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私小説の技法による群像――『ぼっちーズ』

そう言えばこのブログ、4日前(3/24(日))にはおそらく過去最高のアクセス数1日369を記録しましたが、最大のアクセス源はtwitterだったようです。まあリピーターはあまり確保されていないらしいのが難点ですが(いや、アクセスが増えればいいのか?)。

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さて、今回取り上げる小説はこちらです。

ぼっちーズぼっちーズ
(2010/11)
入間 人間

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本作は入間氏の作品としては『僕の小規模な奇跡』に続きハードカバーで刊行された2冊目の作品であり、今のところ唯一文庫化されていない作品です。
内容はタイトル通り、大学を舞台にした「ぼっち」な人々の物語です。

序盤から「愛知県の塩釜口駅から五分」と具体的に地名を特定し、さらには入学前の合宿にオリエンテーションといった描写はやけに具体的。それだけに、そこで孤立することになる主人公の描写もいかにも「実話」を感じさせます。
が、読み進むと本作は、章ごとに主人公の変わる群像劇であることが分かってきます。
それらが最期に集束し、全体像が見えてくる仕掛けです。
各章の主人公は基本的にいずれも「ぼっち達」ですし、いずれも作者の自己投影を含むと考えることは無論できますが、もちろんそれぞれ人物像に違いはありますし、そもそもある章の「私」は別の視点からは三人称で記述されることになります。

要するにこれは、村上春樹の初期作品における「僕」が作者と同世代と思われる男性であるのと同じで、作者という現実の人間に積極的に結び付けることでそこに「生の人間」を感じさせる技法であって、しかもそこに群像劇を接合して見せます。つまり実は「私小説の技法を取り入れた技巧的小説」なのではないかと(そもそも私小説というもの自体が、本当に現実の作者の人生を切り売りするものであったのという疑問もありますが、それは措いておきましょう)。


これは、同作者がこの少し前に刊行した『バカが全裸でやってくる』にも当てはまることです(『ぼっちーズ』は一層顕著ですが)。
『バカが全裸でやってくる』の主人公は小説家を目指し投稿している大学生です。
今までのところ成功していなかったのですが、飲み会に全裸で乱入してきた「バカ」(男)に「一緒に小説家を目指そう」などと言われ、今まで手を出していなかったジャンル――ライトノベルの新人賞に投稿することになります。

いかにも作者の実体験が投影されていることを期待したくなる内容ですが、しかしここでも描かれるのは作家達の群像劇です。彼らが新人賞の選考委員を務めるという巡り会わせにより、それが一つに絡まってくるわけですが――
彼らは皆、小説に人生を捧げて今更引き返せない「バカ」であり、そして「全裸」(ある時には比喩的な意味で、ある時には文字通りで)自らを曝け出して小説に取り組むのです。
「新人賞の最終選考で落とされて拾い上げデビューだった」とかそれにコンプレックスがあるといった、作者自身が持ちネタにしていることが複数の作家について言われているだけに、この作家たちも作者の分身と見ることはできますが、しかしそれを年齢もキャリアも性別も様々な連中に分散させる辺りが技巧的です。


『ぼっちーズ』に戻りますが、「ぼっち達」は大学の、人間が交流する空間を恐れて逃避します。

『そいつら』とすれ違っただけで、僕の慎ましい大学生活は破綻に向かう。
 四月の合宿で同じ班だった男子連中が横ぎり、じゃれ合うように談笑しながら坂を下りてくる。俯いて首を引っこめる僕の方には見向きもしない。していないはずだ。なのにあの、笑い声が! 僕の首に紐のようにまとわりついて、ねっとりと、離れない。その感触が更なる錯覚を引き起こし、ちくちくと頭皮を痛ませる。見ている。見られている。現実にあり得ない注目と視線が幻想から手を伸ばし、僕の髪を摑む。痛い、痛い。なんで独りでいるの? 痛い。
 独りぼっちは痛い生き物だ。群生の中に紛れこめない欠陥品だ。呪詛が僕の耳もとを優雅に泳ぎ回る。黒い文字が連なるように生まれたその呪いの尻尾が僕の頬を撫で、隠れていた鳥肌を余すところなく剥き出しにさせてくる。
 (入間人間『ぼっちーズ』、アスキー・メディアワークス、2010、p.35)


ここにあるのは、集団の標準から外れていることを否とする同調圧力ですが、より根本的には、開かれた交流こそがもっとも閉塞感を感じさせる、ということかも知れません。
そんな窒息状態にあるぼっち達に与えられるのが「秘密基地」――大学の一隅にある小さな部屋です。
そこに大学内での「居場所」を見出した彼らは、好きな異性相手でさえその居場所を蹂躙されることに耐えられず、遠ざけようとします。
友達がいないからこそ集団に対し疎外感を感じて自分の居場所を求めたのか、自分のテリトリーに対するガードが固いから孤独なのか、鶏と卵のような話ですが……

とは言え、いつまでも秘密基地に閉じ篭もってばかりいられないものでもあります。
自ら他者に対し距離を取ってディスコミュニケーションに閉塞する一方で、自分だけの世界に留まりきれない人間――作者の常々描いてきたテーマです。

各章の主人公が秘密基地の利用者(一度に一人)であることから、章によって年代の違いがあることは分かります。が、詳しくはどういう関係になっているのかは最後に分かる仕組み。

ただ、全体像が見えるといっても、やはりそこに劇的な物語があるわけではありません。むしろ、わざわざ自分で用意しなければ劇的な事柄などないことが強調されます。
それが帯にもあり、作中でも強調される文句――「僕と他人が揃っても、『友達』にはならない。『ぼっち達』になる」と対応しているのでしょう。ぼっち達の物語は一つに結び付いても、やはり壮大な物語にはなりません。


もっとも、最後にもう一度、卓袱台を引っ繰り返すような問いを立ててみることもできるでしょう。
物語がないのは、ぼっちに限ったことなのか――と。
同作者の『彼女を好きになる12の方法』の場合、バカップルの「俺」パートとストーカーの「僕」パートが対比されながら、結局どちらも物語というほどの大きな流れはなく、むしろたまたま1年間を切り取っただけという風に描かれています。
ただ、傍らに可愛い「彼女」がいればそこに物語を切り出すこともできるのに対し、その影にいるただの非モテは通常描かれないのであって――


バカが全裸でやってくる (メディアワークス文庫)バカが全裸でやってくる (メディアワークス文庫)
(2010/08/25)
入間 人間

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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