オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
感情と生理的身体――『B.A.D.』シリーズ
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さらに今回は変則的に、内容紹介の前に、いきなり1巻のあらすじにも入っている台詞の引用から始めてみます。
「理由なく人を殺せるくらいでないと、狂っているうちには入らないさ」
(綾里けいし『B.A.D. 1 繭墨は今日もチョコレートを食べる』、エンターブレイン、2010、p.82)
しかし、「理由なく」とはいかなる意味でしょうか。
「なんとなくそうしたい気分である」とか「考えるまでもなくいつもそうしている」といった理由もなければ、人は起き上がることすらできません(前頭葉に損傷を受ければそのような人間が出来上がります)。その意味では、いかなる人も「理由なく」何かをすることはできないでしょう。
一般的に上記のような台詞が言われる時に考えられているのはそういう意味ではなく、「他人に理解できる理由なく」という意味と思われます。
つまり、本人の気持ちといった「内的」な理由ではなく、「外的」な理由です(この「内」と「外」の区別に関しては「動機の「内」と「外」」や「ある内的必然性」を参照)。
ですが、再三言ってきた通り、これはむしろ「狂気」というレッテルの定義です。
つまり、人が重大なことを行い、しかもそこに自分の理解できる理由が見当たらない時、人はそれを「狂っている」と呼んで自分の世界から遠ざけようとするのです。
しかし、そうした理解がどこまで妥当かは大きな問題です。
その点で、本作の狂気に対する洞察は、それほど深い味わいのあるものとは思いませんでした。
ただし、『B.A.D.』の場合、具体的な描写と照らし合わせて、そもそもそうした理由の「内外」の区別がどこまで有効かは問題になり得ます。
本作の主人公・小田桐勤(おだぎり つとむ)は腹に鬼を孕んだ青年であり、この鬼は人の感情を食って成長するので、物語の山場では鬼が引き寄せた他者の感情や記憶を小田桐も味わうことになります。
そのため、基本は小田桐の一人称で描かれながら、他の登場人物の事情が、まさに人物の視点からありありと描かれるのです。
これは単に「その人がいかなる事情を抱えているのか“説明”する」というに留まらず、強い情感を伴って描かれます。
登場人物達は様々な理由で陰惨な事件を起こします。
哀しい事情を抱えた人もいますが、同情の余地のない悪党もいますし、その事情が分かったところでやはり「理解しがたい」場合もあります。
「こんな事情があったのなら、これだけの事件を起こしたのも分かる」というケースばかりではありません。
それでも、その人を駆り立てていた独自の感情の力ははっきりと描かれています。
「外的に理解できる」ものではなくても、それを「理由」であることを自然と認めたくなるほどに。
これを改めて最初に引用した台詞と照応するならば、誰も理由なく行動することなどできず、つまり誰も「狂う」ことなどできない、それが『B.A.D.』の世界なのではないでしょうか。
実際、件の台詞の直前にはこうありました。
「(……)あれくらいなら、理解の範疇だ。『嫌いな人間』に『不幸になれ』と思うのは、ある意味、最も健全な反応だからね」
(同書、p.81)
本作において、好悪のような感情が人を動かす「理由」であるのは、至極当然のことなのです。
そしてまた、この誰も真に狂うことなどできないというのは、本作のヒロイン(?)繭墨あざかの「まとも」か否か等には無頓着な視点を表してもいます。
感情と並んでもう一つ、本作に生々しさを与えているのは、毎回のように血や臓物の飛び散るグロ描写です。
空から内蔵が落ち、髑髏が笑い、人肉を食うといった題材に加え、主人公の小田桐は腹の鬼が出てくることによってしばしば腹を裂かれます。そもそも、男が腹に何かを孕んでいるということ自体、何とも言えぬ生理的な感情に訴える不気味さがあります。
その上、繭墨あざかはゴシックロリータの服装に赤い唐傘(アンブレラでないところが独自なポイントでしょう。一応理由もあり)、一人称はボクという少女ですが、チョコレートしか食べないという異様な偏食です。
繭墨は、極端なことを言い再びチョコレートを齧った。唇の間で、暗褐色が崩れる。
「今度は子宮だそうだよ。なかなか面白くなってきたじゃないか」
それは乾いた血の色に似ている。嫌な創造が脳裏をよぎり、僕は首を振った。そう、例えば人の臓器で言うなら……。
「胎盤? 似てるかな、似ていないね?」
(同書、p.9)
チョコレートを胎盤に喩える辺り、食欲を無くさせる生理的感情への訴えはここでもきっちり生きています。
こうした描写が、身体を介して生の感情に訴えます。
そして、そんなグロ描写と物語の残酷さが合わさりながらも、奇妙に美しいイメージが展開されているのが、本作の見事なところです。
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