オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
ライトノベル的脚色、しかし正当派――『ニーベルングの指輪 ジークフリートの試練』
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帯には「あの名作を大胆にアレンジしてライトノベル化!!」とありますが、きちんと確認しておきましょう。
『ニーベルングの指輪』はワーグナーのオペラのタイトルです。このオペラはさらに、中世の叙事詩『ニーベルンゲンの歌』や北欧神話に取材しているわけですが、本作の原典はあくまでワーグナーの同名作品です(あとがきでも明言)。
ワーグナーのオペラは序夜と第1~3日で上演に計4日かかる超大作ですが、本作はその第2日「ジークフリート」のライトノベル化です。
元々『ニーベルンゲンの歌』は英雄ジークフリートの物語、および中盤で彼が暗殺された後の妻クリームヒルトによる復讐譚で、ワーグナーも当初はジークフリートの物語を構想し作り始めたというので、これは妥当な選択とも言えるでしょう。
序夜「ラインの黄金」は「指輪」を巡る因縁の始まり、第1日「ヴァルキューレ」はジークフリートの両親に関わる物語ですから、これを「物語の途中で明かされる過去の事情」として挿入することに違和感はありません。
もちろん、色々とアレンジは加えられていますが、最大のポイントは表紙を飾るヒロイン。
彼女はヴァルキューレのグリムゲルデ。原典では9人のヴァルキューレの一人の名前ですが、このライトノベルでは「10人目のヴァルキューレ」に設定を改変されています。
ヴァルキューレの使命は戦死した英雄をヴァルハラに迎えることですが、彼女はその中で人間に思い入れを抱くゆになり、人間を苦しめている魔竜ファフナーを倒す方法を探るべく人間に扮して旅をして、その中でジークフリートに出会います。
文章は三人称なので、視点はそれほど明瞭でないことも多いのですが、どちらかというと前半は、彼女の視点から驚きをもってジークフリートが描かれます。
なぜ彼女は「10人目のヴァルキューレ」という設定なのか、その正体は物語の核心でもあります(原典を知っていれば推測はつきますが)。
こうなった理由は、まずは全編に渡って登場するヒロインが欲しいという単純な話かも知れませんが……ともあれ、ボーイッシュな口調(序盤は男装して登場します。誰からも男には見られませんが)で可愛く、戦闘シーンでは戦乙女らしい活躍も見せる良いヒロインだったので、ここはひとまず成功でしょう。
ジークフリートはと言うと、花について「毒だよ、あれは」「腹が減ってても絶対に食べちゃいけないぜ」(p.57)とか「ヴァルキューレって何? 食えるのか」(p.185)と言うような野生児ですが、ワーグナーにおいても初登場時に森の熊を連れてきて養父のミーメにけしかけるような奴だったことを考えると、意外にもイメージ通りな気がします。原典に比べると負の感情はあまり強調されず、快活なイメージになってはいますが。
さて、ワーグナーの『指輪』において、序夜から最後まで登場する主人公は、つまるところ最高神のヴォータンです。彼は最初から踏み倒すつもりで巨人達に義妹をやると約束するわ、小人のアルベリヒから指輪を奪うわでかなりロクでもない人物であり、そうして撒いた種が悲劇的なラストに繋がっていくわけです。そして、「愛を断念した者」だけが作ることができ、手にした者に権勢を与える指輪を巡る物語が同時に、当初は権力のために手段を選ばなかったヴォータンが没落する物語にもなっているのです。
しかし、この小説でのヴォータンはジークフリートが主役である分黒幕的な立ち位置になると同時に、さすがにロクでもない所業は若干控え目(自分が手を下したという形にならないようにしつつ入れ知恵をしたりするこせこせした介入は変わりませんが)で、ラグナロクの日を遠ざけるという使命に明け暮れている印象が強まります。
神々と言えど運命に縛られるというのは、むしろきわめて古典悲劇的ですが、ここではジークフリート達の爽快な自由さとの対比が際立ちます(原典はこの後、ジークフリートはその自由を失って破局に向かうのですが……一迅社文庫の公式ブログには売れ行き次第で続き「神々の黄昏」もライトノベル化する計画はある旨が見られましたが、さてどうするつもりなのでしょうか)。
象徴的なのが以下のヴォータンの台詞でしょう。
「余の作り出すものは運命の奴隷ばかり……。たまに運命を打ち破る者が現れると、そのことごとくが余に逆らおうとする。どういうことなのだ?」
(六塚光『ニーベルングの指輪 ジークフリートの試練』、一迅社、2013、p.273)
これは当然であって、ヴォータンの思い通りに動いてくれる者はまさにそれゆえに奴隷であって、「運命を打ち破る」ような自由さなど期待すべくもありません。
「自分の手から離れた自由な存在として、自分が立場上できないことを代わりにやってくれる」者を求めること、それはまさしく悲喜劇です(そしてこれは原典通り)。
しかし、さらに考えてみると、この世界観においてはヴォータンと言えど世界の全てを司るほどの力は持ちませんが、それでも最高神である彼はある程度まで他者の運命を左右することができます。
運命を左右する力を持つがゆえに、「運命の奴隷ばかり」しか生み出せない。支配力を持つがゆえに、自分の手から外に出られないという意味で縛られていることが明らかになります。
あるいは、「愛を断念した者」が権勢の指輪を手にするという設定に表れている、愛と力の相克をジークフリートの「恐れを知らない」という設定に結び付けるところも、テーマ的にはきわめて原典に忠実ながらよくできたアレンジです。
ストーリーにはそれなりに手を加えつつ、テーマのレベルで原作をよく踏まえていると言える作品ですが、その分特筆することは少ない作品だったかも知れません。
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ついでながら、英雄ジークフリートが竜の血を浴びて不死身になったのは有名な話ですが、この設定はワーグナー版にはありません。しかし、このライトノベルではこの設定が復活しています。
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