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偽りと疎外

(……)偽る者とは誰か。イエスがキリストであることを否定するものではないか。御父と御子を否定する者、それが反キリストである。御子を否定する者には御父もなく、御子を宣言する者には御父がある。
 (新約聖書『ヨハネの第一の手紙』、第2章22~23節)



さて、フランスの哲学者ミシェル・アンリ(1922-2002)は、晩年には独自の福音書解釈に基づく宗教哲学を展開します。
彼の哲学においては、神とは「生」――それも「絶対的生」そのものであり、絶対的生によって与えられてある限りにおいて、われわれ人間の生もあるのです。それが、人間は「神の子」であり「天」に「御父」がある、ということの意味とされます。
それゆえ、「反キリスト」とは生を否定する者です。
しかし、それが「偽る者」であるとは、どのような意味でしょうか。

アンリ晩年の「キリスト教三部作」とも言われる著作の第一弾『われは真理なり』の結論部は、現代の科学技術世界を論じています。
たとえば、超音速戦闘機が登場した時、どうやってパイロットの訓練をするかが大きな問題になりました。そこで発達したのがシミュレーターです。
シミュレーションはあらゆる感覚を、“あたかも本当に飛行機に乗っているかのように”再現することができます。

 さて、技術・科学世界において軍事の領域のみならず、社会的関係、たとえば男女のエロス的関係にも応用される手段となったシミュレーションを想像してみよう。そして、シミュレーション・ボックスを初めて利用する人のことを仮定してみよう。するとここで彼は、パイロット候補生のようにある状況に置かれる。女性の身体の見せかけがしだいに彼の前にその様々な姿を展開すると。それもスクリーン上にではなく彼の指の下に、彼の手や身体のそれぞれの動くたびに女性の身体の新たな面が見付かり、そこに女性の身体の運動が――彼の愛撫に女性の愛撫が――対応する一方、彼の内には一連の前もって示された欲望や性的興奮を惹起する感覚が呼び覚まされるような仕方で、である。エロスのシミュレーション・ボックスの使用者にとってその時、ある種の存在論的逆転が生じる。(……)[「偽預言者たち」と「偽メシアたち」は]男女が行うことの全てを行う並外れた機械を作る。それは男女たちに自分自身機械であると信じさせるためなのである。
 (Michel Henry, C'est moi la vérité, Paris, Seuil, 1996, pp.343-344)


これこそ「偽り」である、というわけですが、現代オタク文化に見られるような二次元志向に馴染み深い人間としては、少々古いというか素朴なイメージのような気もします。
つまり、「偽り」は本物と見分けがつかないほど強力である、とは限らないように思われるのです。
例がちょうどエロスですし、その方向を引き継ぎますけれど、二次元の美少女は現実に似てはいません。
想像力を働かせる余地がある方が好まれることもあります。

とは言え、「スクリーン上」の視覚情報ですら不要である、となれば結局、ポルノ小説という昔から存在したものに行き着いてしまうわけで、特に現代の問題でもなくなってしまうのですが――

まあしかし、他方でフィギュアとかメイド喫茶とか、(『萌え経済学』の森永卓郎氏の表現を借りれば)「二次元」を「三次元化」しようとする方向もたしかに存在するのですね。
そして、AKB48の峯岸みなみが丸坊主にして「男女交際」を謝罪した件は、気が付けばこれがさらなる段階に進行していたと思わせるのに十分でした。
あれが本人の自主的にやったことかそれとも命じられてやったことなのか、罰として重いか軽いかという以前に、この事態は、AKBのメンバーがいかに実生活まで外面上のイメージに合わせることを求められているか、を示しています。

アイドルも映画スターも数多く虚飾のイメージに彩られてしました。
しかし、普通は実態と乖離した見せかけを纏っているからこその虚飾です。
それがこの場合、実生活まで外向きのイメージに合わせなければならない――少なくともそういう空気が存在しているようなのです。

実生活、すなわちまさしく質的なが外向きのイメージという「偽り」に乗っ取られること、これこそが生の「疎外」というものでしょう。


われは真理なり 表紙

(↓英訳。邦訳は今のところなし)
I Am the Truth: Toward a Philosophy of Christianity (Cultural Memory in the Present)I Am the Truth: Toward a Philosophy of Christianity (Cultural Memory in the Present)
(2002/10/17)
Michel Henry

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「疎外」論について詳しくはこちら↓
マルクス―人間的現実の哲学 (叢書・ウニベルシタス)マルクス―人間的現実の哲学 (叢書・ウニベルシタス)
(1991/04)
ミシェル アンリ

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【追記】
『前田敦子はキリストを超えた』等という珍妙な本が出ているのは――まあ変な本は珍しくもないものですが――皮肉なことです。
というのは、上述の理屈に従えば、AKBにはむしろ反キリスト、偽預言者――黙示録に言う「獣の像」の名こそ相応しいことになりますから。

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
(2012/12/07)
濱野 智史

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Author:T.Y.
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