オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
人間と動物とポケモン
そもそも『ドラゴンクエスト』シリーズの“神”は、必ずしも良いものとは限りませんでした。
『IV』『V』のマスタードラゴンなんか、人間に化けて遊んでいる間に城が落ちて、落ちた城に行こうとしたところで20年間もトロッコで回っていたような奴ですし……
まあ、神は無力であるというのも宗教思想の考え方にはあり得ますし、万能でないのは仕方ないとしても、人に制裁を下すとかそういうところでは偉そうなのは、いかがなものなのでしょう(『IV』の主人公の実の親はマスタードラゴンによって殺されています)。
これでは「神」というより、出来の悪い権力者ではありますまいか。
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ポケモンについてももう少し。
やはり研究室の雑談で、もう一つポケモンについて出た話題は「なぜアニメ『ポケモン』で、サトシ達はポケモンに固有名を付けないのか?」でした。
「ピカチュウ」とか、種族名なんですよね。「イヌ」と言うのと同じ。
ピカチュウはアニメには1匹しか登場しませんが、同じポケモンが複数出てきても基本的に固有名はありません。
あれだけ大切にしているのに、名前を付けてやらないのか、と。
いや、動物に名前を付けない文化もあると言います。
動物の個体を識別してはいるけれど、名前は付けないのです。
考えてみれば、人間から動物に名前を付けるというのは、動物を「人間の世界」に取り込むことではないでしょうか。
……もっとも、ポケモンを「パートナー」として連れ歩くのはすでに十分ポケモンを人間の世界に取り込んでいるのであって、それを考えれば何を今更、という気もしますが。
人間と動物、というアリストテレス以来の古い議論はここでも容易には終わらなさそうなのでした(誇張あり)。
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