫)
(2012/10/29)
海冬レイジ

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とは言え、本作については私の過去の分析はよく嵌まっていたという思いがあり、この3巻は今までの物語の収束がメインであるということもあって、新たに分析して論じることはそれほどありません。
本作がありありと描いてみせたこと、それは「日常」の奥底には“いわく言いがたいもの”があり、その上に築かれた形ある日常世界は一瞬にしてその容貌を変えてしまうことがあること、そして「日常」はありふれたものであるどころか、困難な努力によって摑み取り、維持しなければならないものである、ということです。
(万に一つラカン派精神分析をご存知の型がいたら、「形ある世界」=「象徴界」、「いわく言いがたいもの」=「現実界」と読み替えていただいて結構です)

(過去の巻についての記事 … 1巻 2巻

この巻もその延長上で読みます。
(以下核心部分まで含むネタバレ)


まず、前巻でユーリこと須唐座有理「劇場のアイ・ド・ラ」に覚醒して共に戦う仲間となったところで、廻(リンネ)と愛を除く「も女会」のメンバーがフランシス・ベーコンの言う4つの「イドラ」(英語読みでアイドラ)に対応しているのは、名前からも予想できたことでした。つまり、

 千種エスニカ … 種のイドラ
 大洞繭 … 洞窟のイドラ
 丸瀬市雛子 … 市場のイドラ


と。
さらに「皆で力を合わせて敵と戦う話」の印象を強める要素として、この3巻では「も女会」の新入部員・源ひかるが登場します。そう言えば1巻でリンネに告白していた同級生(男子)が同名の源光でしたが、この新入部員は美少女。はて…?
ただ、彼女と件の同級生との関係は(一応、彼女のバックボーンに関わる設定ではあるものの)それほど重要な伏線ではありません(もちろん、性転換したわけではなく)。
重要なのは前半で明らかになる設定――ひかるがオルガノン・ダイバー(アッパーグラスからの干渉者)を狩る「狩人」であるということです。
「狩人」の話は前巻で出ていましたが、あの時は「狩人」を名乗ったのも「パン・ド・ラ」こと空絽(くうろ)の狂言だっただけに、真相は定かではありませんでしたが……とは言え、「狩人」の存在自体は本当であることを思わせる台詞はありました。

かくして味方を揃えて戦う……となれば普通の話ですが、ただ注意すべきは、「アイ・ド・ラ」こと十和田愛(とわだ あい)はリンネに絶望し、望んで三次元世界を去ろうとしていることも前巻では描かれていたことです。
そして今巻、愛の仕掛けた勝負は一つの罠でした。

 彼女は罠を仕掛けてまで、僕を遠ざけた。僕たちの日常を忘れさせた。
 そこまで徹底的に嫌われて、今さら何をどうすれば……。
 (海冬レイジ『も女会の不適切な日常 3』、エンターブレイン、2012、p.166)


結局、敵は外部にはいません。問題は自分が過ちを犯し、彼女を失望させたことであり、その現実と向き合うことです。
その上で決意し、「も女会」の女子たちを利用するリンネ……女の子に力を借りたり助けてもらったりする主人公はよくありますが、この状況はまさに「利用する」と言うのが相応しいところがえげつない。
あらすじにも「僕はこの世界よりも残酷になってみせる!」とある通り。

どこまでも、日常がありふれたであって異物によって蹂躙されるのではありません。

そして「も女会」メンバーの「アイ・ド・ラ」覚醒について。

「最初に愛さんが作った世界――繭さんが殺人鬼であるような世界は、皆さんの精神を蹂躙しました。心的外傷(トラウマ)を抱えてしまうほどに。心的外傷はそのまま、アッパーグラスにおける想念の強さになります」
「トラウマが……力になる?」
「正確に言うなら、心的外傷に対する反動――心理学でいう〈防衛機制〉が力となるのです。心的外傷から心を守るための自衛本能が、相手の認識に対する強力なバイアスとして、想念のブースターとして作用します」
 トラウマから自分を守ろうとする本能が、力を呼び覚ますわけか。
 (同書、p.215)


もちろん私が用いた意味とは大きく違いますが、1巻時に私が解釈において用いた「トラウマ」が出てきたのを機に私の解釈に引き付けて言うなら、トラウマとは“いわく言いがたいもの”との接触です。
しかし人は“いわく言いがたいもの”だけの中を生きることはできません。たとえ幻想であっても、“形ある世界”を構築する必要があります。ですが同時にそれは、世界の相貌を大きく書き換える機会にもなるのです。
ここに描かれているものこそ日常に「否」を告げ、解体し、再構築する臨床的過程です。


さらに、最後の重要なネタバレですが、「パン・ド・ラ」空絽は実は別の世界のリンネでした。
愛を救うためアッパーグラスをさまよい続け、この世界に流れ着いた。だからこそ彼は愛に執着するのですが、しかしこの世界の愛は、母体内にいた時に母親が自殺してしまって以来、車輪の下の死に引き付けられる運命にありました。
少数とは言え過去に干渉できるものがつねに存在する世界観にあって、たとえばバタフライ効果で小さな過去の改変もどんな影響があるか分からないとしたら、日々どんな改変が生じているやら分かったものではありません。そうなっていないというのなら、本書前半でひかるが説明したように、世界は「柔軟さ」を備えていて、多少の改変ならばその影響は消えてしまうというのが妥当でしょう。ですがそれは、過酷な運命を変えるのが困難であることをも意味します。

「……君たちの世界は彼女の存在を否定する。返してあげたところで、同じことの繰り返しだ。愛はレールに〈引かれ〉てる。もう、存在そのものが不適切なんだ」
 (同書、p.256)


向き合うべき敵は自分の影であり、大切な者のいる日常は苦しい努力によって摑み取り続けなければたやすく失われてしまいます。ちょうど、健康は絶えざる戦いであり、病気は健康にとっての異物としてやって来るどころか、健康を維持するための戦いの産物であるというように。

そのための武器とは――

 ネオ・オルガノンは告げる。人は一人きりで存在するのではない。
 誰かを愛し、愛されることが、彼女をこの世にとどめおく。
 この僕ではなく、生きている誰かの愛情を得て、彼女はこの世に結びつけられる。
 そして、糸は多いほどいい。一本よりは二本、二本よりは三本だ。
 (同書、p.253)


「私のような異分子が紛れ込んでいても、気持ちよく過ごさせてくれました。皆さんが少しずつスペースを融通し合って、私の居場所を作ってくれたんです。貴女たちはとても優しい。それはたぶん、貴女たちが――可哀相な非モテ女だから」
 清々しい顔で最低のことを言った!
「モテてモテて、実際に有能で、本人も自分のことが大好きで――そういう人は他人を押しのけて自分の居場所を作ります。でも貴女たちは違う。誰一人――愛さんでさえ、自分自身を完全には愛せていない。拒絶され、孤立する痛みを貴女たちは知っている。いやはや、よっほど不遇な集団生活を送ってきたんですね。同情します」
 (同書、pp.277-278)


もうお分かりでしょう。構築した危うい日常を維持する鎖、それは他者との絆です。
言い換えるなら、構築された形ある世界は、つねに幻想のごとく崩れ去る可能性もある危ういものですが、それに保証を与えるのが「他者」なのです。

第1巻時点から『僕は友達が少ない』とのある種の呼応にも触れてきましたが、それも最後まで続いたように思われます。『僕は友達が少ない』の8巻も、「友達」と力を合わせて日常を回復すべく歩み出しました。
かくして、「皆と力を合わせる」ことは単に敵と戦う力ではなく、共同性の確立という問題へと通じます。

あとがきでも作者は、かなり野心的な姿勢で本作に挑んだことを告白していますが、それは単なる意気込みには留まらずかなりの成功を収めていると認めて良いでしょう。
『まどか☆マギカ』の影響を受けて「あの手の過激な方法論をライトノベルに応用したくなった」(同書、p.284)などとぶっちゃけてもいますが、これが二番煎じにならない独自の世界を確立しており、たとえば時間のループという題材一つ取っても、ループの展開の読み替えが小説のスタイルに即した妙手であったこと、すでに触れた通りです(まあ、作者が「過激な方法論」と言っているのはむしろ、途中から苛烈で残酷な展開が露わになることを指しているものかと思われますが)。

臨床的に「日常」の核心に挑んだ快作として、記録に留めておきたいと思います。

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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

No title

「日常」の奥底には、「いわくいいがたいもの」があることには同意します。

しかしそれは、そこまでドラマティックなものかなあ、と思わないでもありません。

日常の奥底にある「いわくいいがたいもの」も、「いわくいいがたい」なりに「平凡」で、「退屈」で、「ミもフタもない」ものではないか、とわたしは考えています。

そこで戦いが行われるとしても、それでさえも「平凡」で「退屈」な「ルーチンワーク」ではないでしょうか。

埴谷雄高が「死霊」で書きたかったことのひとつはそれではないかと思います。

もっとも、その直観をラノベにするには、「ドラマティック」に描かないと読者にとっては面白くないだけかもしれませんが。

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まとめ【日常の臨床、完結――】

はい、今回取り上げるライトノベルは「日常」を解体・治療する精神臨床小説(別の記事にて私が勝手に命名
プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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