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日常という異常――『B.A.D. 11 繭墨は紅い花を散らす』

今回取り上げるのは物語りも終盤に入っている『B.A.D.』の新刊です。

B.A.D. 11 繭墨は紅い花を散らす (ファミ通文庫)B.A.D. 11 繭墨は紅い花を散らす (ファミ通文庫)
(2013/08/30)
綾里けいし

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 (前巻の記事

「繭墨あざか」は必ず殺される運命にある――その元凶の正体も前巻で判明しました。
今回は未来を見る異能者御影粒良(みかげ つぶら)が登場して、繭墨の死を予言します。
しかも、この予言は御影自身の死の予言と結び付いているので阻止したい、協力してほしい、と申し出てきます。
自分の命も含めて冷笑的な繭墨は冷たい反応ですが……

「気持ちはわからなくもないよ。だが、随分と馬鹿馬鹿しい頼みだね。君も知っているだろう? 君の視た光景を、回避できたことなど、残念ながら、今までに一度もない」
「あぁ、そうだ。それは誰よりも私が知っている。だが、私が今まで見た運命は他人のものだ。他人の回避の努力の妥当性は、私には判断できない。やる価値はあるだろう」
「まぁ、ボクもアレに、ボクをくれてやるつもりはないからね。ボクはボクの死は受け入れるが、他人に娯楽を与える気はないよ………協力してもいいが、一つ疑問がある」
 (綾里けいし『B.A.D. 11 繭墨は紅い花を散らす』、エンターブレイン、2013、p.32)


そのために、御影と繭墨、そして小田桐は孤島で行われる、人肉を供する晩餐会に向かうことになります。
なぜそうなるのかは読めば分かりますが、あくまで「この晩餐会の出席者が予言に関わりのあるものを持っている」というだけのことであって、晩餐会の背景や人物関係は本筋とのかかわりは薄いのです。
ただ、人肉食というおぞましいモチーフに、欲望の赴くままそんなところにやってくる連中の浅ましさと醜悪さの描写は本作の真骨頂でもあります。

第2章はコメディパートです。
小田桐に鬼を孕ませた元凶にして、本作4巻までの敵ボスであった「狐」こと繭墨あさと(あざかの兄)も、7巻で復活してからは随分と大人しくなっていた感がありますが、今回はついにギャグ要員になりました。女子小学生に踏みつけられるわこんにゃくで叩かれるわ…

とは言え、この女子小学生――七瀬七海(ななせ ななみ)は、今となっては一番謎の多いキャラではあります。
小田桐の住むアパート「メゾン・ド・ナナセ」の大家の孫で、おばあちゃんに代わり家のことやアパート経営のことを取り仕切っており、現実主義者で腹黒く小田桐への好意も金目当て、ついでに異能で生まれた怪物にも動じない(興味のないことにはとことん興味がない)――というところまではいいとして、そもそも「おばあちゃん」なるものが今まで姿を見せた試しがありません。
前回――結局、小田桐の夢の中でのことでしたが――珍しくその件が問われた時には露骨に(しかし実に堂々と)話を逸らしていましたし、おばあちゃんは実在しない可能性が高そうで……

今巻にしても、メゾン・ド・ナナセでの日常の後に一気に「紅い女」の手駒との対決に移行するわけで、コメディタッチでの日常をワンクッション挟んで落差を付ける展開……と普通なら言いたいところですが、本作の場合は少し違う感もあります。
むしろ、異常事態をも飲み込んで皆で馬鹿騒ぎをしていられる七海の周辺の方が、いっそう異常であるかのような……

ただ、その辺の異常性はともかく、今回は七海の腹黒さは控え目です。
の件では普通にいい役になっていますし。

綾は元々、あさとにによって生み出された、不定形の肉が人の形を取っている存在です。
あさとが一度異界に消えた後は、七海に拾われて家の手伝いをしていました。
しかし、人の形をしていても人ではない、その違いはいずれ出てくるという現実をあさとは指摘します。
けれども、これから辛くなるから不幸だなどと、そんなことを言うのを七海は認めません。綾の“人並みの日常”を断固守ろうとします。
いい話には違いありません。けれども他方で、日常というのがかなり不自然に切り取られ維持されている世界であるかのごとき印象も、ないではありません。
そんなことも含めて、今回は綾が主役だったとも言える内容でした。彼女は幸せだったと――そう言って良いのでしょう、きっと。



さて、前巻の時にも本作が踏まえていると思われる、「鬼」の民俗学的な話を私は引用しましたが、今回もそうした話が出てきます。
繭墨家の先祖は鬼を食べて異能を得た、とされます。けれども、それは実のところ人を食ったのであり、食われた女――「零代あざか」――は、生きながら食われるという想像を絶する苦しみゆえに鬼になった、とも表現されます。
しかし今回、繭墨は今回、彼女は最初から「人ではない」と言います。

「古来、人より育ちすぎたり、歯の生え始めが早かったり、霊的な素養を持った子供は鬼として山に捨てられた。彼女は運良く生き延びた人間に過ぎない。だが、同時に、人ではなかったんだよ。人ではないが故に、必然として、彼女は御山で生き延びたのだ」
 (同書、p.10)


彼女は不死の魂を持つ存在であり、それゆえに捨てられても死なず、食われても死なず、その魂は生きたまま彼岸に流れ着いて、その支配者となったのでした。そして彼女の存在こそが、繭墨の異能の源泉でもありました。

「鬼子」という迷信に対して、捨てられた子供は本当に人ではなかったというのは、ある種シンプルな話ではあります。
しかし、鬼として扱われたからこそ彼女は災厄になったという面もあるわけです。
本作において、全ての悪の根源が人間の浅ましさや醜さに還元されるわけではありません。天然ものの異常事態や、――浅ましさゆえに図らずも陥るのではない――意図的な悪の存在はむしろ明瞭に描かれています。ですが、そこには両義的な面もあります。


そう考えた時に改めて問題になるのが、あらすじにもある「運命は自分の手で変えられなければおかしい」という小田桐の言葉です。
だからこそ今巻の前半では予言の成就を妨げようと動いたわけですが……回避したと思った予言が戻ってくるのも定番の展開です。

小田桐は常識的な視点から自由意志を信じようとしていますが、そもそも本作中における「運命」の扱いは未だに明瞭ではありません。
「繭墨あざかは必ず殺される」という運命に関しては、はっきりと紅い女(零代あざか)の意図が働いていました。
運命は黒幕が意図的に引き起こしている、逆らえないのは単に相手があまりに強大だから、というのはこれまたシンプルな話ではあります。
しかし、御影の予知という異能は一応、紅い女とは独立しています。果たして、紅い女に対抗できれば運命も変えられるのかどうか……

孕んだ鬼を鎮められるのは繭墨だけという設定上、繭墨の死は小田桐の運命にも直結します。
そしてその鬼・雨香も今回、さらなる急成長を遂げました。小田桐にとっては大切な娘になっていますが、成長していけばいずれどうなるか分からない、ということも初期から仄めかされていました。
主要人物も生き延びられるのかどうか分からないこのシリーズ、どうなるやら楽しみです。

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