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個性と公共性

週明けにはきっちり授業があるので、京都に戻ってきました。
そして本日のアクセス数がやけに伸びているので驚きました。

前回の話に少し補足しておくと、ひとしなみに数値目標を達成することに対比して「一人一人の生徒の可能性を見る」と言うといわゆる「個性を伸ばす教育」といったものが想像されるかも知れません。それは一面では正しいとしても、但し書き付きです。
そもそも『暗殺教室』における3-E生徒達の目標は皆揃って「殺せんせーの暗殺」であり(これもターゲットである殺せんせー自らが指導しています)、暗殺が達成できたかどうかは客観的に評定可能です。
各生徒の才能にしても、たとえば野球で「君が剛球投手の真似をしても豪速球を投げることはできないが、肘と手首の柔らかさを使って変化球を投げることには可能性がある」といった話はあります。しかしいずれにせよ、その才能を使ってやるべきことは野球のルールに従って勝負し、勝つことであるはずです。

個性を伸ばす意義はあくまで、普遍的な目標を達成することにあります。
教育の目的とは――アリストテレスの時代から言われているように――「市民」を育成することであり、つまりは公的な人間を作ることだからです。公共性のない個性は不要です。

しかし、それぞれが固有な個人として普遍的な目標を目指すことと、ただ「みんなと一緒」であろうとして、「特別な被差別層」に落ちまいと必死になることとの間には大きな隔たりがあります。
言い換えるなら、「ただ周囲と一様になろうとすること」に本当の公共性があるのでしょうか。

「みんなが勉強しないから、自分もしない」という態度と、一部の逸脱(と見なされる)者をいじめることとは、「みんなと一緒」を求める心理という共通の根を持っています。
それゆえ、学校が公式の「いじめ」を設定し、その基準として成績を掲げるという椚が丘中学校のやり方は、学力向上といじめ問題とに一挙に応えるものとして、現代の状況においては極めて合理的でしょう。
しかしそれで一体いかなる市民が育成されるというのか――

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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