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『ももクロの美学』(残念ながら評者は詳しくないのですが)

今回取り上げる本はこちらですが……これは先日話している中で話題に出たものであって、当該のアイドルグループ「ももいろクローバーZ」(略称「ももクロ」)のことをよく知らないまま、それについての研究書について述べることになっているのをお断りしておきます。

ももクロの美学~〈わけのわからなさ〉の秘密~ (廣済堂新書)ももクロの美学~〈わけのわからなさ〉の秘密~ (廣済堂新書)
(2013/04/13)
安西 信一

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著者は安西信一氏。東大の美学芸術学の先生で、イギリス庭園についての研究などを書いていた方ですが、個人的にももクロに嵌まったことからこのような本を書くことになったとのこと。
読んでみると、著者の専門である美学学説からの参照は――ところどころに見られるものの――比較的少なく、現代文化研究からの引用が目立つ本で、ももクロを現代日本という文脈の中で扱おうとしているのが窺えます。

サブタイトルからして「わけのわからなさ」とあるくらいで、「はじめに」から著者は、ももクロが雑多な要素を併せ持っていることを強調します。

 このような〈わけのわからない〉、しかし快く豊かな予測不可能性は、彼女らの1回のライブ、否、たった1曲の中にさえみられる。そこにはあまりに雑多な要素が、観客の意表を突く仕方で現れる。ももクロ(関係者)はそれを、プロレスから借りた言葉で、「ファンタジー」と形容する。
 この変幻自在の目くるめくファンタジー、予測不可能な多様性のおかげで、ももクロにたいしては、多様な好み、楽しみ方が共存しうることになる。
 (安西信一『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』廣済堂、2013、p.16)


それゆえに論ずるのが難しいことも、著者は認めます。

 むろん「全力」「ひたむきさ」「笑顔」など、最大公約数的なももクロの魅力を列挙することはできよう。だがそうした標準的なももクロ像は、その魅力の最もコアな部分を、深くすくい取ることはできない。だからといって、逆に自分だけのディープなももクロ像を前面に出すなら、他のファンには単なるたわごと、一人語りにしか聞こえない。このジレンマに陥るところに、ももクロ論の困難がある。
 (同書、p.18)


しかしもちろん、「雑多なのが魅力である」というだけでは何かを論じたことにはなりません。それでは、魅力のあるごた混ぜと魅力のないごた混ぜの違いが分からないからです。
著者はそうした困難を認めた上で、ももクロの様々な性格を列挙しつつ、そこに大きな筋を通そうとしているのが窺えます。それは結局、具体的な魅力には届かない抽象化に陥る面があるかも知れませんが、誠実さは感じました。

第1章「エビぞり少女」はももクロの身体的パフォーマンスに焦点を当て、CDよりもライブを重視する「今ここ」のアイドルとしてのももクロの性格を描写します。実はこれが、論の全体を貫く一つの軸と言えるものになっています。
第2章「Zコースター」は音楽理論をも引証しながらももクロの楽曲の特徴を論じ、先行作品からの無数の引用を取り込みながらもアイドル史に敬意を払う「歴史意識」が見られることを示しています。
第3章「変顔のフラガール」は、「自己自身との戦い」や「成長過程」を重視するももクロの特徴を論じて、『フラガール』のような「青春ガールズムービー」に見られる「フラガール的想像力」と著者の呼ぶものがももクロにも反映されていることを示しています。
そして最後に第4章「ももクロと日本」は、セカイ系日常系、あるいはキャラといった現代日本のサブカルチャーの文脈の中にももクロを置いています。

上で「雑多」といった、様々な要素の混在する性格――それは振り付け、楽曲、演出のいたるところに見られる――を著者は宇野常寛氏の用語を借りて「ハイブリッド性」と呼びます。
これについては、音楽理論を用いた第2章の分析がもっとも明瞭でしょう。ももクロの曲には、不自然で難しいとされる最も遠い調への転調を含むものがあるのです。さらに転調のない曲でも、「異質な断片が1曲の時間展開に沿って次々に現れ」(同書、p.77)、さらにメンバー間の「声質や歌い方」(p.79)の著しい差異にまで現れます。

しかしそれが不協和にならず、“新鮮な魅力”を与えるのはなぜでしょうか――という問いに対しては、作り手の腕によると言ってしまえばそれまでです(特に曲に関しては)。
が、多少の抽象化を恐れずに言えば、「ハイブリッド」に統一を与えるものがあるからでしょう。著者はこの点を一貫して論じています。
だから、第1章では、ライブでパフォーマンスに観客の振り付けが同調する時、そこに身体的な共感が生じることを論じています。

 つまり観客の側のコールや振りコピ、身体運動が、楽曲、演出、振り付けの内部に(あらかじめ)織り込まれ、ライブという「総合芸術」、共同創作品を創りあげるのである。
 それどころか、たとえば一見してきわめて特異に突出してみえる、かなこのエビぞりジャンプでさえ、全体の構成の中で重要な要素として位置づけられている。『AKB48の経済学』の著者で、ももクロと公開トークもしている経済学者の田中秀臣氏は、T・シェリングの概念を借りて、このエビぞりジャンプを「フォーカルポイント」(焦点)と呼ぶ。簡単にいえば、多くのファンをはじめとする視聴者の心の中で、「これぞ、ももクロ」というイメージの際立った中心を占めるものということだろう。(……)
 いいかえればエビぞりジャンプは、異質な二断片を繋ぐ、文字どおり「ブリッジ」の働きをしている。これは他の曲でも多かれ少なかれあてはまる。彼女たちが始終体を動かし続けることで、ハイブリッド的・断片的な曲に連続性と強調点が生まれ、観客の注視、身体的な同期、解釈への意志は途切れなく繋がれることになる。
 (同書、pp.52-53)


このような、いわば“身体性によってハイブリッド的なものに統一を与える”ということは、「ライブアイドル」としての性格と相まって、最後までキーとなる点です。
さらに第2章では、必ず似た先行作品が何か見出され「もはや新しいものなどありえない」という状況に対抗するためのももクロの戦略として、「今ここにある身体という、コピー不可能なものをそこに結びつけること」と、多様なもののハイブリッド化によって新奇さをもたらすこと、そしてそれを歴史意識をもって練り上げること、という3点が挙げられています。

理論的な言葉で言い表してしまえば「それだけのこと」という感は否めないかも知れませんが、こうした論は誠実なものであると思います。

 ―――

第3章の「フラガール的想像力」については、今回は詳しく語る暇と余力がありません。
その代わり、第4章に関しては、私が今まで論じてきたこととも関わり、ももクロの魅力を解き明かすという安西先生の論からも脱線覚悟でコメントしておきたいと思います。

まず、「セカイ系」について、著者は東浩紀氏の定義を引き、

 これは、いかにも男性の幼稚で肥大化した自己愛を満足させるものであり、その点が批判されることも多い(再反論も少なくないが)。宇野〔常寛〕氏は、そこに「引きこもり/心理主義」をみる(『ゼロ年代の想像力』)。
 (同書、pp.190-191)


と述べた上で、ももクロの楽曲にはそうしたセカイ系の想像力が見られる、としています。

 たとえば第2章でも引いた「キミとセカイ」(松田綾子作詞)は、「セカイ」というカタカナ表記からしてセカイ系を連想させる。(……)
 (同書、p.191)


この後、歌詞についてもセカイ系的な特徴を見せる部分を挙げます。
が、その後、それだけではないという話に移ります。

 ただしももクロの場合、純粋なセカイ系よりも、むしろ宇野氏が「サヴァイヴ(生き残り)系」と呼ぶ、それに続くタイプの物語への脱却を歌うような楽曲が多い。まずサヴァイヴ系を概説しよう。
 宇野氏によれば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ、および小泉政権による構造改革やそれに伴う格差社会意識の浸透などにより、セカイ系のオタク的「引きこもり/心理主義」では済まされない状況が生じてきた。バブル崩壊後のデフレ不況の中、引きこもりを脱し、自己責任で行動し、戦い、活路を見出さねば、文字どおり死んでしまう状況である。この新しい時代、ゼロ年代(2000年以降)には、「決断主義」こそがふさわしい。そうして生まれたのが「サヴァイヴ系」ないし「バトル・ロワイヤル系」の物語である。
 (同書、p.193)


もちろん、著者はそうした脱却が「容易ではない」(同書、p.195)ことは承知の上で、やはりここでもももクロのライブアイドルという性格と結び付け、「彼女はまさに目の前にいるファンに向けて、『ねぇ〔眼前のももクロを〕聞いてて/ねぇ見ていて』と呼びかけてもいる」(同書、p.196)すなわち「ライブの今ここの現実への脱却を迫る」(同書、p.197)ものとして読むことに解決を見出していて、これはなかなか興味深いものです。

が、まず気になるのは、この第4章の冒頭で、著者はももクロと日本社会を結び付ける論は論証が難しいことを自覚して、こう書いていたことです。

(……)私が専門とする美学芸術学の分野でも、美的芸術的なものと、社会政治状況とを素朴に結びつける「反映論」は、つねに懐疑的にみられてきた。
 こうした批判に再反論するために、現代フランスの哲学者ランシエールにならって、芸術と政治とは同じ「感覚=感性的なもの」の場を「分割=共有」(partage)しているなどといった原理論をもちだす必要はない。少なくともももクロの魅力を解明するには、現代日本社会という視点の導入は不可能だと考える。
 1章で述べたとおり、今日の音楽文化は、純粋で閉じた自立的作品というモデルでは捉えられない周辺的な事象、社会的なものを含む雑多な要素を巻き込んだものとなっている。元来が「不純」な音楽現象といってよいアイドルであるから、そのことはいっそうあてはまる。
 (同書、pp.178-179)


問題は、宇野常寛氏が「反映論」を代表する論者といっていい人物であることです。
社会と芸術に関係はあるからと言って、宇野氏の論を引くことがどこまで妥当かには不安もあります。

もっとも、2000年代からサブカルチャーにおいて「サヴァイヴ系」と呼べる作品が増えてきたのは、事実と見なして良いでしょう。それが「アメリカ同時多発テロ、および小泉政権による構造改革やそれに伴う格差社会意識の浸透など」という世相を反映しているという宇野氏の論の妥当性は別にして、そのようなサブカルチャーの傾向をももクロの楽曲が反映しているということならば、説得力はあるかも知れません。
しかし、その上で気になるのは、宇野氏が「サヴァイヴ系」として挙げている作品は『バトル・ロワイヤル』を筆頭に、むしろ戦いを強要するシステムの凄惨さ、邪悪さを描いているということです。
そこを「引きこもり=幼稚で肥大化した自己愛=批判されるべきもの」、対して「サヴァイヴ系への脱却=ポジティヴ」という通俗道徳的な色を付けて語ってしまうのは、大きな取り違えになる惧れはないでしょうか。

本当に宇野氏が言うように「戦わなければ生き残れない」(『仮面ライダー龍騎』のキャッチコピー)というのが現実の社会を反映しているのであればなおさら、そのような状況でこそ「いかにしてその戦いを降りるか」が問題になってもおかしくないはずです。

その上で――当該の作品をあまり知らない私が孫引きで申し訳ないけれど――以下の箇所を見てみます。

「CONTRADICTION」の主題はしかし、こうしたオタク的「引きこもり/心理主義」を脱却せよと迫ることにある。先の冒頭の連にすぐ続けて次のように歌われる。「傷ついてみよう/折れちゃってみよう/強くない自分知っちゃおう/ひとりってほど/ひとりじゃない/孤独にはそうそうなれない」。いいかえれば、セカイ系的な全能感に満ちた、肥大した自己の虚像を捨て、孤独を脱し、コミュニケーションへ開かれよという呼びかけである。ゼロ年代以降のサヴァイヴ系的な状況では、もはや引きこもりは無効でしかないからである。「誰かに気づいて欲しくて/黙り込んだ/助けてと叫んでみても/心の中じゃ声じゃない」
 (同書、p.195)


私の眼に留まるのはむしろ、「孤独にはそうそうなれない」の方です。
ここに感じるのは、かつて別記事「狭い世界に徹せない人間の弱さ」と書いたものです。

「開かれ」を要求するのは、外的・社会的な拘束なのか、それともコミットメントが必ずしも良い結果を招かない場合でさえ孤独になれず、他者を求めてしまう人間の実存的問題なのか……
その辺の心理描写に重点を置いた作品に少なからず注目してきたせいかも知れませんが、私はそこを気にしたいと思います。
そして、中西新太郎氏が『シャカイ系の想像力』においてライトノベルに読み取り、私もそれに倣ってしばしば問題にしてきた孤独の感情が強い求心力を持っているということが事実であるとすれば、それがももクロの楽曲にも反映される可能性に異を唱えたいとは、私は思いません。


イギリス風景式庭園の美学―「開かれた庭」のパラドックスイギリス風景式庭園の美学―「開かれた庭」のパラドックス
(2000/07)
安西 信一

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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