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なぜ彼は救われないのか――『仮面ライダーファイズ』

現在、講談社キャラクター文庫という新興レーベルから平成『仮面ライダー』シリーズのノベライズが刊行中です。執筆者はその作品を手がけた脚本家勢。
しかしこのニュースを見た時にまず思ったのは、『仮面ライダー555(ファイズ)』についてはすでに存在しているのだが……ということです。
『555』全話の脚本を一人で手がけた井上敏樹氏本人による「正伝」と銘打ったノベライズです。

仮面ライダーファイズ正伝-異形の花々- (マガジン・ノベルス・スペシャル)仮面ライダーファイズ正伝-異形の花々- (マガジン・ノベルス・スペシャル)
(2004/08/17)
井上 敏樹

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それゆえ案の定と言うべきか、今回講談社キャラクター文庫から刊行された『小説 仮面ライダーファイズ』は上記『異形の花々』の文庫化となりました。
ただし、エピローグから5年後の追加エピソードが書き下ろしです(もっとも、プロデューサー・白倉伸一郎氏の解説と仮面ライダーカイザ=草加雅人役の村上幸平氏の思い出話、それに井上氏のあとがきは旧版にしか収録されていませんが)。

小説 仮面ライダーファイズ (講談社キャラクター文庫)小説 仮面ライダーファイズ (講談社キャラクター文庫)
(2013/01/30)
井上 敏樹

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まあ、『555』については桜庭一樹氏による劇場版『パラダイス・ロスト』のノベライズもありましたがこちらは不評で、やはり井上氏が書かないとピンと来ないようですし。

555(ファイズ)555(ファイズ)
(2003/08)
桜庭 一樹、石ノ森 章太郎 他

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もっとも、脚本家に小説を書かせるというのは必ずしも良いことではありません。とりわけ、ほとんど一文ごとに入る改行、簡素化されて味気ない文章、映像現場に任される具体的描写の足りなさ等は広く見られる事態です。
それでも、内容的に見てこの『ファイズ』のノベライズはかなり良い方で、戦闘シーンなどは最小限のことしか書かれておらず冴えないのですが、心理描写は見事です。たとえば冒頭部。

 園田真理は雪が嫌いだった。
 特にクリスマスに降る雪が。
 今、真理は流星塾の小さな窓を吐息で白く曇らせながら、夜空から舞い落ちる貝殻のような雪を見ていた。
 雪が止めばいいと思う。
 クリスマスなどなくなってしまえばいいと思う。
 真理の背後では暖炉の炎が暖かく燃え、飾り付けの終わったツリーが七色に輝き、流星塾の仲間たちがパーティの準備をしているところだった。
 運ばれてくるフライドチキンやクリスマスケーキ、そしてみんなの笑い声。
 真理にとってこれが八回目のクリスマスだった。
 六回目までは楽しかった。
 七回目のクリスマスの日、真理は両親を失った。
 (井上敏樹『仮面ライダーファイズ正伝 異形の花々』、講談社、2004、p.3/『小説 仮面ライダーファイズ』、2013、p.6)


旧版のあとがきではこの場面をシナリオ化する場合を例として、心理描写を映像のシナリオに起こすことの難しさを語っていることからも分かるように、この辺の心理劇こそが『ファイズ』の肝なのでしょう。


さて、『555(ファイズ)』の設定を確認しておきますと、まず、作中世界では稀に死んだ人間が「オルフェノク」という怪人となって蘇ることがあります。ただし、彼らは怪人に変身していない時にはオルフェノクになる前と同じ外見、同じ人格の人間です。
主要登場人物は7人、と言っていいでしょう。ファイズの変身ベルトを持って旅をしていた少女・園田真理(そのだ まり)と、そのベルトでファイズに変身できるフリーター青年・乾巧(いぬい たくみ)は、クリーニング屋を営む青年・菊池啓太郎(きくち けいたろう)のところに居候しています。
他方で、木場勇治(きば ゆうじ)長田結花(おさだ ゆか)海堂直也(かいどう なおや)という3人のオルフェノクも共同生活をして、多くのオルフェノクが人間を襲う中、人間を襲わずに共存しようとしています。
ここに途中から、仮面ライダーカイザに変身する草加雅人(くさか まさと)が加わります。彼はライダーとしてファイズとして戦いつつも、その目的は真理を我が物にすることにあり、そのために不和を煽ったりもする、ある意味では最大の問題児です。

啓太郎は「世界中の洗濯物を真っ白にするみたいに世界中の人たちに幸せになってほしい」という壮大な夢を持ち、真理も美容師になるという夢を持っているのに対し、オルフェノクの3人は夢破れたか、あるいは元々夢を持たずに絶望していた者達です。

ここまでがTV・小説の共通設定です。
TV番組では、ファイズとカイザ(それに3本目のデルタも)のベルトは本来オルフェノクのために作られたものであり、オルフェノクならば誰でも変身できます(なぜ人間の側に変身できる者がいるのかは、ストーリー中で開かされることの一つ)。このベルトの争奪戦がストーリーのかなりの部分を占めており、勇治や直也もファイズに変身したことがあります。さらに、ベルトに挿入する変身ツールが携帯電話であり、変身後のオルフェノクは地味なことに全て灰色のモノトーンなのに対してライダーには色があることから、『リトル・ピープルの時代』での宇野常寛氏は、モノトーンの身体を染めるツール=携帯電話の取り合い、すなわち「コミュニケーション」の問題こそを『ファイズ』の主題としていました。
しかし、これらの要素は小説版ではカットされています。ベルトの争奪戦はなくファイズに変身するのは巧一人、そもそも真理や雅人がいた孤児院「流星塾」の設定もまったく異なり、オルフェノク側の組織であるスマートブレイン社が存在しないので、ファイズやカイザのベルトがオルフェノク用に作られたという設定そのものがありません。
(もっともこれにより、巧の正体――人間側に所属しているけれど、彼も実はオルフェノク――の伏線も消えてしまっていますが…)

その代わりに全編に渡って展開されるのは、重い愛憎劇です。最初から真理が勇治と付き合っている等恋愛要素も濃厚となっている一方、陰惨な設定や描写も圧倒的で、特にTVでは「いじめを受けている高校生」だった長田結花は、生まれた時から母親に拒絶され、親戚に虐待され続けて言葉を喋ることもできなくなった少女になっています。

そして、勇治と結花はTVシリーズ、劇場版『パラダイス・ロスト』、そして小説と全てで死にます。直也は劇場版では死にましたが、後2つでは生き残りました。
とりわけ勇治は、三つのシナリオの全てにおいて、最後は人間に絶望して敵に回り、ファイズと戦って倒されます。

ここに何の違いがあるかと言えば、ギルティ(罪)の問題でしょう。
勇治はオルフェノクとなった時に全てを失い、結花は人間だった時から虐待されていたことから、オルフェノクとなった直後にその復讐として人を殺しています。それを悔いて人間との共存を願おうと、その報いは必ず回ってくる、ということなのでしょう。対して直也は、人を殺していません。
こうした明確な応報の形式は、『仮面ライダーカブト』での井上脚本にも踏襲されていること、指摘した通りです。

※ 私が思い当たる中でこれと対照的なのは、『魔法少女育成計画 restart』です。そもそも罪なき者でも次々と死んでいくというドラマツルギーがあればこそですが、かつて殺し合いに参加した魔法少女たちの「罪」を一つの問題にしたこの『restart』において生き残ったのは、――いずれにせよ殺し合いを強いられた状況下だったとは言え――むしろ意識的に、その手を多くの血に染めた人物でした。それでも、そうしたドライな判断のできる彼女が生き残って事態を片付けることも、鎮魂に必要だったのでしょう。

しかしその上で、この小説版における勇治と結花の対比は印象的です。
両親に望まれ、才能に恵まれた「祝福された子供だった」(『異形の花々』p.62/文庫版p.60)勇治は殺されてオルフェノクになり、全てを失います。それでも、ただ一度復讐に人を殺した後、彼は殺人の衝動に耐え、共存を求め続けています。
対して、母親にも望まれず、全てを奪われ虐待されてきた結花は、その傷から来る苦しみに耐えかねて、今でも密かに人を殺しています。

けれども最終的に、結花は啓太郎に受け入れられ、子供を遺して逝くのに対し、勇治は孤独にラスボスとして滅ぼされることになります。
絶望して敵に回ってから、「そうだ……これでいいんだ……」と思いつつ消えて行く断末魔までの間は勇治の心理描写がないのも印象的です。

しかも、TVシリーズと劇場版では別の敵も登場していて、ファイズに敗れた後の勇治は最期にファイズと共闘して死んでいくのに対し、小説ではそういう盛り上げ用の敵がおらず完全に勇治がラスボスであるのが、なおさら悲劇的です。

元々多くを持ち、大きな夢を抱いていただけに、その落差も大きいということなのでしょうか。
「夢ってのは呪いと同じなんだ」という、TVシリーズにもあった直也の台詞が響きます。
けれどもその直也は、その破れた夢ゆえに自然と殺人衝動を抑えることができているのだという記述も、小説版にはあったのでした。
呪いもまた、どちらにでも作用し得るものなのか――

記事タイトルで「なぜ」と大上段に構えた割には冴えた答えがないのですが、ただ一つ言えるのは、怪物となってしまいながらそれに抗い、人間の味方であろうとした勇治は本来『仮面ライダー』らしい人物であったのであって、その彼が結局は闇に落ちるという悲劇こそが味噌であること、そして、同じくオルフェノクでありながら人間の味方であり続けることのできた巧と彼との間はひょっとすれば紙一重であったかも知れないからこそ、この悲劇はいっそう際立つのだろう、ということです。


なお、文庫版書き下ろしの後日譚「五年後」は、人間とオルフェノクの間に生まれた子供・勇介メインの物語で、「橋渡し」という言葉と相まって、同じく井上脚本の『仮面ライダーキバ』の問題系に接近しているように思われます。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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