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自己への問い(伝統による)

ライトノベルレーベル・電撃文庫の発売日は毎月10日だと思っていましたが、もう店頭に出ていますね。
発売日が休日に重なる場合繰り上げになるのは分かるんですが、10日は週明けのような…

 ~~~

『鳥葬 ―まだ人間じゃない―』を取り上げた記事に関連して少々。

小説家の平野啓一郎氏は、「個人(individual = 分けられない)」に対して「分人」を主張します。

 たとえば、会社で仕事をしているときと、家族と一緒にいるとき、私たちは同じ自分だろうか? あるいは、高校時代の友人と久し振りに飲みに行ったり、恋人と二人きりでイチャついたりしているとき、私たちの口調や表情、態度は、随分と違っているのではないか。
 それはそうだ。人間には、色んな顔があるのだから。そう言われるかもしれない。
 このとき、人格はただ一つ、という考え方とは、矛盾しているだろうか? 恐らく多くの人は、矛盾しないと答えるだろう。人間は確かに、場の空気を読んで、表面的には色んな「仮面」をかぶり、「キャラ」を演じ、「ペルソナ」を使い分けている。けれども、その核となる「本当の自分」、つまり自我は一つだ。そこにこそ、一人の人間の本質があり、主体性があり、価値がある。……
 (平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、講談社、2012、p.5)


 すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。
 そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。
 (同書、pp.6-7)


「対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である」に反対したいとは思いません。
そこに変わらない「本当の自分」を探すのが誤りということに関しても。

けれどもここで平野氏は、「“私は一人である”という私の統一とは、“さまざまな顔”の下にあって不動のもの、流れの底にあって流れ去らない岩のようなものである」と考えている点において、論敵たる「唯一無二の『本当の自分』」を主張する論者と一致しているように思われます。
その前提の上で、「不動の岩のような唯一の自分」の存在を認めるか認めないか、という対立なのです。

ですが問題は、そもそも「私」の統一とはそのような水準で問うべきものなのか、ということです。

そもそも、仕事をしている時の自分と家族といる時の自分が本当に別物であれば、葛藤はありません。
しかし、職場と家では切り替えつつ、仕事と家庭の間で葛藤している人はいるはずです。
あるいは、たとえばオフに友人と遊んでガス抜きをすることにより、職場では真面目に働いていることができる場合、それこそ友人と遊んでいる自分と働いている自分とは「分けられない」のではないでしょうか。

 ~~~

そんなことと関係するようなそうでもないような話ですが、西田幾多郎は『善の研究』(初版1911年)第四編「宗教」第二章「宗教の本質」で以下のように書いています。

 宗教とは神と人との関係である。(……)
 (西田幾多郎『善の研究』、岩波書店、2012、p.229)


さて、この「神と人との関係」とは、明らかに西洋(キリスト教世界)のものです。たとえば仏教はそうとは言えません。
しかし、2週ほど前に私が西田について講じた際の質疑応答では、実は西田の宗教論の核心を見ていくと「もう神という概念を持ち出す必要がないんじゃないか」という意見が出ました。
実際、「純粋経験と唯一の実在としてすべてを説明して見たいという」(同書、p.6)考えに基づく本書では、「神」もまた純粋経験論の中で見出される原理に与えられる名であり、“あえて言うならこれを神と名付けることができる”といった論調なのです。

西田の宗教規定の核心は、個人という小さい統一から宇宙の大きな統一へと一つになることです(こう言うと何やらスピリチュアル系の好みそうな表現で、誤解を招きそうな面、誤解でなくとも問題含みの面を感じもしますが)。

まあ当時は、キリスト教モデルの強い西洋においては、たとえば仏教を「宗教」と呼べるかどうかがまず問題になっていた時代で、そんな西洋の学問を大量に輸入する中で、西洋の概念装置を積極的に取り入れてそれと対決する必要があった、ということなのですが、

西谷啓治はむしろ「自己」をキーにしますし、その後の京都学派の展開は、どちらかというと「神」の概念を必ずしも必要としなくなっていく感もあります(まあ、これも大摑みな言い回しにすぎるでしょうが)。

 宗教的要求は自己に対する要求である、自己の生命についての要求である。(……)
 (同書、p.223)



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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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