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なぜボスは強いのか

どこまで過去に書いたことがあったか曖昧に時々なりますが、『侍戦隊シンケンジャー』の特徴の一つは、「敵の方が強い」という戦隊物の暗黙の前提を突き進めたことでした。
「仲間と協力して戦う」のが戦隊物の基本であり、チームワークを乱す奴が戒めを受けたりしますが、それはつまり「一人の怪人に対して皆で協力しないと勝てないほど、敵の方が強い」ということです。

『シンケンジャー』の場合、これは非常にはっきりしています。
もちろん、敵の「外道衆」にもピンからキリまでいますから、普通に実力でシンケンジャーに劣る者もいますが、外道衆の「御大将」血祭ドウコクに関しては、先代シンケンジャーが壊滅寸前に追い込まれ、先代シンケンレッドが命と引き替えにやっと封印したという相手です。
また、1年間番組をやっていればたまには「同等かそれ以上の相手と正面からぶつかって勝つ」という展開がありそうなものです。漫画ですけれど、『ジョジョの奇妙な冒険』でも承太郎がDIOに最後は「てめーはおれを怒らせた」で打ち勝ったように。
しかし、『シンケンジャー』には基本的にそれがありません。山場のボス戦であればこそ必ず駆け引きがあります(「力押しだ」と言った最終回も含めて)。同等以上の相手とまともにぶつかったら悪が勝つという前提があるからです。

また、外道衆は三途の川に住んでいて、現世との間を自由に行き来できますが、ただ現世では一定時間で「水切れ」により行動不能になります。他方、生身の人間は三途の川に入れません。
前半で一度苦戦するものの後半で逆転勝利、というのは、ヒーローが未熟なゆえに苦戦する物語序盤にも、より強力な敵が登場する中盤以降にも使える王道の展開ですが、そんな中、どんな強力な敵が出てきても「水切れにより敵が一時退却」にできるこの設定は、非常に便利なものです。
にもかかわらず、このような設定は一般的ではありませんでした。それはウルトラマンに代表されるように、時間制限等のハンディを背負うのはヒーローの方だという考え方があったからです。
「強いヒーローも適宜弱点があるから面白いのだ」というのはよく聞く説明です。
『シンケンジャー』の場合は反対に、「強い悪にも適宜弱点があるから何とか話になる」のです。

そして、外道衆の目標は人間を泣かせ、その涙によって三途の川を現世に溢れさせることで、制限なく行動できるようにすることです。

さらに、上述の血祭ドウコクは先代による封印の後遺症で水切れがひどく、まったく現世には出られないという状況にあります。つまり、「三途の川を溢れさせる」という目標が達成された時こそドウコクも出陣できるわけです。
ラスボスが封印のような状態にあって、敵がそれを復活させようとしている、という設定はヒーロー物にはままあります。この2年のプリキュアのノイズ(『スイートプリキュア』)やピエーロ(『スマイルプリキュア』)もそうでしたし、戦隊物の場合だと邪命神デズモゾーリャ(『爆竜戦隊アバレンジャー』)とか絶対神ン・マ(『魔法戦隊マジレンジャー』)とか…。
ただし『シンケンジャー』の場合注意すべきは、外道衆の目的はあくまで「全ての外道衆が自在に活動できるようにすること」であって、「ドウコクが活動できるようにすること」ではない、ということです。
三途の川が溢れた時初めてドウコクが活動できる、という事態はたまたまそうなっているだけです。

しかも、ドウコクは力も圧倒的ですが、外道衆のみに有効な「縛りの術」も持っています。
半分人間の「はぐれ外道」である腑破十臓(ふわ じゅうぞう)はこの術から逃れられた描写もあります。
つまり、ドウコクの力は人間に対して以上に、同胞である外道衆に対して脅威なのです。
その上、最後で三途の川が溢れる以前に、ドウコクが三途の川から現世に縛りの術をかけて部下を引き摺り戻したり、無理を押して出陣したりするのは、つねに自分や外道衆全体に反逆する外道衆に対してでした。

ここから読み取れることは以下のことでしょう。
外道衆は「御大将」を待ってはじめて人間界を本格的に侵略できるのではなく、個々が強大な力を持ち、それらが自由に活動できることそのものが脅威なのです。ただ、各自がその強大な力を勝手に振りかざす外道衆を統率できるのは、同胞に対して絶対的であるドウコクの力なのです。
この「それぞれが強力だが統率のない力」がシンケンジャーの「仲間との絆」と対比されているのは言うまでもありません。

 ―――

ここにはは、魔物の類のボス――「魔王」等と呼ばれる存在がなぜ強くなければならないのかの答えも示唆されています。
もちろん、物語の最後で戦うラスボスが強くなければ話は盛り上がらないという身も蓋も無い事情はありますが、それはこの際措いておきましょう。
文字通り単独で軍隊よりも強い者がいれば、たしかに誰も逆らえず、君臨することができるかも知れません。
しかし、人間の側にもその「魔王」に対抗できる力の持ち主(たとえば「勇者」)がいても、王様が強いとは限りません。『シンケンジャー』の場合は上述の通り、外道衆と戦うシンケンジャーと言えど上位の外道衆ほどに強いわけではありませんし、さらに「殿様」である志葉家がシンケンジャーの主力をも務めているわけですが、つねにこういう設定になっているわけではないのです。

※ この点に関して最近比較的面白いと思ったのはライトノベル『銀閃の戦乙女と封門の姫』で、つねに魔物の脅威にさらされている異世界クァント=タンでは、王族や貴族は魔物と戦い民を守る義務を負っている、という設定です。したがって王族は強く、メインキャラの一人である姫様は脳筋です。また、庶民の出身でも力のある者は貴族の称号を与えられるという説明もあります。これは戦いのためという身分制度の成立史をファンタジーにきちんと適用したものとして注目されます。

まあ、人間の場合、たとえば食べ物を作るための農耕も集団作業が必要です。集団を統率する支配者に求められるのは戦いのことだけではありません(現実世界の猛獣などよりはるかに強大な脅威の存在する世界では、その辺の比重はまた違ってくるのかも知れませんが)。
しかし、各自が生きているだけなら集団への依存度がずっと低く、しかもそれぞれが大きな力をふりかざす連中であれば、支配者には何が必要か――ということです。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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