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昼と夜の隔たりと近さ――『ヴァンパイア・サマータイム』

はい、一昨日に購入報告を書いていましたが、ようやくライトノベル『ヴァンパイア・サマータイム』のレビューいきます。

ヴァンパイア・サマータイム (ファミ通文庫)ヴァンパイア・サマータイム (ファミ通文庫)
(2013/07/29)
石川博品

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本作の舞台は基本的に現代日本ですが、ただ吸血鬼が人口の半分を占める世界です。
吸血鬼は(伝統通りに)太陽光に弱いので、活動は夜間です。学校も昼間部(人間)と夜間部(吸血鬼)が入れ替わりで同じ教室を利用するシステムになっています。
本作中の吸血鬼は、日光に弱く夜目が利き、たまに栄養補給のため輸血用の血液を摂取する以外は、人間と同じものを食べ、同じ文化の内で同じように生活しています(人間を襲うのは法で禁じられています)。

コンビニ経営者の息子である高校生・山森頼雅(やまもり よりまさ)は、コンビニのバックヤードの冷蔵庫から、毎晩夜間部の登校前に飲み物を買いに来る少女・冴原綾萌(さえはら あやめ)を密かに見ていましたが、やがて路上で彼女と接触して、次第に親密な関係を築くようになり……

まあ、たまにといっても輸血用血液の消費量は結構な量になるんじゃないか、といった疑問はありますが、しかしこの設定の意義はあとがきにある「吸血鬼を特別なものとしたくなかった」(p.318)という言葉に尽きるでしょう。
これは正真正銘、普通の少年と少女のラブストーリーです。

文体も過去作品のネタに満ちた一人称とは打って変わって、どこかしんみりと落ち着いた三人称です。
ただポイントは、山森――通称ヨリマサ――と冴原の視点が交互に来ていることで、このことがそれぞれの実態や自己評価と相手の目に映る姿とのズレを実に巧みに描き出しています。

ヨリマサは夜眠れなくて昼夜逆転気味の生活を送っている高校生で、昼夜逆転というのはだらしなさを感じさせこそすれ、本人視点のパートでは特別パッとしたところがあるようには描かれていません。気になる女の子を裏からそっと見ているのも締まりのある話ではないでしょう。
他方で冴原は女子バレー部のレギュラーで優等生ですが、その実勉強でも、一度得てしまった成績を落とすのが怖いというそれだけの理由で窮々としている、自己評価ではそんな思いがあります。
そんな二人は、お互い相手に自分にないものを見たせいか、奇妙に相手を高く評価してしまうのです。

たとえば象徴的なこととして、ヨリマサは冴原の登場する淫夢を見ます。

 夢に見たせいで好きになるなんて、理屈に合わないことだった。人を好きになるルートとしては、人柄を理解し、そこに惹かれていくのが最上で、それとくらべると、「顔が好き」というのはちょっと落ちる。「夢で見たから好き」なんていうのは論外だ。相手の本質とまるで関係がない。
 (石川博品『ヴァンパイア・サマータイム』、エンターブレイン、2013、p.105)


他方で冴原は、ヨリマサの血が気になっています。

 ヨリマサは別にかっこよくない。雰囲気も何となく暗い。無神経なくせにどこか壁を作って他人を寄せつけないところがある。
 冴原の好みでは全然ないのだが、なぜか気になってしまう。彼は彼女のクラスの男子とちがって血色がよく、首筋や手首の薄い皮膚の下を流れる血の香を濃く漂わせていた。それは彼女にとって震えるほど魅力的なものだった。
 今日もいっしょに歩いていて彼女は傘の下でのぼせていた。冷たい血液パックからではなく、熱く脈打つ血を彼の血管から直接吸いたいと願った。牙で皮膚を田ぶり、腕で締めつけ、全身で彼の体温を感じながら味わう。そのとき彼はどんな目で彼女を見るだろう。恐れか憐れみか。いずれにせよ、その視線を受ければ彼女は彼の血一滴一滴まで愛しくてたまらなくなるだろうと思った。彼の目には魔力があった。
 だが、そんなふうに心惹かれることは正しいあり方ではない。血や体に興奮するなんておかしい。そんなのエロマンガにだって出てこない。
 (同書、pp.88-89)


そしてお互い、こんな疚しい思いを抱いているのは自分だけだと悶々とするのです。
(文章の全編に漂う濃密なエロスにも注目)

この根底には、そもそも人間と吸血鬼という種族の隔たりがあり、昼の世界と夜の世界の隔たりがあります。
少なくとも人間は、吸血鬼について無知です。

 最近よくテレビで見かけるハーフタレントは父親が吸血鬼で母親が人間だという。彼女は太陽の光を浴びても平気だが、彼女の父親は死んでしまう。彼女の披露する「吸血鬼あるある」はどちらかというと人間の視聴者に好評だった。彼らは吸血鬼の生態に関して無知である。ヨリマサも彼女のネタはめずらしくておもしろいと思う。(……)
 (同書、p.9)


(……)吸血鬼と昼間の人間という組みあわせだと、昼間の人間が生まれる。近ごろ話題のハーフタレントもそのパターンだが、冴原は彼女のことがあまり好きではなかった。確かに吸血鬼と人間のハーフはめずらしいが、「吸血鬼あるある」と称して当たり前のことをしゃべるだけで芸がない。冴原はどこがおもいしろいのかさっぱりわからなかった。(……)
 (同書、p.40)


他方で――

 吸血鬼は昼間の人間を恐れている。日の光を浴びて活動できるなんて、何か異常な力を持っているに違いないと信じているのだ。
 (同書、p.76)


しかしまた、そんな遠さがお互いの間に横たわっているからこそ、二人の接近も際立ちます。
ヨリマサが昼夜逆転生活を送っているのも、この時ばかりは本来なら生活時間帯を異にする二人の接近を可能にしてくれます(ちなみに、挿絵が夜が室内ばかりで全般的に薄暗いのも作品の叙情的な印象に一役買っています)。
また、冴原の友達の影宮が冗談ばかり言っていて、それを相手にしているお陰で、ヨリマサが昼間の友達にツッコんで貰えなかったネタに冴原が応じてくれる、といった場面もさり気なく二人の相性を物語ります(今作では控え目となった作者のユーモアも健在です)。

何より見事なのは、そもそもコミュニケーションが誤解から織り成されるものである点を巧みに描いている点でしょう。
誤解から相手を過大評価していたならば、誤解に気付いたら幻滅する、誤解を乗り越えて本当の関係を築く――そういうふうには必ずしもなっていません。
誤解には後で訂正されるものもあり、隠していた本音には明かされるものもありますが、それは誤解を積み重ねてきた時から一繋がりの、お互いに惹かれていく過程なのです。

たとえ断片的に「相手の姿を見た」というレベルであれ、人は相手のことを知ることで好きになるものです。ただし付け加えるならば、誤解から相手のイメージを形成するのも、誤解を訂正して実態を知るのも「相手のことを知る」内なのです。
じゃあどっちに転んだって好きなんじゃないかというなら、然り、そうなってしまうのが恋愛の引力というものでしょう。


コンビニの冷蔵庫を隔てて出会った二人の間には、最後まで隔たりがあります。まず単純に、夏休みが明ければヨリマサは昼の生活に戻らねばならないのです。
それは究極的には、コミュニケーションが完璧なものではあり得ないという壁に重ねられます。
けれども他方で、隔てられた世界の思いがけない近さを、恋愛は教えてくれるのです。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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