オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
選挙は行われない論
とは言え、こうも急だと声をかけても都合が合わない人の方が多いので、そう人は集まらず。
私が“隣の研究室に知り合いがいるかも知れない”等と言って扉を叩いたのを端緒に、同じ階の研究室に声をかけて回り、結局6人を集めました。
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さて近々衆議院総選挙とのことですが、私はほとんど期待する気になれません。
どこの党とどこが合流だ、選挙戦のためどことどこが組む、と言った政局話を聞いていれば、政治方針よりも「選挙に勝つことそのもの」が優先しているのはあまりにも明らかだからです。
もちろん、党の結成や解体はあっても良いし、場合によっては必要でしょう。しかし結局、党の集合離散に合わせて公約がすぐ変わるのであれば、方針などどうでもいいのだと判断せざるを得ません。
他方で振り返って考えると、民主党政権になってから3年で、民主党の当初の公約はほとんど全て破棄されました。
政治家の公約が嘘であるのは周知の事実であるとは言え、ここまで「嘘しか言わない」のは稀有な例ではないでしょうか。
本来、ある公約を掲げて選挙に当選した以上、それを破棄するならば議席を捨て、政権を降りてふたたび選挙で信を問うのが「民主的」議会政治の基本中の基本です。
まあ実際には、日本ではこの基本を守らないケースは珍しくなかったものの、震災があって、「この状況下では選挙は実施できない」となったのが、「方針をことごとく変えても居座ってよい」というムードを助長した感もあります。
しかも、「状況が変わったからやり方を変えねばならない」とか「以前の判断を見直す必要がある」のは分かりますが、事態がどう変わったのか、以前の判断をどう見直すのか説明する気も、最低限の筋を通し基本理念(おそらく、そんなものはないのでしょうが)を守ろうとする気もないようです。
「以前の判断がなぜ間違っていたのか、それを踏まえて考え直す」のでなければ、「今度の判断」の当否をどう判定すれば良いというのでしょうか。
(もちろん、本人がいくら内心で反省していると言ったところで無意味です。政治家の仕事はそこで説明することです)
そして、これが今までは稀有な例であったとしても、今の政局を見ていると、次に政権を取る党も同じように、公約などいくらでも引っ繰り返すのだろう、と思わずにはいられません。
原発推進か反対か、といった「流行のテーマ」については、とりあえずどちらかと言わねばならないのは当然ですが、そんなものはいつ撤回されるか分かったものではありません。
「この場での人気取り」で言っているのではなく、全体としての長期的な国政のビジョンがあるかどうかが問題です。しかし――
(1) そんなものを持っている候補者はいない。
――今までいなかったものが急に出てくることは考えにくいでしょう。
(2) いたとしても、有権者がそれを知ることはできない。
――今の公職選挙法では選挙活動期間は短く、広報の手段は限られており、候補者に直接質問して詳細を問うことすら事実上できません。選挙民に候補者のことを知らせず、上っ面で候補者が選ばれるよう体系化されているのです(無論、このシステムにより人材が生まれなくなった、という面もあるでしょう)。
というわけで、その名に値する候補者はおらず、候補者なしの選挙というものは不条理である以上、形式上「箱に名前を書いた紙を入れる儀式」が行われても、実質上の選挙と呼ばれるべきものは行われない――私は半ばそう考えています。
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さらにいってしまえば主権の全面的委譲はホッブズの理想論と違ってヒトラーやスターリンを産んでしまうのも事実。
議会制民主主義以上に納得がいく「統治される」方法を見つけ出せない以上は、今あるものでガマンするしかありません。
とほほほ。