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『西遊記』的イメージの問題

とある席で聞いた話ですが、福沢諭吉の『福翁自伝』をベトナム語に訳している方のことが新聞でも取り上げられていたとか。
その記事には、近年は中国でも福沢が注目されているとかいった話が肯定的に書かれていたようですが、それを見て歴史を専門としている方々曰く――

「『福翁自伝』なんかにある福沢の思想は色々批判も浴びて、近年ようやくそれを踏まえた上で中立的な研究ができる状況になってきているのに、こんな風にたんに素晴らしいものだ、と書かれると違和感が」
「中国の若い人たちのための道徳、って言うならマオイズム(毛沢東主義)があるじゃん(笑)」

これは100%冗談でもなくて、無批判に称揚している限り、福沢の方がマオイズムより素晴らしい等と簡単には言えないのです。
人間の言うこと、誰しもおかしな点の一つや二つあるのは当然で、それを批判的に捉えた上で何を学び、継承することができるかが問題なのです。

そう言えば、「倫理」等の教科書における記述も、何かと「先哲の思想は素晴らしく、ありがたいものだから学ぶべし」になりがちでした(『教科書の中の宗教』を取り上げた記事を参照)。

まあ、新聞記事の限られた尺ではそうそう突っ込んだ話ができないのも仕方ないかも知れませんし、教科書がおかしいからと言って現場の先生もおかしいとは限りません。
まして専門家にはもっと批判的に、真剣に考えている人たちがいます。
とは言え、学問は専門家だけのものではなく、一般人に伝えることも重要なのも事実。話を圧縮するとどうなるか、というのは一つの傾向を示していないか、と考えてみる価値はあります。


「ありがたい教え」というと、『西遊記』「天竺にありがたいお経を取りに行く」を思い出してしまいます。
実際、冒険物語である『西遊記』では、お経を読んで研究しようとしているはずの玄奘三蔵はさっぱり頼りない人物ですし、当の「お経」の内容などはほとんど問題になりません。

ドラマだったかアニメだったか、どのバージョンの『西遊記』なのかもう忘れましたけれど、魔物たちが「ありがたいお経を天竺から持ち帰られたら俺たちは終わりだ」と恐れて、三蔵法師を襲ってくるというのがありました(原典では、魔物たちが三蔵法師を狙うのは「坊主の肉を食べると長生きする」といった理由ですから、多分脚色だったのでしょう)。
この場合、「ありがたいお経」は要するに退魔の呪文のようなもので、これを読めば魔物たちがパーッと昇天していく……といったイメージなのでしょう。

「思想を取り入れること」がしばしばこのイメージで考えられていないか、というのは少なからず気になります。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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