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言葉の見かけに引きずられないこと

本日の『ドキドキ!プリキュア』では敵側にも新幹部が二人登場。
すでに複数の世界を滅ぼしてきたとかいう強者、しかも一方はヒゲの剃り跡の青いオカマとか、なかなか濃い感じです。

キュアエースも、まだ何者かは不明ですが、変身前の姿が登場。
変身前はマナより大分背が低くて幼い感じなのが、変身すると化粧っ気の強い大人びた容貌になるのが印象的ですね。変身アイテムがアイシャドー、武器がルージュですし(ちなみに、ルージュを塗って投げキッスで必殺技を放ちます)。
なお、プリキュアの変身には妖精が付き物で、『ドキドキ!~』の4人の場合、それぞれ相棒の妖精が携帯電話に変身して、それに装飾具を嵌め込んで変身するのですが、エースはアイちゃん(謎の赤ちゃん)が変身アイテムを出して変身します。前回、エースの登場時に「キュピラッパ~」とアイちゃんの声がしたのはそのせいだったようで。

 ~~~

TVの話はここまで。
AMAZONの発送履歴を見ると、一緒に注文しても別々に発送されたものは分けられています。
しかし、当初は分かれていたような記憶があるものが、今見ると一まとめに「発送済み」になっているのに気付きました。そして、先日届いた中に、当初分けられていた1冊はありませんでした。
……?
あるいは(例によって海外からだったので)税関で差し押さえられたとか…?

 ~~~

さて、「アカデミズムの習慣」で述べた話には、実は続きがあります。
実際、欧米の哲学書を見ると、既存の翻訳を参考文献に挙げ、引用しているものもよくあります。もっとも、著者は原書を読んでいても、読者の便宜のために参考文献として既存の翻訳を挙げているというケースもありますが…

で、たとえばドゥルーズも翻訳を使っているし……という話が出ると、そこでフランス人研究生が「いやドゥルーズは特別〔な例〕で」と。
「彼は特別、語学ができない人だから」

現代フランスの哲学研究者フィロネンコの指摘によれば、ドゥルーズはカント仏訳でのみ読んでいるためにきわめて初歩的な間違いを犯している、との話。
そこで、フィロネンコがそれを指摘しているという著作を入手してみました。

[……]高名なジル・ドゥルーズはその著作『カントの哲学』において、表象(représentation)という語の内で重要なのは re (回帰反省の運動を指示する)であると説明している。しかし、あるのは不都合だけである。表象はドイツ語では Vorstellung と言い、接頭辞 Vor はを意味するのであって、そのため表象が表現せんとしているのは対象を前に立てる作用だからである。しかしそれ以上に、ジル・ドゥルーズは注目に値する過ちを犯している。彼は自らの解釈において、翻訳に基づいた語源学に専心することで一つの思想を説明しようとしているのである。これは過ちを超えた、過ちとは別の事柄である。方法が見当違いなのである。これを真似るのは実に悪趣味に属することだろう。しかし、明らかにある程度は彼を許容することができよう。というのも、語源学という魔物を鎖から開放したのは彼ではないからである。[……]
 (Alexis Philonenko, Qu'est-ce Que La Philosophie?, Vrin, 1991, p.44)


では「語源学という魔物を鎖から開放した」のが誰かと言うと、上記引用箇所の周囲で出ている名前はまずハイデガーです。ただ、哲学で語源学に傾倒するのはハイデガーが元祖というわけでもないでしょう。
こういう見当違いを差し引いてもドゥルーズの著作に見るべきものがあるかどうか、それは各読者の判断に任せましょう(私もまったくないとは思いませんが、他方で今ひとつピンと来ないことが多いのも事実)。
ただ、こういう事例を見ると、「原書になどまるで当たっていないで、しかも結構有名な学者がいる」からと言って、真似して良いとは言えないことが分かるでしょう。

ところで、上記のフィロネンコの著作の引用箇所のすぐ前には以下のような記述があります。

[……]明らかにロシア語の単語はたいへん奇妙であって、たとえば驚くべきことに、pravda は正義真理を等しく意味する。これは論理にも歴史にも等しく反することだろう、というのは、多くの刑罰は決して真理に基づいているのではないことは周知のことだからである。しかし、そこには一つの確かな警告が見出されるだろう。哲学的真理を言葉の内に求めることは、破滅に身を晒すことであるという警告が。[……]
 (Ibid., p.43)


このロシア語の pravda の話は同著者の『アリストテレス講』(Leçons Aristoteliciennes)のまえがきにもあって、論の本筋との関連が薄い部分だけになおさら著者固有の背景を感じたりしました。
しかも、私はたまたまこの2冊を同時に入手したのでなおのこと。

Qu'est-ce Que La Philosophie?: Kant Et Fichte (Pre-Textes)Qu'est-ce Que La Philosophie?: Kant Et Fichte (Pre-Textes)
(1991/03)
Alexis Philonenko

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Lecons AristoteliciennesLecons Aristoteliciennes
(2002/02/06)
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カントの批判哲学 (ちくま学芸文庫)カントの批判哲学 (ちくま学芸文庫)
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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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