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正義の、されど讃えられざる戦い――『ケモノガリ 7』

最近、それなりのペースで本を読んでいるのですが、ブログで書評記事まで書く余裕があるかというと微妙で、論文執筆等の作業に回したりしています。若干、読んでから取り上げるのが遅れていますね。

そんな中、今回はこのライトノベルを取り上げさせていただきます。今月発売『ケモノガリ』の新刊です。

ケモノガリ 7 (ガガガ文庫)ケモノガリ 7 (ガガガ文庫)
(2013/12/18)
東出 祐一郎

商品詳細を見る

 (既刊についての記事

今巻ではいよいよ「クラブ」との決戦に突入します。
孤独に始まったこの戦いも、今や支援勢力としてローマ教皇やCIAまで結集、CIAの装備によって「クラブ」の本拠地たる島に乗り込みます。
「クラブ」幹部たち7人の「聖父(ファーザー)の内、残っているのは4人。その内で楼樹に匹敵する戦闘力を備えているのは2人です。
また、3巻で楼樹の仲間となった、人間の人格を持つ犬・イヌガミも、今や娯楽提供者となっている姉との決着に向かいます。

しかし、戦うために二人とも人間性を磨り減らしていかねばならないのが過酷なところ。
決戦前夜はなかなかに悲痛です。

島は機雷やらミサイルやらで武装した要塞であり、さらに殺人の専門家たる「娯楽提供者」が50人も量産されて待ち受けているのですが、しかし例に漏れず、量産の敵というのは相応の迫力しかありません。
今回はすでに敵の顔ぶれやその能力、さらに誰と戦うことになるのかという見通しまでが出揃っているというのも今までとは違うところ(聖父の一人、「悲哀(グリーフ)」のサイクロプス・ジャックはある程度まで今回初公開のスキルを見せましたが)。
そのため、途中は少し消化試合めいた印象を受けました。

ですが、仲間たちの戦いぶりが魅せてくれました。
楼樹ほどの超人ではないけれど、命を賭して戦い、散っていくCIAの隊員たち。そして人間としてのほぼ全てを失ってなお駆けるイヌガミ……
定番だけれども泣かせますね。

イラストの使い方も本当に見事。見開きで絵を入れた上に漫画的に画中にモノローグを入れるという演出は過去にもありましたが、やはり本文との巧みな連携を感じさせますし、絵の表現も挿入のタイミングも本当に絶妙なのです。

次巻はいよいよ、2巻から登場しているライバル・アストライアとの対決。
そしてローマ教皇、小国バレルガニアの元首グレタ・クライン、そして楼樹の幼馴染・貴島あやなも島にやって来ます。
もはや人として戻れないところに来ている、と誰もが思う楼樹を連れ戻す気で、しかも自分にはそれができると何の恐れも迷いもなく言い切るあやな。
果たしてそれは叶うのか――次辺りでそろそろ完結と思われますが、非常に楽しみですね。

そうそう、仲間でありCIAのエージェントであるシャーリーなにやら不穏な動きもありました。
決して裏切ったわけではありませんが、どういう目的なのやら…


以下の話はどこで書こうか迷いましたが、既刊のネタバレを含むので追記に回しておきました。




まずは既刊から引用します。5巻のエピローグです。

 コンクラーベにおいて、三回繰り返された投票の後、遂にヴァレリオ・ロベルティは教皇に選出された。かつてヴァレリオはもし自分が教皇となったならば、戦うべきは進歩を拒む者だろうと、漠然と考えていた。
 今は違う。この世界には悪が巣食っていると知ってしまった。最愛の弟を絡め取った、純然たる悪が実在するのだ。それは、人を人とも思わぬケモノ――なのに、神の愛を受けていると信じ込んでいるおぞましい者たち。戦うべきは、彼らだったのだ。
 長く、苦しく、辛い戦いになることは確実だ。だが、この戦いを自分の後の教皇に譲る気はない。手を汚す教皇など、自分一人で十分だろう。
 (東出祐一郎『ケモノガリ 5』、小学館、2012、p.291)


そう、『ケモノガリ』世界における「クラブ」とは絶対悪です。

人間狩りを娯楽として、自らの保身すら考えず、会員の命をも賭け金にする(一般会員にはそんなことになると思っていなかった者たちもいますが)、それゆえにまともな利害計算に基づく交渉も通じません。
「ケモノ」というのはまさしく「人でなし」の意味です。

現実には善悪が割り切れないことも多く、まして絶対悪などというものは普通は見付かりません。
けれども、もし絶対悪と呼ばれるに相応しいものがあれば、人は他の何でもなくそれと戦うことを選ぶのではないでしょうか。
それはきっと、真に身命を賭すに値する戦いです。

このことは、6巻のあとがきにおける以下のような作者の発言ともよく一致します。

 繰り返しますが、暴力はよくありません――全くその通り。
 ですが、暴力がもたらす衝動の発散がストレスの軽減に役立つのも確かです。何かを破壊したい、と思うのは人間であれば誰にでも存在するエゴイズムです。
 そのとき実際に暴力を振るって他人を傷つけるのではなく、仮想での暴力を選択するのであれば、皆が傷つかずに済みます。……そう、我々は実際に傷つけ合うのではなく、ただ脳内でのみ傷つけ合う選択をしたのです。実際に人を傷つけるのは、野蛮人に他ならない。
 誰かが言います。今の若い者たちはゲーム・アニメ・漫画・小説……フィクションと現実の区別がついていない、と。
 その通り、フィクションの暴力も、現実の暴力も暴力を振るう側が「膨大なストレスを解消する」という点では同じです。翻って言えば、現実で暴力を振るわずとも、フィクションが存在すればそれで十分なのです。
 (『ケモノガリ 6』、p.290)


現実には不可能だからこそ、フィクションの中でやる甲斐がある、異論の余地のない悪をさらなる暴力で叩き潰す爽快さ。
コンセプトは明快で、しかも作者はそれを揺るぎなく、ハードに描ききります。

けれども同時に、その戦いはやはり「手を汚す」ことなのです。
相手が絶対悪であるから、罪悪感はないでしょう。
しかし相手が相手だけに手段を選んでいられないことも事実です。しかも利害計算も成り立たない相手だけに、犠牲を小さくしては済ませられません。
その上、「クラブ」は各国の要人をメンバーに持つ組織。表立って敵対を掲げることすら難しく、戦ったところで世に広く讃えられることはないのです。

それでも、ローマ教皇やCIAのメンバーが、そんなリスクばかり大きく讃えられない戦いを決意する――そうした脇役たちのあり方が、また堪らなく魅力的なのです。

極めつけは赤神楼樹であって、彼は人間性が弱さとなるなら、それをも捨ててクラブのメンバーを「狩る」ことに特化しなければなりません。何より、戦いを終えた後、その殺人の才能は一体どこへ行くのか……

たとえ罪悪感がなかろうと、やはり暴力は人を闇に引き込み、人間性から遠ざける。
それでも戦うべきだと迷わず信じられる戦いがあり、爽快さがある。そんな二義性が本作の魅力です。

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プロフィール

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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