スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

叱り方と体罰

私の中学時代、生徒への罰則は「基本的に体罰です」と宣言している先生がいました。
曰く、

「お前らは頭がいいから、“こんなことやったらダメだ”って言われなくても分かってる。理解してることを言ったってしょうがないからな。だからシンプルに罰を与える。これが学校によっては理解って何だ、ってことになるんだけど」

体罰の内容も拳骨一発と決まっていました。
しかも割と陽気な先生で、怒っているところはあまり見た覚えがありません。「怒ってるのではなくて、けじめとして決められた罰を与える」という姿勢ははっきりしていたと思います。

実際、たとえば課題をやってこなかった場合、「何でやってこないんだ」といったことを言う先生もいますが、そう言われても考えられる回答は――

・たんに失念していた
・諦めた
・この教科そのものをナメているので、やらなくていいと判断した

この三つからして明確に区分できるとは限らない気もしますし、他にも考えられるかも知れませんが、それはさておき、上二つの場合、「課題はやってこなくちゃダメだろうが」と言っても、それはもう分かってるんですね。これが「何で宿題ってやらなくちゃいけないんですか?」というレベルの生徒が相手なら話は別ですが。
三つ目にしても、そこまでの信念を持っているなら言われて変わる可能性は低いでしょう。中高生ともなればその辺はもうちゃんとしたを持っていますから。

ルールやマナーの問題にしても、「こんなルールは不当だと考えるから、体制への反抗として破る」とでもいう生徒がいれば、それを力で押さえ付けるのはよい教育とは言えないかも知れませんが、進学校の優等生たちの中でそんなロックンローラーみたいな生き方をしている奴を見た覚えはありません。

そういう状況では、「決まった体罰を与える」ことの意味は非常に明瞭で、受ける側としてもある意味ではネチネチ言われたりするとすっきりしたものでした。
急に激怒して怒鳴りつけたりのは、むしろ体罰を振るわない先生の方にいた印象もありますし。


叱るということに関しては、先日触れた『教室内カースト』にもこんな箇所がありました。

加藤先生:あとは、多いのは学習面。だから提出物系で持ってこないとき、勢力強い子と弱い子が提出物持ってこないときの対処の仕方って全然違いますね。
――:何が違うの?
加藤先生:勢力弱い子は、言い訳しないですね。「あー、あー、すいません。いや、はい、次絶対持ってきます」って言うんだけど、持ってこないからこっちもイライラして、チビチビチビチビ文句言う的な指導になります。強い子の場合は、「おい、持ってこいって言ったでしょ!」って言ったら、「いや、違うんすよ。家の前まで(持ってきたけど)、玄関に置いてきちゃったんですよ!」とか言うんですよ。「いやいや、お前それで玄関に置いたプリントどうしたんだ?」って聞くと、「いや、玄関において忘れてきちゃったんです。だから、決して宿題やらなかったわけじゃないんです」とか言ってくるんですよ。それで教室の中が爆笑とかになって、こっちも怒る感じじゃなくなって、「あー、わかったわかった。次から持ってこーい! もう行け!」みたいになっちゃうんですよね(笑)。

 (……)
 加藤先生はどんな生徒に対しても、決して「ひいきはしない」という信条を持っており、「生徒への対応に違いが出ないように心がけている」ということをインタビューで語っていました。話を聞いていると、生徒からの人気もあり、信頼も厚い先生なのだということがよくわかります。
 そんな信条を持つ加藤先生でも、「スクールカースト」の上位に位置づけられる生徒は教師への対応がうまいため、ついつい、いろいろなことを許してしまいがちだと言っています。
 (鈴木翔『教室内カースト』、光文社、2012、pp.237-239)


現に「信頼も厚い先生」であるということは、これは良い方の例なのかも知れませんが、それでもこういうことで軽く済ませられるというのはあまりいい話とは思いません。
「どう叱るか」「どう処分するか」の原則が決まっていればこうはならないのですが、しかしそこで上の話になるわけで、さて宿題を忘れた生徒に言って意味のあることは何か、と。
(もちろん、「ひいき」ではなく生徒によってそれぞれ効果を発揮するよう「対処法を変える」という考え方はあり得るでしょう。しかし、ここではそうではない方針を取る先生が問題になっているのです)

まあ、私の経験は進学校で生徒たちが「頭がいい」ということを前提した話ですし、ここから必ずしも一般論をぶつつもりはありません。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

No title

問題は、むしろ「体罰」がイコール「恐怖」としてインプットされてしまう生徒をどうするか、のように思います。

「体罰=恐怖」という生徒は、そもそも教師がなにをどうしてほしいのか考えるだけの精神的余裕がありません。である以上、どうしても対応が、顔色をうかがってその場をしのぐタイプのものとなりがちです。ルールを理解していないでゲームに臨むわけですから、当然のごとく同様の失敗をしでかして体罰を受け、さらなる「体罰=恐怖」のスパイラルにハマっていきます。

そうしたタイプの生徒のことを考えると(知能の優劣は別として)、体罰が体罰として教育的に有効であるための条件は、「体罰が恐怖をもたらさないこと」、すなわち「体罰が体罰でないこと」に行きつくのではないかと考えます。

こうした視点から体罰で自殺してしまう生徒のことを考えると、体罰が体罰として機能するという状態が成立するということは教育的に考えてマイナスの影響しかもたらさないのではと思えてなりません。

少なくともわたしはそう考えてあのショートショートを書いた次第であります。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。