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何を学べるのか

正規の予定によれば冬期休暇は12月28日から、つまりその前日27日までは授業があり得たのですが、さすがに先生の方もやりたくないというのが実情のようで(これが予備校の先生であれば、年末年始は受験前の追い込みシーズンで仕事が当たり前ですが)。
そんなわけで、私はどうやら27日まで授業に出なくて済みそうです。まだ来週火曜日には1コマありますが…(24日月曜日は休み)
なお京大文学部の伝統に即せば一足早く終わって当然。

そんな中、本日はシュメール語の授業で実習をやりました(そんなものも受講していたのです)。
実際に粘土板に楔形文字を刻む実習です。
残念ながら油粘土なので、焼いて固めるわけにはいきませんが…

楔形文字

この写真は私が作成したもの。
教室内でも注目されるくらい綺麗な出来となりました。
もっとも、本物はもっと細かい字を彫っているとか…

 ~~~

久々の新書も。

アメリカが劣化した本当の理由 (新潮新書)アメリカが劣化した本当の理由 (新潮新書)
(2012/12/15)
コリン・P.A. ジョーンズ

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東北大学大学院法学研究科とデューク大学ロースクールを修了、アメリカでの弁護士活動とともに日本の同志社大学法科大学院でも教鞭を取っているという著者による、「最近、アメリカはどうかしている」(p.3)で始まる1冊。
「どうかしている」理由はアメリカは民主主義に問題があるからだ、というのが著者の主張です。

 アメリカといえば民主主義の元祖か権化か代表のように捉えられがちだが、実はそんなことはない。「アメリカ=民主主義」というのは虚像である。それを検証することが、本書のテーマだ。
 (コリン・P.A. ジョーンズ『アメリカが劣化した本当の理由』新潮社、2012、p.4)


複数の国々(=州)の「条約機構」として成立したという合衆国憲法の実態、そもそもさほど「民主的」でもなく「本国イギリス人並」の待遇を求めて起こされたアメリカ独立革命、憲法によってかえって保障される一票の格差、非州地域(ワシントンDC、グアム、プエルトリコ等)の人々には連邦議会に対する選挙権がない、今でも合衆国憲法に形跡を残す奴隷制度の影等々…
きわめて興味深いトピック揃いです。

ただ、これらがどこまでアメリカが「どうかしている」理由となるのかは微妙な面もあります。
アメリカ成立の歴史上、民主的ではない事態が色々あったとしても、それゆえに「今も民主的でない」ということにはなりませんし、一票の格差や参政権のない国民という問題も、民主主義がありながらそれを徹底できない、という事態とも言えます。それに何より、現在のアメリカの様々な問題はそれらの事態を原因としている、ということが示されているわけではないのです(他方で、大統領に集中する巨大な権限などは、アメリカの戦争好きを考えると問題と思うに十分です)。

とは言え、アメリカではオバマケア(医療保険に関する制度)という具体例のエピソードを引いてこう書かれています。

 この話を聞いていたバスの運転手は、「アホらしい」とつぶやいた。私は、その反応はとても健全だと思った。
「リビングルームに座っているだけでも各州間の通称に影響が及ぶ」といった憲法解釈を議論の出発点にしなければならなくなった状況と、その結果として「連邦政府が“買え”といっている商品を買わなければならない」という状況。いずれも、本来なら憲法が保護すべき一般の米国民からアホらしいと思われて当然だ。
 (同書、pp.241-242)


そして、本書を読んできた読者には、この「アホらしい」事態がアメリカの法制度によって生じたものであることが分かるのです。

最後に、著者はこう言っています。

 アメリカの民主主義から学べるものがあるとすれば、次のことだと思う。
 一般論として、法律は多くの場合、他人を対象に作られ、他人に対して適用・執行されるものだ。たとえば、「これこれの行為は、法律か条令で禁止すべきだ」と要求する人たちは、自らは問題の行為をしているつもりがない。他人事だからこそ、法律で対象の行為が制限されたり、刑事罰の対象にされたりしてもかまわない。
 本書で説明してきたように、アメリカの憲法は“条約機構”として発足したという性質上、地平線の彼方にある“他の州”や連邦政府、つまり「他人」を対象に作られた側面が多い。“われら合衆国の国民は”で始まる憲法の中にも、「奴隷州対非奴隷州、州対連邦」など対極的な構造を取っている部分が少なくない。どの国の憲法にも市民対公権力など対極的な性質はあるが、アメリカの場合は、連邦制の関係で地理的な対極を想定している部分が多い。
 (……)
 司法中心、議会中心、地方自治中心、民主主義にはさまざまなパターンはあるかもしれないが、どんなパターンをとったとしても、“他人事”と考えてはいけないと思う。他人ばかりを対象に作られたはずのルールが、いつの間にか自分の自由までを束縛することになるからだ。
 すべてを雲の上にいる政治家、官僚、裁判官に任せっぱなしにしてしまうと、彼らも様々な対策や決定を“他人事”として処理するので、結果として自由が束縛されるのは任せた方の市民だけになる。日本の場合、その弊害は官僚国家型の法律制度に表れているだろう。一方アメリカの場合、これまで本書で説明してきたように、それは建前上“限定的”であっても実質上は無限に近い連邦政府の権限と、最終決定権が国民ではなく裁判官にある訴訟大国の現状に表れると思う。
 (同書、pp.250-252)


自分が束縛される側になるとは思わず、「規制し、束縛すべきだ」と主張して、自らを縛り上げる人達。
人が様々な形で自ら望んで権力に伏すること、ここでもしばしば論じてきた通りです。

 憲法は所詮テキストにすぎない。北朝鮮のような国にも立派な憲法がある。憲法は政治や社会情勢次第で空文化しやすい。憲法を実現するための立法、憲法を解釈する判例も然りである。
 奴隷制という「汚点」があるにしても、合衆国憲法の中にはそれなりに美しい理念が繁栄されているだけではなく、それが空文にならないために努力したアメリカ人は今も昔も少なくない。南北戦争以前に奴隷制を禁止した州があるのは、理念に基づいてそのための努力をした人々がいたからだ。分離平等制作の撤廃も、白人男性以外のアメリカ人が参政権を獲得したことも、そこには多くの人々の理念に基づく努力があった。ここでは違う意味で、「民主主義は他人事ではない」といえるかもしれない。
 (同書、pp.253-254)


理念は正しくても現実は往々ににて問題だらけ。
しかし、空虚な形式ではなく「理念を学ぶ」のは難しいことです。

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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

はじめまして

哲学科出身の者です。無宗教です。ですが、「未来の神インターネット教会」というブログをやっています。宗教団体ではありません。友人が冗談で付けた名前です。個人のブログです。ここに「新・世界平和の哲学」という文章を書いています。お暇なときに読んでください。失礼しました。

No title

インターネットに神性があるかないかといわれたら、わたしは「ない」に一票だな。

管理人さんは?

Re: No title

なぜその問いが出てくるのかよく分からないので、何と答えて良いものやら。

ある種の人々が神性なるものを読み込むことならあり得る、と答えておきましょうか。
それ以外の意味であれば、「神性」の意味をはっきりさせないことには何とも。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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