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「ありそうにない」がゆえの説得力

前島賢氏の論に基づいた2種類の「リアリティ」の区別については今までも繰り返し強調してきました(後に、伊藤剛氏も同様の主張をしていたのを知りました)が、当該の箇所を今一度引用しましょう。

[……]本作〔=『最終兵器彼女』〕を「セカイ系」と名指す人々は、その理由として戦争描写のリアリティの欠如と設定の欠落を挙げる。
『最終兵器彼女』では、突如、札幌がロシア製と思われる爆撃機の編隊により無差別爆撃され、10万人以上もの死者、行方不明者が発生する。しかし、この軍隊は何者なのか、日本と何か原因で争っているのか、物語を通じて一切、説明がない。[……]
 そして、都市部が爆撃されたというのに、シュウジたちの日常生活はほとんど変わらない。現実には、第二次世界大戦以降、都市部への無差別爆撃は起こりえなくなっている。それでも、もし、都市部への無差別爆撃が行われる状況なら、日本はきわめて危機的な立場に置かれており、原油の輸入などに支障をきたしてもまったくおかしくない。しかしこの作品では、爆撃したのは「国籍不明機」ということで納得されてしまい、「みんなも暗黙の了解で空襲にふれるのはやめ」、シュウジは何ひとつ変化のない日常を過ごす。……
 そしてまた、質量保存の法則さえも明らかに超越した「最終兵器」ちせを支える超科学はどのようなものなのか、いかにしてもたらされたのか、そしてなぜちせが、選ばれなければならなかったのか、ほぼ説明がない。
 [……]
しかし、一読者として正直に告白すると、そのような描写に(矛盾するようだが)リアリティを感じ取ったのも事実である。たとえば著者は13歳で阪神・淡路大震災やオウム事件に遭遇した。まるで戦争でも起きたかのように大都市が壊滅し、あるいは東京が大混乱になる。しかし、その日も次の日も日常は続き、学校はあり、昼の時間にテレビをつければ「笑っていいとも!」が流れていた。……
つまり『最終兵器彼女』で描かれる戦争は、政治的、軍事的リアリティをまったく排除することで、かえって10代、20代の皮膚感覚としてのリアリティを獲得することができたと言っていいかも知れない。
 (前島賢『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』、ソフトバンク、2010、pp.78-80)


私はここでの「政治的、軍事的リアリティ」を「知解可能性」、「皮膚感覚としてのリアリティ」を「親しさ」と呼びました。
(しかし、今改めてこの文章を引用してみて思ったのですが、東北の震災を経由した今、この感覚は変わったのでしょうか、それとも強化されたのでしょうか)

実際、「それが起きてしまった現実」を経験していない者にとっては、そんなことが起こるというのは「あり得ない与太話」にしか思えない、そのような現実があります。それが「事実は小説より奇なり」の一般的な意味です。
しかし、さらに言うと、「ああ確かに、現実にはこんな馬鹿げたことがある」という感覚に訴えるがゆえの「親しさとしてのリアリティ」も存在するのです。
そのような「リアリティ」は、それを経験していない人間の視点からそれを可能にするような説得力を持たせようとすることにより、かえって説得力を失います。
その意味で、整合性はリアリティの大敵となることがあります。

もちろん、それがフィクションである限り、読者(あるいは視聴者etc.)は「それを経験していない人間」です。
だから「そんな与太話」に「親しさ」を感じない方が普通のはずでしょう。
にもかかわらず、方向性は違えど「確かにこんな馬鹿げたことがある」という共鳴はあり得ます。


「警察ではなく一般市民を暴力団との戦いの矢面に立たせ、暴力団ではなく暴力団に物を売った店を取り締まる」という条例が全国で成立する等という事態も、「それを経験していない人間」に言ったら、何と言われたことでしょうか。
第一、こんなものをフィクションの設定にしようと思ったら、これは思考の求める経済性に真っ向から対立します。
「なぜ“全国の自治体でそれぞれに同じような条例が成立した”という設定にするのか? だったら中央政府の法律として成立したことにすればいいのではないか?」と言われるでしょう。当たり前ですけれど、同じことが各所で何度も起こるよりも、一度だけ起こる方がまだ「ありそう」に思えるからです。
そこを「日本人は“右に倣え”で動きます」という設定で乗り切ろうとする作家がいたら「馬鹿か」と言いたくなりますが、馬鹿なのは作家ではありません、現実の我々です。

これを一度経験してしまった立場から、なおかつこの現実がいかに奇異かと考えてみると、もう、フィクションに登場するちょっとやそっとの非常識な法令を「あり得ない」と笑い飛ばすことはできそうにありません。
むしろその「あり得なさ」が説得力たり得るのです。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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