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忘れられる者と覚えている者の孤独――『終わる世界のアルバム』

今回取り上げる小説は先月メディアワークス文庫から発売されたものですが、実は2年ほど前に刊行されたものの文庫化です。

終わる世界のアルバム (メディアワークス文庫)終わる世界のアルバム (メディアワークス文庫)
(2012/10/25)
杉井 光

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作中の世界では、人が死ぬと跡形もなく消滅し、人々の記憶も痕跡となる物も消えてしまうようになっています。
生きている人の記憶もなくなるので、本当に消えたかどうかも分からないのですが、しかし空き家や誰も働いていない会社は増えていきます。死ななくても消えることがあるようで、今では人口も相当に少なくなっている様子。
もう葬式が行われることもなく、人が死んだ人のことを想って悲しむこともない世界――

そんな中、実は主人公は消えてしまった人のことを覚えています。古めかしいフィルムカメラで銀塩写真に残すことが、人の存在を記憶に刻み付けているのか……

ここに強く印象付けられるのは、恐るべき孤独の感情です。
誰にも知られることなく、この世界から消え去る孤独。

ただし、たとえば、誰にも見られず触れられず、逆に他者を見ることも触れることもできない孤独な存在と、そして孤独な者同士の奇跡的な触れ合いを描いていた(ただし、それもいずれ失われてしまうという悲観的な未来を仄めかしてもいた)『銀色ふわり』と見比べるとよく分かること、ここにはさらに複雑な捻れがあることもよく分かります。
現在形で絶対的な孤独の内にある『銀色ふわり』の「黄昏の子供達」と違って、『終わる世界のアルバム』において、消えてしまった当人はもう孤独すら味わうことはありません。孤独なのは、誰とも共有できない「消えてしまった人」の記憶を抱えている主人公の方です。

 みんな、どうしてあんなに平気そうな顔をしているのだろう。こんなにも次々と人や物が消えていっているのに、なぜ変わらない暮らしを笑って続けていられるんだろう。そのうそ寒い違和感は、両親の死以来ずっと抱え続けていていた。その疑問が胸につかえている限り、誰とも親しくする気になれなかった。ロボットの群れの中でひとりぼっちで暮らしているような気分にさえなった。
 でもほんとうはぼくにもわかっている。だれも死んでいないのと同じことなのだ。だれかが死ぬたびに、その人が最初から存在しなかったかのように世界が丸ごと造りかえられているのだから。そこでぼくは『世界が先週の木曜日に猫の女王様によって創造された』という哲学手与太話を思い出す。あらゆる偽物の記憶と経験と歴史とを含めてその宇宙ぜんぶがほんのつい最近生まれたのだとしても、そこに生きる人間には偽物だとわからない。
 だからたまに、不安になる。ぼくが抱えている死人の記憶と写真だって、ほんんものとは限らないからだ。ぼくはたった一枚の両親の写真と、父と母の死の記憶を持たされ、十二歳の六月に、この一軒家と一緒に忽然と発生したのかもしれない。その否定証明は、だれにもできない。
 (杉井光『終わる世界のアルバム』、アスキー・メディアワークス、2012、p.37)


そんな中で主人公は、誰にも言えないまま悲しみを押し込めて、平気な様を装ってきました。

 ねえ、莉子。きのう言っていたよね。この現象が、神さまからのプレゼントなんじゃないかって。別れが人間を哀しませないように、忘れさせてくれているんだって。それは嘘だよ。だって、そんな必要ないんだ。神さまの余計なお世話なんてなくなって、ぼくは自分の心を一滴もこぼさないまま持っていられる。ただ、距離を保つだけでいい。カメラのピントが合わせられるほどの距離を、だれとの間にも置くだけでいいんだ。(……)
 (同書、pp.29-30)


けれども、そうして“あの人が消えても何でもなかった”と思い込んでいくことこそ、実は残酷なことではないでしょうか――それが物語後半で問われます。
死者を覚えておく、心の中に留めておく、それは素晴らしく、大切なことだと考えられています。それで悲しむことも否定されるべきものではないでしょう。けれども、そこから生まれる途方もない孤独と残酷さもある……

普通の「消える」現象とは逆に、(主人公を含め)誰も何者だか覚えていないのに教室存在していた少女、水島奈月と主人公との関係も、ほぼ予想される通り。そして、事態に抗う術はありません。
ただ「喪うことの痛み」と向き合うことになる切ないラブストーリー。


作者の杉井光氏がこうした――実はライトノベルにおいて広く見られるものだとも指摘される――孤独の感情という問題意識を持っていることが、本作にはとりわけ鮮烈に現れているのではないでしょうか。
代表作と言える『神様のメモ帳』(実は私、これも未だに最初の方しか読んでいませんが)でニート達の共同体を描いていたのも、そうした孤独の中から共同性を摑み取ろうとする意識があってものものと思うと、いっそう味わい深いものがあるように思われます。
やはり同作者が現在刊行中の『生徒会探偵キリカ』もコメディ色の強い作品ですが、生徒数8000人、生徒会予算8億円という巨大学園を統括する生徒会を舞台にしながら、主人公と「保健室登校ならぬ生徒会室登校」のヒロインとの関係という、いささか特異な共同性の問題がやはり存しているようですし。


神様のメモ帳 (電撃文庫)神様のメモ帳 (電撃文庫)
(2007/01/06)
杉井 光

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生徒会探偵キリカ1 (講談社ラノベ文庫)生徒会探偵キリカ1 (講談社ラノベ文庫)
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(この曲はなんとなく連想)

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コメント

No title

主人公が「思い出」を残しているのは、「『悲しんでいる孤独な自分』を、一種の特権的立場として楽しんでいるから」ではないのか、と考えることもできるような。その場合、「残酷」の意味とはなんだろうか、「孤独」の意味とはなんだろうか、と考えるのが哲学ではないだろうかと思いますです。ニーチェを読み返さねば。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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