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文法のないものは書けない

昼12時台に書店に行った時には置いていなかった今日発売の新刊が、夕方5時近くになって行ったら置いてありました。
朝8時から開店しているというのに…

さて、新たなネタも用意できていないので、1ヶ月くらい前のことを思い出しながら書きます。
(巨大)ロボット物でお勧めはないか、と聞かれると、私が比較的手を伸ばしている分野であるライトノベルでは……マイナーなのですね、ロボット物は(もちろん、ないではありませんが、「これだ」とお勧めしたいかと言うと何とも)。

考えてみるに、そもそもメカの魅力を文章で表現するにはどうするか、という問題があります。
とりわけ、いわゆる「リアル系」ロボットを標榜するとなると、巨大な金属のメカの重さを伝える文章表現とは、どんなものでしょうか。
ないとは言いませんが、それがライトノベルの文法に沿ったものとなって成功するのは難しいし、先例もあまりないというのが実情でしょう。

実際、「表現手段がないものは書けない」のです。もちろん、才能ある作家とは新たな表現手段をもたらすものですが、それがいつ出てくるかは分からないのです。


話は飛ぶようですが、安西先生の『ももクロの美学』「日常系」について以下のように書いていました。

(……)日常系の世界は、中心部分は基本的に女子高生のみで構成され、男性の登場人物を極力排除するだけでなく、アニメのキャラクター・デザインのスタッフに女性を起用するなどして、できるだけ男性に媚びる演出を避けるようにしている。この点は、前章で指摘したももクロにおける性的魅力の後景化、ノンセクシャルの魅力と重なるだろう。
 (安西信一『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』、廣済堂、2013、p.206)


その前に挙げられている作品名が『あずまんが大王』『らき☆すた』『けいおん!』といったものであることを考えれば話はよく分かりますが、ただこの特徴はライトノベルにはあまり当てはまりません。
ライトノベルではこの手の――『けいおん!』系統の――男性主人公を排除した作品や、ましてや百合物は、ないではないもののあまり流行りません。そして、男性主人公を中心に据えたラブコメとなっているライトノベル作品に関しても「日常系」の語は使われるのです。

安西先生の射程がライトノベルにまで及んでいないことを責める気は毛頭ありませんが、ただ『涼宮ハルヒ』についてはちゃんと言及しています。その上で、

 なお『ハルヒ』では、ハルヒが美少女であるにもかかわらず、主人公との明確な異性愛関係は描かれない。女性的魅力はむしろ、冗談めいた極端な形で、脇役の朝比奈みくるに集中する。その結果、ハルヒらの性的魅力は後景に退いてしまう。(……)


とあるのには必ずしも同意しません。
事実として間違いとまでは言えないのですが、やはりキョンとハルヒの間には――その進展が描かれるわけではないながら――「明確な異性愛関係」と言っていいものがあって(キョン自身モノローグでは認めないものの見え透いていて)、それが軸であると思いますから。


話は戻ってきます。
なぜライトノベルでは、「男性の登場人物を極力排除」したスタイルは定着しないのか――私の考える答えはシンプルです。

「男性の性的視線を介さない“美少女”の描き方はライトノベルの文法にはなかった」

それができる作家がいないわけではありません。ただ、それがライトノベルの文法に定着しているとは言えないということです。
漫画やアニメでは絵がある時点で「そこに美少女がいる」ことは見紛いようがありませんが、ライトノベルでは(ところどころに挿絵があっても)そうではありません。それでいて、美少女をちゃんと“魅力的に”描かねば意味がないのです。
そして、事実上男性視線、男女のラブコメと同じように描かれるのであれば、男性の登場人物抜きでやる理由が不明瞭になるのです。

たしかに『安達としまむら』はしっくり来ました。
入間氏の作品としては新しい趣向ながら、私としてはあまり意外さを感じはしなかったのは、氏の過去作品でも短編まで含めれば結構な数、女主人公の作品を見てきて、女性キャラのみでもしっくり来るという思いがあったためでしょう。
しかも、氏の作品全般の、男主人公のラブコメであっても性的な視線を韜晦しているようなスタイルと、微妙な距離感に関わる心理描写の巧みさは、小説ならでは百合作品にも相応しいものでした。

『アラタなるセカイ』のアニメ(未来編)も大部分は女子高生4人だけの(滅びた世界にタイムスリップする話でありながら日常系と言うに相応しい)話で、しかも異性の視線を意識した恥じらいとは対極の、女子ばかりであるがゆえの女子校的な無頓着さに基づくエロスがありました。
「あまり媚を売っている感じじゃない、突き放した感じのエロさ」と立川譲監督が言っているのもおそらくそのことで、入間氏の作品のエッセンスをよく押さえていたと思います。
『安達としまむら』の連載1回目と『アラタなるセカイ』の発売が同月であったのにも対応を感じますが、制作工程を考えると直接の関係があるわけでもないのでしょうか。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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