オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
遙か先に起こる事態への畏れ、封印すべきもの

(椎橋寛『ぬらりひょんの孫 9』、集英社、2010、p.99)

(同書、p.100)
この建物の床下に建っている杭のようなものについて、特に説明はありませんでした。まあ封印の杭なのは見ての通りですし、それ以上ややこしいことを言う必要もない、ということでしょうか。
これは、本来神社の社殿の床下に建てられる「心御柱(しんのみはしら)」ではないかと思われます。この漫画では寺院にもありますが、まあ神仏習合の時代(400年前)に複数の神社仏閣にまたがって仕掛けられた、という設定なので理解できます。
この心御柱、柱と名が付いてはいますが、社殿の建物には繋がっていません。まさしく杭のようなものです。
それでいて、神社においてはきわめて重要なものとされ、伊勢神宮の遷宮では深夜の秘事として立てられるほどです。
遷宮と言えば、ちょうど今年は伊勢神宮の遷宮の年で、初詣客も例年より多くが見込まれるとかいう報道がありましたね。
伊勢神宮の建物は20年に一度建て替える決まりで、これを遷宮と言い、中断した時期はありながら、古代からずっと、昔ながらの技術を用いて続けられています。
それゆえ、物として古くないがゆえに世界遺産などにはなかなか認定されないのですが、これは技術を保存し、物が老朽化しても建物を未来に伝えるための優れた知恵、それも百年、千年先を見込んだ知恵です。
そこで前回の話に繋がってくるのですが、千年残すつもりのなかったものがたまたまで千年残りはしません。
なぜ昔の人はそんな長いスパンで物を見ていたのか、というのがポイントです。
さて、心御柱がなぜ存在するのか、確かなことはよく分かりません。ただ、これは封印ではないか、と思いたくなるのは分かります。ですから、そう考えてみましょう。
新社殿を建てる前に旧社殿を取り壊しはしませんし、こと心御柱は重要で、遷宮の間を通してその存在は維持されます。
つまるところ、この封印を保つために遷宮という形で、社殿をずっと維持してきたのだとしたら――
逆に考えます。「この封印が解けたら、大変なことになる。百年後であれ千年後であれ、子孫をそんな目に遭わせるわけにはいかない」と思えばこそ、封印を維持するための知恵を尽くしたのではないでしょうか。
つまるところ、人に長いスパンで物を考えさせるのもそうした「封印せねばならないようなもの」への畏れなのではないか、ということです。
他方で、「百年、千年先に来るかも知れない大変な事態」への畏れを無くした人間が何をするかというと、「ここより下に住むべからず」という先祖の戒めを無視して、津波が来たら流されるところに家を建てたりするわけです。
その結果がどうなるかは、たっぷりと目の当たりにしたことかと思います。
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