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魂の所在

昨日のドリアンですが、思ったより早く、もう熟した印としてヒビが入り始めました。

ドリアン2日目

もっと前に買って来た桃はまだ熟していないというのに……
タイから輸入しているので、輸送中に熟しているのでしょう。

なんか匂うと思ったら案の定これの匂いだったようで……とは言え、発酵食品(たとえば納豆)に比べればそこまで強烈な臭いではありません。
我が家(実家)は今でもエアコンを設置していなくて夏は窓を開けっ放しなので、風通しがいいのも幸いしました。臭いが籠もりません。
続く問題は、自然とヒビが入るとは言え完全に割れてはいないので、これを割らなければ食べられないことです。
殻が硬いので、鉈でもないと割れないかも知れませんね。迂闊に素手で扱うとトゲで怪我をしかねません。

オランウータンは素手でこれを食べていますが、人間には真似できません。

 ~~~

ここからは前回の後半に出た、「人格のデータ化移植」に関わる話です。

物語の設定としてはともかく現実に関する考え方として、科学的・合理主義的な現代人にとっては、物質とは別に「霊魂」が存在して、生きている人間にはそれが宿っている、といった考え方はあまり人気がないのではないかと思われます(とは言え霊の話も人気だったりするので、書いていてだんだん自信がなくなってきましたが)。
そんな現代人に比較的人気がある考え方の一つは、脳はコンピュータのようなものであり、心とはデータやプログラムのようなものだ、というものです。
よりコンピュータ的にアルゴリズムという表現を使う手もありますね。

このような考え方をおおむね矛盾なく維持することは可能でしょう。
ただ気になるのは、このような考え方をしつつ、他方でこれは「物質とは別に存在する霊魂」といった考え方を否定する唯物論だ、と考えている人が結構いるように思われることです。

しかし、アルゴリズムというのは原則的に、それを遂行するハードウェアが何でできているかからは独立しています。
昔のパンチカードのコンピュータでもIC回路でも、性能の高下があれど、同じプログラムを走らせれば同じように働きます。
これこそ、もっとも厳密な形で心身の相互独立を主張する二元論でなくて何でしょうか。

これを唯物論だと考える背景には、おそらく「存在とは実体である」という存在論があります。
「実体」という言葉も近世哲学では複雑な文脈を背負っていますが、この場合は「物体的な物」とでも考えれば良いでしょう。

・存在とは実体である
→ すなわち、心身二元論とか生気論(vitalism)というのは、物質とは別の実体として「心」や「生気」の存在を主張するものである。
→ ゆえに、実体としての「心」や「生気」の存在を批判すれば、二元論や生気論を論駁したことになる。

しかし、思想史を鑑みてこのような二元論や生気論の捉え方が相応しいかどうかは、少なからず異論の余地のあることです。
勝手に論敵を矮小化して話を済ませている感もあります。


ここからふたたびフィクションの設定を考えてみると、実際、「人格をデータとしてコンピュータに移植し、ロボットの身体を与える」のと「霊が人形に乗り移る」ので、ほとんど同じ構造の話になり得ます。

もう一歩凝ったSFとして、ソウヤーの『ターミナル・エクスペリメント』では魂の存在が実証されます。
他方で主人公は、自分の人格をデータとしてコンピュータ上に再現する実験を行いますが、ここでデータとして複製される「人格」と魂はあくまで別物であり、それが物語の要でもあります。
ただし、この方向を追究すると、『ターミナル・エクスペリメント』ともまた少し別の考え方に行き着く可能性もあります。そもそも人格そのものはコンピュータ上に完全に再現されている以上、果たして魂はそんなに大事だろうか、と考える方向です。
(もしかすると察しのいい方は、これは『魔法少女まどか☆マギカ』におけるキュウべえの「キミたちはどうしてそんなに魂の在るところにこだわるんだい?」という台詞に通じると感じるかも知れません。それが正しいことは、以下の論でいっそう明確になるかと思われます)


漫画『鋼の錬金術師』においても、魂は身体とは別に存在します。
そしてこの作品には肉体を失い、鎧に魂を宿されたアルフォンスが「記憶もデータみたいなものだとしたら、作り出すこともできるだろう?」と、自分が人間だった記憶が本当かどうかを疑うシーンがあります。
もちろんそんなことはないのですが、ただ「記憶もデータみたいなものだとしたら」という前提そのものははっきりとは否定されません。
「鎧に魂を宿す」ことが「人格データをロボットの電子頭脳に移す」こととほとんど同一の内容になること、お分かりでしょうか。

その上で、『鋼の錬金術師』の世界観においては、「命」は身体に属するのでもなく魂に属するのでもなく両者の合一の事柄であり、それこそが錬金術によっては得られないものであることを私はかつて論じました。(「等価交換と心身合一」参照)
つまり、『ターミナル・エクスペリメント』における「人格データ」は『鋼の錬金術師』の「魂」に相当し、そしてそれと身体を併せ持った生きた人間にのみ存在する「第三のもの」という点で『ターミナル~』の「魂」は『鋼の~』の「命」に相当するとも言えましょう。

ただし、大きく異なるのは「第三のもの」の位置付けであって、『鋼の錬金術師』においてそれは肉体の成長に現れます。それを失うことは成長する肉体の喪失という目に見えて分かりやすい形で現れるのです。
対して、『ターミナル・エクスペリメント』において魂は「死んだ時に抜け出ていくもの」としてその存在を確証されるのであり、要するに問題となるのはそれが抜け出て行く先、つまり死後の生です。
ただ、その「死後の生」の具体的な内容は最後まで、生きている人間にとっては未知のこととして、蓋然的に言われているだけなので、そこから「もしかして魂は、そんな重要じゃないんじゃないか」とも考えてみたくなるのです。


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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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