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スポーツの俗説に対抗する――『少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす!』

今回はこちらの新書を軽く取り上げてみましょう。

少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす! (朝日新書)少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす! (朝日新書)
(2013/09/13)
永井洋一

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本書は少年スポーツの問題を扱っていますが、中でも最近話題のトピック、体罰問題が大きなウェイトを占めます。「はじめに」も大阪市桜宮高校バスケットボール部の事件の話から始まります。
本書の大部分はその原因分析として読めるでしょう。

そもそもスポーツが孕む暴力性という根本的な事柄から、日本スポーツ界独特の(と思われる)根性論や悪しき伝統、メディアの流布させるイメージ、それに現代の子供たちや親に蔓延する勝利至上主義等々、原因は多岐に渡り、それだけに根深いのがよく分かります。

さて、「勝利至上主義」に染まっているがゆえに「勝つために必要な指導だ」と言われれば、暴力や理不尽な指導を受け入れてしまう、というのはなるほど、と思う話です。
ただし、ここで注意しておいた方が良いでしょう。「死者まで出してしまってはまずいが、暴力的な指導が勝利に繋がる面もある」のか、それとも「暴力や理不尽な指導は実は勝利に繋がってもいない」のかという区別に。
この点に関して、著者の立場ははっきりしています。「勝利に繋がってもいない」のです。

 もともとスポーツの指導者は、自身が成功を得た方法論に固執する性向があります。時代が変わり、人が変わり、周囲の状況が変わっても、一度、自分が何がしかの成果を得てしまうと、その時に用いた方法をいつまでも誇示したがるのです。(……)
 (永井洋一『少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす!』、朝日新聞出版、2013、p.45)


当然、成果はかつてと同じようには上がりません。
それどころか、かつて成功したことも、本当に理不尽な指導のお陰なのかどうか。著者は「理不尽なトレーニングが必要」という類の言説をはっきりと否定します。

 仮に「理不尽」と認識されているトレーニングがメンタルの強化に効果があるとするなら、私たちがすべきことは、理不尽そのものの肯定ではなく、理不尽と見えるものの中に潜む「本当は理不尽ではないもの」を発見することであり、それを改めて体系化し、「合理的なトレーニング」として編成することであるはずです。ところが、プロの指導者も元プロ選手も一緒になって「理不尽も必要」と公言しています。その結果、ばかばかしいトレーニングを課している指導者は「我が意を得たり」とばかりに一向に反省をせず、ただ苦しませるためだけに実施される過酷なトレーニングや、精神をたたき直すという名目で行われる体罰などを自信満々で継続させるのです。
 (同書、p.100)


 しかし、もし、古来、日本で重視されている「根性」が日本の選手に着実に伝授されているのなら、日本のアスリートたちは世界の舞台で技術、戦術、体力の明らかな劣勢をはね返して活躍できているはずです。なにせ、「根性」にはそれらを覆すほどの効力があるはずなのですから。
 ところが実際には、種目にかかわらず、五輪や世界選手権なので「期待」というプレッシャーに押し潰されて思わぬ敗退をするとか、「ここ一番」という場面で緊張からミスをして試合の流れを逃すとか、勝負の分かれ目の重要な場面で競り負けてしまう日本人アスリートが多い気がするのは、私だけでしょうか。私はむしろ日本人アスリートにメンタルの弱さを感じてしまうのです。そして、その弱さの原因は、実はこの「根性」を掲げたトレーニングの積み重ねにこそあるのではないか、と考えています。
 (同書、pp.138-139)


なぜそんなことをするのか納得できないまま「理不尽」を強いられていても、それをやり過ごすことを考えるばかりで、力を発揮できるようにはならないということです。

松原隆一郎氏は『武道は教育でありうるか』で「理不尽」と「体罰」を区別し、「理不尽」の方を肯定して、体罰はむしろ「分かりやすく矮小な行為」で「理不尽」ではない、として否定していました。
永井氏の論からすればこの表現自体に問題があるのかも知れませんが、松原氏の言っている「理不尽」とは、本人が納得ずくで引き受ける「傍からは理解しがたいトレーニング」のことでした。その点で――指導者がただ勝つために強権を振るい、ひたすら先取にしたがうことを強いるやり方を批判するという意味で――両者の論は一致しています。

一流選手ともなれば、想像を絶するようなトレーニングをしているのは当然です。
そもそもスポーツが身体的には苦しいのも当然です。
苦しくてもやりたい人はやりたいのだろう、と私のようにスポーツをやらない(年に数度の登山を除く)者はつい思ってしまうわけですが、やはりただひらすら「苦しさに耐える」ばかりではうんざりもするようです。
この『ダメな大人が子供をつぶす!』の第3章は内田樹氏も、大学入試の面接で「高校のスポーツで実績を挙げた受験生に『大学でも続けますか』と聞くと、気まずそうな表情をすることが多く、中には『まさか』と苦笑するケースもあった」という話を挙げ、「競技の好成績が『苦しみの代価』と認識されている」(同書、p.123)という分析に賛同しています。

身体的には苦しくても、精神的には楽しいと思っていなくてはやっていられない、結果を得るためにそれまで耐えるものであれば、結果が出たら放り出したくもなる――考えてみれば、当然のことです。

ちなみに最終章は学校の部活動におけるスポーツを扱っており、学校の実績としての勝利にこだわるため、レギュラー選手以外は指導しない顧問なども問題にしています。
「教育」としてはレギュラー以外も全ての生徒に対する教育効果を考えるべきだが、「競技」としては勝ちを求めることになる。結局、著者はそもそも両者の両立に対して否定的で、少年スポーツを学校主体で開催するのではない形(ユースサッカーのような)に移行させることを提案しています。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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