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見えるものは美しい、けれども……――『風立ちぬ』

中古屋で映画『羊たちの沈黙』のDVDが480円で売られているのを見かけて入手しました。
こういうこともありますが、しかし、手に入れたいと思うものはどちらかと言うと多くはありません。
他方で、往年の名作というかある程度古い作品に関しては、新品のDVDも相当に安く売られていることに気付いたり……いつの間にこんなに安くなったのでしょうか。

 ~~~

さて、昨日観てきた宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の話をしましょうか。
以下は一応、ネタバレということで。





この映画の主人公は“零戦を作った男”堀越二郎です。
ただし、同時に詩人・掘辰雄が重ねられていて、タイトル「風立ちぬ」やヒロインの名前「奈穂子」にもそれが反映されています。

と、脚色はあれどある程度まで実在の人物に取材しており、それゆえに史実を踏まえざるを得ない物語です。
実際、風景や生活の描写に関しては戦前の雰囲気が見事に描き出されていたかと思います。
にもかかわらず、私が同時に感じたのは、奇妙に幻想文学的な雰囲気でした。

ただ、この「幻想」という言葉もあまりにも広い意味で使われすぎていて、これだけではほとんど何も説明したことにならないので、もう少し説明します。
まず冒頭から、少年の二郎が飛行機で空を飛ぶ夢で始まります。道に牛馬が歩いている田園風景は20世紀初頭の空気を感じさせ、前情報がなくても時代を推察させるに十分ですが、他方で少年が一人乗りで屋敷の屋根から飛び立つ飛行機はまったく浮いた技術ですし、さらに奇妙な巨大飛行船も登場します。そして夢落ち。
その後も何度となく夢のシーンは出てきますが、二度目以降、二郎はイタリアの設計技師カプローニ夢を共有することになります。
この夢での出会いにより、彼は飛行機の設計技師を目指すことになるのです。

しかも場面転換の仕方は割と自在で、夢と現実の切り替わりを示す明確なサインはありません。内容からようやく夢だと分かります。
夢と現実以外にも、――作中で20年に及ぶタイムスパンを描いているがゆえに当然とも言えますが――場面の切り替えに唐突なところが多く、たとえば二郎が職場に配備される場面など、さっきの場面までは大学生だった彼が就職したのだと、少し見ていてようやく分かる感じです。

地震のシーンなど、地面が派手に波打って、地中から怪獣でも出現するかと思う表現でした。「地震だ」と言っているのを聞いて、これは誇張表現なのだと理解します(ちなみに、ほとんど前情報をチェックしないで観ていたので、これが関東大震災だと察したところでようやく年代を正確に特定しました)。

もっとも、だからと言って理解困難な感はありませんでしたし、このことはさほど意外でもありませんでした。
何しろ、『崖の上のポニョ』ではもっと夢と現実が相互浸透するような世界を描いていた監督ですから(あの映画では、古代魚の泳ぐ海を宗介とポニョがごく自然に受け入れているのを見た時、子供たちの空想の世界が津波とともに溢れ出て来たように感じられました)。
『ポニョ』の時に、こうやって大きなテーマ性から外れて私的世界を描くようになるのも老境ゆえの作風か、と思ったのは穿ちすぎかも知れませんが、今回の『風立ちぬ』でもその作風はどこか続いていて、現実的な題材がそれに対する重石となって本作のバランスが生まれた、そんな気がしています。

プロデューサー鈴木敏夫氏も、「この漫画は俺の趣味で描いている。映画化などとんでもない」「アニメーション映画は子どものために作るべきで、大人物を作ってはいけない」という宮崎氏に対し「風立ちぬ」の映画化を求めた時のことを以下のように書いています。

 しかし、ぼくは食い下がった。プロデュースの基本は野次馬精神である。宮崎駿が戦争を題材にどういう映画を作るとか。戦闘シーンは宮さんの得意技。まさか、今度の映画で交戦的な映画は作るわけにはゆかない。そのことはあらかじめ分かっていた。得意技を封じられるとき、作家は、往々にして傑作をモノにする。
 (パンフレットより)


論点は違いますが、鈴木氏も作家の作風と題材の緊張関係によるバランスをはっきりと念頭に置いています。


それから、ヒロイン菜穂子。彼女は震災の時に二郎と出会った後、中盤はしばらく登場しないのですね。
二郎が七試艦上戦闘機のテスト飛行に失敗し、失意の内にある時に再会するのですが、ここで二郎が紙飛行機を作り、お互いにそれを投げてキャッチすることで交流する場面があります。
飛行機作りに行き詰って紙飛行機まで後退し、そこで私的な出会いを得た――そんな感じです。

結核を病んでいた菜穂子は、病を押して高原病院を抜け出し、二郎と密やかな結婚生活を送りますが、最後にはまた高原病院へと去って行きます。去る菜穂子と涙を零しながら設計図を描き、そして九試単座戦闘機を完成させる二郎がこの映画のクライマックスです。
(二郎が特高に追われていたという事情から)二郎と菜穂子を家に引き取っていた二郎の上司・黒川の夫人は、去っていく菜穂子について「一番綺麗なところだけ、好きな人に見てもらえたのね」と言います。
この言葉は、この映画全体を象徴しているように思われます。

何しろ、実際に零戦が作られるところも、ましてや零戦が戦争で散っていくところも、作中では描かれません。
ただ、クライマックスの後はエピローグでふたたび夢の世界に移り、「君の10年はどうだったかね」と問うカプローニに、二郎は「はい、最後はズタズタでした」と答えます。
「国を滅ぼしたんだからな。あれだね、君のゼロは」

ここの余韻を汲むためには、ある程度の史実に関する予備知識は求められるでしょう。
何しろ、カプローニは「飛行機は戦争の道具でも、金儲けのためのものでもない。偉大な夢だ」と言いますが、だからといって作中の飛行機作りたちは誰一人として、「戦争のために戦闘機を作らなければならないことを悲しみ、嫌がっている」という風には描かれません(「戦闘機にするのが惜しい」といった台詞はありますが、それはあくまで、出来ることが限られることに対する遺憾の念でしょう)。

だからこの映画は決して戦争の悲劇性を前面に出さず、「最後はズタズタ」になるところを描きもしません。
この映画そのものが「一番綺麗なところだけ」を見せているのですが、しかし最後に「最後はズタズタ」になったことに関するかすかな述懐を入れることにより、美化して終わらせもしません。

 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。(……)
 (宮崎駿「企画書 飛行機は美しい夢」、パンフレットより)


あくまで美しいところだけを見せつつ、綺麗なだけでは終わらないことを感じさせるその仕事、確かに見させていただきました。


ちなみに、主題歌となった荒井由実(松任谷になる前)の「ひこうき雲」はずっと以前からCDを持っていましたが、絶妙のマッチだと思わざるを得ませんでした。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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