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谷山浩子註解(3)――「よその子」

朝雨が降っていたものの、昼に大学に行く頃には晴れていた上、予想以上の暑さでした。
夕方に帰ってからまた雨。これは台風なのか…?

 ~~~

インターネットの通信販売サイトというのは便利なもので、メールアドレスや名前、住所等の固有名詞を入力していけば買い物ができます。まあ、慣れない外国語の場合、「住所」や「郵便番号」等の日常語に馴染みがなかったりもしますが(そう言えば、フランス語でメールアドレスを courriel ということを最近になって知りましたっけ。いやどこでも e-mail と書いてあることが多かったので)。
中にはタチの悪い通販サイトもあるとのことですが、書籍の通販で大きな問題に遭ったことは今までありません。
ただ稀に、こちらから返信を書く必要が生じて慌てることがありました。その時は幸いにも英語で、しかもどちらを選択するかという程度の話だったので何とかなりましたが。

そして、通販ではなく用事によりこちらから連絡のメールを機会がありましたが……緊張しますね。
そもそも、相手は日本に来ているので日本語が通じる可能性もありますが、確証はありません。念を押して相手の母語たるフランス語で挑みました。
しかし、ただでさえメールというのは失礼がないか、ちゃんと用件が伝わったものかどうか、結構不安になるものです。まして慣れない言葉のメールは感覚が分かりません。
返信をいただいて、ちゃんと伝わっていた上、フランス語もお褒めいただいてほっとしました。

 ~~~

ネタ稼ぎ的に今回もまた谷山浩子氏の歌です。
前回はあんまり真面目に読まれても困るような内容でしたが、今回は真面目です。



どこにも帰る家がなく、暖かな家族の団欒を窓の外から見ているだけの子供――
この子がどうやって生活しているのか、浮浪児なのかという具体的なことを問う必要はないでしょう。彼は孤独の形象そのものです(ちなみに、アルバム「花とゆめ」の作者コメントもこれを指示します)。
まだ見ぬ母に憧れ、自分に愛情を注いでくれない母を憎みます。
夕餉の団欒を印象付ける夕陽は、少年の想いの中で憎しみの炎に――

と同時にこの歌詞の特徴は、この「よその子」が「きみ」と呼ばれていることです。
小説においても、二人称の小説というものがあったとして、それはかなり特殊なものになるのは間違いありません。もちろんその最大の理由は、「私」や「三人称」の誰かは作中人物であると考えられるのに対し、「きみ」は現実の読者を指すと取られる可能性が高いからです。
しかし、仮に作中人物を「きみ」と呼んでいるとしても、そう呼んでいるのは誰かという問いがどうしても生じます。一人称の「私」については通常特に説明の必要がなく、三人称であればそれを語っているのは「神の視点」ということにしても良いのですが、二人称の場合は見えない「私」が問題にならざるを得ません。
けれどもこの場合、「私」は誰でも良いのでしょう。「私」が誰であろうと「きみ」が「よその子」であることに変わりはない、このことが――「よその子」というどこか冷たい言い回しと相まって――彼に家のないことを強調します。

けれども、中盤の少し長い間奏の後、「僕」が入ってきます。

「それでも僕は 全ての家の
全ての人の幸せを
祈れるくらいに強い心を
強い心を 僕は持ちたい」


歌詞では前半部の「誰かいるよ」や「どうしたの~」と同様にカギカッコで括られていて、登場人物の台詞であることが明らかですし、聞いていても突然の一人称の台詞はこの「よその子」の台詞であることをはっきりと印象付けます。

ここから物語は急激な逆転を見せ、それまで「よその子」を迎え入れずに閉ざされていた窓が次々と開きます。
拒まれてもなお、憎しみを乗り越え、皆の幸せを祈ろうとした彼に応えるかのように、皆が彼を受け入れ始める――この感動的な展開は圧巻です。

そして最後に、「わたし」が登場します。

きみはよその子 宇宙の子供
全ての家の 窓を開くよ
きみはよその子 わたしの子供
閉ざした心の 窓を開くよ


「わたし」はやはり「全ての家」のどこかにいる誰かであり、誰でもあるのでしょう。その「わたし」が「きみ」を「わたしの子供」として受け入れる。
どこに行っても家がなく、彷徨える身であった少年は、まさにその彷徨える身ゆえに、誰の子でもある子――「宇宙の子供」になります。

この歌は一見すると、自分を受け入れない者達を憎んでいた少年が、それでも全ての人の幸せを祈ろうとするように成長していく過程を描いています。しかし同時に、最後では「閉ざした心の 窓を開くよ」と、家々の人達が心を閉ざしていたかのように言われるのです。
「早くお帰り」と言っていた家族は、決してとりわけ冷たく閉ざされた態度を取っていたというわけではありません。けれども、開かれてもいませんでした。そのことには、つまりまだ開かれる余地があることは、圧倒的な孤独にありながらそれでも他者のために祈ろうとする少年を前にして、初めて気付かされるのです。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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