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現世に救済を求めて――『ミス・ファーブルの蟲ノ荒園 2』

昨日は後期授業の打ち上げでした。
「ちゃんと決められた回数授業をやれ」という要請がうるさくなると、この時期に打ち上げをやることもできなくなるかも知れませんが、というのは先生談。
私のようにどれだけ話の輪に入っているか微妙な人間がずっと飲み会の席に座っていても時間の無駄ではないか、という疑問はさておいて。

 ~~~

というわけで昨日はお休みしましたが、今回はこちらのライトノベルを取り上げさせていただきます。
6ヶ月ぶりと少し間の空いての第2巻となる『ミス・ファーブルの蟲ノ荒園』です。

ミス・ファーブルの蟲ノ荒園 (2) (電撃文庫)ミス・ファーブルの蟲ノ荒園 (2) (電撃文庫)
(2013/12/10)
物草純平

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 (1巻の記事

本作の設定を簡潔に整理しておきますと、

・舞台は1840年のフランス。ただし、近代になって「蟲(ギヴル)」という巨大な虫が出現するようになったファンタジー世界。
・『昆虫記』の著者であるファーブルが美少女であり魔女、そしてヒロイン(名前は女性名にしてジャンヌ=アンリエット・ファーブルですが、仕事のためもあって通称は男性名の「アンリ」)。
・「蟲」の影響で、日本は現実の歴史より早く開国している(史実ではペリー来航は1853年)。主人公は日本の侍、秋津慧太郎

ちなみに、これらの点以外は比較的史実を踏まえていると言いますか、たとえば作中でフランスが「王国」と呼ばれているところを見ると、(王の名前は作中に出てきませんが)ルイ・フィリップを国王とする七月王制なのは史実通りのようです。首相がティエールというのも同様。
また、実在する歴史上の人物として犯罪者から国家警察パリ地区犯罪捜査局の初代局長を経て探偵になったフランソワ・ヴィドックも登場しますが、こちらは性転換されることもなく史実通りのモミアゲのオッサンです。

ただ、前巻の最後で「あり得ざるダルタニアン」という台詞がありました。
ダルタニアンは言うまでもなく、アレクサンドル・デュマ(父)の『ダルタニアン物語』の主人公です。
ただ、『ダルタニアン物語』の第1弾である『三銃士』の発表は1844年です。
今巻ではさらに、はっきりとデュマの小説がすでに存在するものとして扱われているばかりか、割と重要な意味を持つものとして扱われていました。
ファーブルが『昆虫記』を執筆したのも後年のことですし、これくらいは必要に応じて歴史をいじる範囲内ということでしょうか。

今回は街で噂の「死神(ラ・モール)「魔本(リーブル・ド・ディアブル)を巡る事件です。
そしてて、「蟲」と「裸蟲(ミルメコレオ)の正体と起源に関する情報も出始めました。
「裸蟲」はシメーラという蟲によって寄生されたことで蟲人間となった者のことですが、蟲に寄生されて蟲になるという設定には若干の違和感を感じていました。案の定、単に外から寄生虫に寄生されるというのは違う事情があるようで……

しかも、ここにはバチカン――つまりカトリック(作中では「十字教」という名称になっていますが)の総本山が深く関わっていて、今回は「ゲオルギウスの剣」と呼ばれるバチカンの特殊部隊も登場します。
今回は裸蟲の組織である「ブリュム・ド・シャルール」は表向き関わってこないものの、裸蟲/慧太郎たち/バチカン関係者という三つの勢力が交錯する構図は1巻と同じです。
さらに『ヨハネの黙示録』の予言といった壮大なネタ振りも登場。本当に世界の命運が問題になってきそうですが……

と同時に、本作には裸蟲に対する差別と迫害という設定があり、そんな厳しい状況を前にして正しく生きようとする慧太郎の物語になっています。
しかし、正しさというのは困難なものです。そもそも、何が正しいのかというのは自明ではないからです。同じことをやれば誰がやっても同じように正しい、というわけでもありません。
1巻での慧太郎も、その正しさは借り物のお題目ではないかと指摘されて、随分と煩悶しました。
しかも正しくありたいという想いは往々にして、そのことによってまず自分が安心したいというエゴイスティックな欲望を含みます。
それでも、慧太郎はそんな自分のエゴをも認めて、その自覚の上でなお正しくあろうとする意志を貫こうとして、その中で成長も見せます。そんな青臭さが爽快な作品です。

今回は、学園の級長にしてアンリを学園に溶け込ませようと日々絡んでいるクロエが活躍する巻でもありましたが、彼女の設定もそうした主題に深く絡んでいます。
貴族の家の娘として、他人のために、正しく生きようとしている彼女ですが、慧太郎を前にして自分がそれほど正しくあることができないこと、大して信念を持っていないことをも思い知らされます。

そもそも彼女の祖父は、フランス革命期のヴァンデの反乱にあって、当初は反乱軍に協力しながら、反乱軍の暴走を前にして最終的には裏切ったという過去を持っていて、そうした一族の過去の重みは彼女も感じていることです。
これも、最初から裏切ろうとしていたわけではないでしょう。ただ、結果が予想外の方向に進んだがゆえに、大きく過つことになったのです。
けれども、たとえ間違おうと、正しくあろうとし続けることによってしか、道は開けません。

学園での日常生活を見ていると、級長としてアンリに普通の学生生活を要求するクロエをアンリが一方的に嫌って避けているように見えますが、にもかかわらず今巻の後半では、クロエがアンリに譲歩します。
アンリの虫好きは決して譲れないものであるのに対して、自分の蟲や裸蟲に対する反感はそこまで譲れないものではないと、クロエ自身が認めたからです。
確固たる正しさへの道は、自分にそこまで確固としたものがないことを認めるところから始まります。

さらに今巻は「救い」という問題が登場します。
間もなく死ぬ定めで、しかも残された人生が絶望ばかりだとしたら、さっさと死ぬのが救いなのか――
そう言って「救い」を押し付けるのは暴力的ですが、しかし絶望の底にある者に選択を強いるのも残酷な話です。
第一、「本人に選択を委ねた」からといって、上で言った通り、人は必ずしも最善を選択できるわけではありません。人は正解を求めて過ちます。
それでも――

 己の目にしか映らない正しさなど、他者に突きつけてもなんの救いも齎さない。差し伸べた手が相手の手ではなく、胸倉を摑んでいたのでは、『いずれ』など永遠にやって来ない。
 (物草純平『ミス・ファーブルの蟲ノ荒園 2』、アキスー・メディアワークス、2013、p.337)


再三言っているように、「相手の言う通りにすること」と「相手を尊重すること」は異なります。しかし、真摯な対話においてしか相手を尊重することができないのも確かでしょう。

他方で、今回の敵・ベノワは「救い」として死を押し付けます。

「だが、結局はそれも一時凌ぎでしかない! 彼らが本当の意味で報われるのは、その犠牲に価値があったと証明できた瞬間だけだ! 今の世の荒廃ぶりを見ろ! 世界も終末を求めている! なのに……ッ、貴様はその先触れではないのか!? 神はまだ私に苦しめと!?」
 慧太郎は目を据わらせた。やはり、この男はもう生に飽いているのだ。辛苦しかない戦いを一刻も早く終わらせたがっている。けれど、かつて仲間を見捨てて生き残った経緯があるため、自ら命を絶つこともできない。だから黙示録を求めるのだ。罪過の重みを和らげるために魔本とその読者を狙いながら、しかし真に『救い』を得るには完全なる過去の払拭が必要だから。
 (同書、p.344)


今巻のところ、十字教が公式に掲げる救済が問題になっているわけではなく、今回大っぴらに「救い」を唱えるのはチンピラの主催する新興宗教や暴走した人物なのですが、ここにおいて「来世の救いを求めること」と「地上の楽園を求めて生きて足掻くこと」が対比されていることは明らかです。
この世を穢れた世界、苦しみの世界として捨て、来世に救いを求めることにおぞましいものはないでしょうか?
そもそも、死後に「その犠牲に価値があった」と示すことは、犠牲とそれを生み出す悪を正当化するがごとき面がないでしょうか。それこそ生きることの軽視には、ならないのでしょうか。

これに対して慧太郎は、蟲の観察のためのアンリの「荒園(アルマス)」に楽園の可能性を見ます。
生きているものが最期の瞬間まで生きて足掻くこと、生を受け入れることにこそ、救済を求めるのです。

今のところ、この物語は主要人物個人の生き方に比重を置いて描かれていますが、これからの展開次第では、世界の命運といった大きな主題にまで大きな主題にまで関わってくるかも知れません。
そういう意味で人類の未来を選ぶに当たって超越者の救いを拒否する、となると、――巨大な虫と飛行機械に乗った美少女といったモチーフの類似だけでなく――テーマもナウシカ的なのかも知れません。
ナウシカの場合、まず問題は自然と人間の関係であるのに対して、本作は基本的にヒューマニズムではありますが。


最後になりましたが、今回クロエと並んで活躍するのがやはりアンリや慧太郎の同級生で、聖歌隊の眼鏡っ娘・マルティナ・ロセリーニです。
1巻では顔見せに留まっていた彼女もその正体が少しずつ明らかに。まだ謎も多いのですが、慧太郎たちに好意を抱いているのは確かなようで。
最後で示唆された背後関係からすると、今後は所属組織と慧太郎たちとの間で板挟みになるような展開もあるかも知れません。


戦闘シーンも熱くて、お勧めできる作品です。


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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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