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小説家の形象――『バカが全裸でやってくる』

今回取り上げる小説はこちら。といっても、もう3年近く前に出た作品ですが…

バカが全裸でやってくる (メディアワークス文庫)バカが全裸でやってくる (メディアワークス文庫)
(2010/08/25)
入間 人間

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バカが全裸でやってくる〈Ver.2.0〉 (メディアワークス文庫)バカが全裸でやってくる〈Ver.2.0〉 (メディアワークス文庫)
(2011/09/23)
入間 人間

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なお、内容は1巻で独立しています。
そこで、まず1巻のストーリーから。

本作の主人公「僕」(本名不明)はずっと小説家を目指していた青年。何度も投稿を繰り返しながらも芽が出ないまま、現在大学一年生になります。
そんな「僕」の前に現れたのは、大学の新入生歓迎の飲み会に全裸で乱入してきた男――「バカ」(こちらも本名不明)。

「僕」のもとに居ついた上、「僕」の書いた原稿を見たバカは「お前、小説家になれると思うぜ」(p.38)と言い、さらに成功したらプロデュース料として印税の半分を寄越せとか図々しいことを言い出します。

バカのアドバイスで、同じ大学の一年生であり高校時代にはすでに天才美少女小説家として有名だった甲斐抄子(かい しょうこ)に取り入ろうとしたり、それで“才能の他に必要なものはない”「あなたまさか、努力と環境で適性を覆せると本気で思っているのですか?」(p.58)と言われて打ちひしがれたりしつつも、今まで手を出していなかった分野――ライトノベルの新人賞に応募することになります。

ただし、この話はそこから「僕」のサクセスストーリーにはならず、第2章~第4章ではそれぞれ別の小説家を主人公とする群像劇になっています。
過激なことを言って筆を折って5年、再デビューのきっかけを探している中堅小説家、名声を得ても人前に出ることの叶わぬ身となりながらひたすら執筆活動だけを続けている女流作家、食べて寝る他はブロイラーのように小説を生産するばかりの作家……
実は時系列にもかなりの隔たりがあって、彼らのやってきたことが複雑に絡み合っていたことが次第に見えてきます。そして彼らは、「僕」の投稿する新人賞の審査委員として並ぶことになります。

彼らは皆小説に身を捧げたバカであり、そして小説を書くとは、全裸の己を曝け出すことです。

小説家たちはそれぞれに作者である入間氏の分身のようでもあり、実際新人賞の最終選考で落とされて拾い上げデビューだったことのコンプレックスとかは氏自身が繰り返し自分で言っていることでもあります。この作品が全体として作者の小説家としてのあり方を描いたメタ的な作品でもあります。
ですが他方で、彼らは一人一人違ってもいます。ここでも『ぼっちーズ』と同様(刊行は『ぼっちーズ』の方が3ヶ月後)、私小説的に作者自身の事柄を扱いつつ(と言うか、そう読者に感じさせるような題材を設定しつつ)、同時にそれをきわめて技巧的に仕立てる手腕が発揮されています。

たとえば、印象深い登場人物に伊香亜紀(いか あき)がいます。彼女は実は、もう死んで幽霊になっているのですが、死体は持ち去られたまま発見されず、なぜか幽霊のパソコンからもメールの送受信はできているので、リアルには姿を見せない覆面作家として仕事を続けています。
家族からすれば、仕事ばかりで家族を残して失踪した小説バカの母親という扱いですし、文学賞を受賞しようと、授賞式にも出られません。
それでも存在が消滅するまで小説を書き続ける小説バカは、作者にとってもっとも近い小説家の姿であると同時に、死んだ後のことなど誰も経験に基づいて書くことはできないという意味で、もっとも遠いものでもあります。
あとがきでもある通り(ちなみに本作は、あとがきまで含めて仕掛けのある作品の一部となっています)。

 本書に収録されているそれぞれの物語は……まぁこっちもフィクションだらけだな。そりゃそうだ。死んだ経験なんてないんだから想像で補うしかない。なにもかも体験することは出来ないし、別の人間になることだって無理だ。だから作中の登場人物の気持ちは、正しさなんて求められてもなぁって感じだ。正しい気持ちなんて本人も把握してねぇだろうし。
 (入間人間『バカが全裸でやってくる』、アスキー・メディアワークス、2010、pp.316-317)


ここには、どこまでも想像で描くより他ないフィクションとリアルの身近さとが交差した形象があります。

ついでにメタと言えば、帯に作中人物である甲斐抄子の推薦文が載っていたりと、そういうところまでメタなネタに満ちた構成です。そしてKindle版では帯がないのが残念ですね。


さて、1巻は幕間に(おそらく「僕」の応募した)新人賞の選考過程を挟みつつ、あくまで「僕」が小説家になれたのかどうかは不明のまま終わっていました。
しかし、1年以上して続刊が出ました。この『Ver.2.0』では、「僕」は『バカが全裸でやってくる』をデビュー作として小説家になっているものの、売れるために可愛い女の子を出せと編集に要求されたりで、なかなか「全裸」ではいられない苦労を味わいます。
新作である「自称宇宙人の少女を主軸にした恋愛もの」(『Ver.2.0』、p.122)がどう見ても入間氏の『電波女と青春男』で、1巻で問題解決してしまってネタがないのに続きを書かされたとか、作者の裏事情としか思えないものが赤裸々に語られます。漫画ではこの手の作品もかなりの先例がありますが、ライトノベルではおそらく希少でしょう。
この2巻は群像劇ではなく、「僕」がだいぶ甲斐抄子と親密になっていて、ラブコメ的に見えるやりとりもあったりしますが。

ただ、この話も一筋縄ではいかず、(やはりあとがきまで含めて)最後に仕掛けがあったことが明らかになります。いくつか設定の不整合による違和感の正体も明らかに。


さて、本作はコミカライズもされています(全2巻)。
1巻の群像劇要素を排して、第1章「僕」パートと第5章「バカ」パートのみのコミカライズですが、演出が熱く、さらに原作で仄めかされていたことを独自の仕掛けと演出で描き出していて、非常に良い出来です。
また、コミカライズ連載開始が原作2巻の発売前だったため、「僕」の眼鏡とか甲斐抄子のベレー帽とか2巻で原作に逆輸入された設定もあります。

バカが全裸でやってくる (1) (カドカワコミックス・エース)バカが全裸でやってくる (1) (カドカワコミックス・エース)
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以下はより(漫画版のことも含め)根本的なネタバレありです。
ミステリではありませんが、ミステリのネタバレくらいのつもりで一つ。





原作における重要な真相は、1巻のあとがき(繰り返しますが、これも作品の一部であり、作中人物が語っているという設定なのでしょう)で仄めかされています。

 でもこれは話すべきなのか? ああ勿論、『僕』なんて実在しない……と思うぜ。これの真偽は内緒、ってことにしとこう。それで、『僕』のその後なんだが……例えば、推理小説ならこういうオチはどうだ? 実は『僕』として描かれていた行動は全部、最後に描かれた『オレ』だった、とか。ほんとは大学で『オレ』が甲斐抄子と張り合い、小説家への道を歩む。つまり『僕』と対話していた『オレ』の行動と言葉は……みたいなさ。どう?
 (『バカが全裸でやってくる』、pp.317-318)


「オレ」とは「バカ」です。

こうして見ると、たとえば「飲み会から全裸で帰った」のがいつの間にか「僕」の所業にされていたのも、噂話が途中で歪められたせいではなかったことになります。
小説家になることを諦められないでいながら、自分には才能がないんじゃないかと恐れている「僕」と、自分が小説家になるのを諦めて「僕」のプロデュースを言いながら前向きな「バカ」(「オレ」)との対比も、同一人物の両面であるとするとまた別の見え方をしてきます。

そしてこれは、「全裸のバカ」が小説家の象徴的な形象そのもの(それゆえ、特定の人物ではない)であるという本作の主題にも合致します。

漫画版は独自の演出で「僕」=「バカ」説を暗示します。「僕」と「バカ」が一緒に行動していた場面で実は一人しないなかったことを匂わせるオリジナルの演出が加わっていますし、「僕」の顔が実は「バカ」にそっくりだったのを見せると同時にいつの間にかバカがいなくなっている場面は圧巻です。
原作では「飴色の髪」と描写されていた「バカ」が黒髪になっているというデザインの違いも、この辺の演出を見込んでのことでした。
原作への深い理解に基づき原作者ばりのトリックを仕込んだ、最高度のコミカライズだったと言えるでしょう。


そして『Ver.2.0』の大仕掛けとは、『Ver.2.0』の全体が作中に登場した5人の作家によるリレー小説であり、すなわち作中作だったというメタ的な構成です。
いくつかの設定の不整合はそのせいです。
そしてこの2巻でも、第5章だけ主人公の一人称が「オレ」になっています。これはもしかしたら、この章の主人公はそれまでとは別人だということを示唆するのかも知れませんが、逆に「僕」=「バカ」説を暗示するようにも見えます(「バカ」の一人称は「オレ」)。
あとがきに曰く、

 この本は五章だけ唐突に、一人称が『オレ』になっている。別に誤植ではないし、そいつだけルールを外れて他の話を書いたわけではない、と保証しておこう。協調性こそ明らかにないが、これはあくまで『僕』の『その後』だ。バカも伊次原幸子もいねーけどな。でも、どこから始まる『その後』なんだろうな。
 一秒後、五十年後も。どっちも未来に変わりはないんだよ。
 で、だ。なぜ、五章の『僕』だけが『オレ』なのか。
 こうは考えられないか?
 五章を書いたそいつは、『僕』がオレという一人称だと知っていた。
 そう、他の作家と違って『僕』の身近にいたからこそ、そいつはそう書いたのだ。そうすれば他の四人よりも正確に、『僕』を描くことができる。それを、この小説の中で『勝ち』と感じるやつがいてもおかしくはない。そう、思えないだろうか?
 (入間人間『バカが全裸でやってくる Ver.2.0』、アスキー・メディアワークス、2011、pp.258-259)


つまり、「僕」はやはり「オレ」、すなわち「バカ」と同一人物であった、と。

が、もう一つの問題として、この第5章とあとがきを書いた(作中)作家だけは誰か明かされていないことです。
けれども、「僕」に近しい作家と言えば甲斐抄子しかいません(「僕」と「バカ」が別人でないならばなおさら)。
その証拠として、伊次原幸子の存在があります。
伊次原幸子――「僕」が最終選考で落選して拾い上げデビューとなった新人賞で大賞を受賞した作家で、しかも女性となると、「僕」の「拾い上げデビュー」に入間氏自身が投影されているとすれば明らかにモデルは紅玉いづき氏なのですが、ただ彼女は作中作家が創造した架空の人物という扱いです。それゆえ作家間の不統一で、章ごとに性格が違います。
彼女の名前は執筆作家5人の名前から取られたものです。判明している4人は橘川英次(※)、町高幸喜伊香亜紀芦原時計――残り一文字「子」を提供できるのは甲斐抄子の他に候補がいません。

※ ちなみに橘川英次は本来『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』8巻の登場人物で、『バカが全裸でやってくる』の1巻にはわずかに一箇所、それらしい名前が出ただけなのですが。

けれど他方で、『Ver.2.0』は自分と甲斐抄子の私生活を描いていて、あとがきはこんなことも言っています。

 さて、あとがきで分かるとおりこの本は複数作家の短編集だ。前巻に登場していた作家たちが集って書いたのはいいけど、なんか『甲斐抄子を辱める集い』みたいになっているのは気のせいか? 気のせいだよな。ちなみにそのカイショーさんは昨日、『この本を書いたやつは全員、訴えられる覚悟をするように』とか言っていた。まーでもあいつはいいやつだから、饅頭でも差し入れすれば許してくれるよ。多分な。二箱が最低ラインな。
 (同書、p.256)


けれども、上述の情報からすると、こう言っている文章を書いているのが甲斐抄子本人であることになります。
「自分が辱められて怒っていました」と、それすらもネタにする――それが作家というもの。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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