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罪と最善――『ロストウィッチ・ブライドマジカル 2』

どうも机に向かい続ける気力と体力が湧きません。勉強したいことはたくさんあるのですけどね。
原因は往々にして、単に首周辺の身体的な疲れと凝りだったりするのですが。

そんな状態が記事の文面にも若干影響してくるかも知れませんが、今回取り上げるライトノベルはこちらです。

ロストウィッチ・ブライドマジカル 2 (電撃文庫)ロストウィッチ・ブライドマジカル 2 (電撃文庫)
(2014/01/10)
藤原祐

商品詳細を見る

 (前巻の記事

「魔女(ウィッチ)の戦いを描く本作、今回は「硝子玉の魔女」が呪った相手に不幸を運んでくれる、という噂を学校で耳にした水奈たちが、本物の「魔女」が関与している可能性を見て調査に乗り出します。水奈の仲間である関栞(せき しおり)も間接的に関係していて……というわけで、仲間キャラの関姉妹にスポットが当たる巻でもありました。
本作の世界観は基本にバトルロワイヤルがあるのですが、戦いが始まって十数年経っており、、しかも何十人という「魔女」がいるわけで、生き延びるためには協力や駆け引きが必要……というわけで、ある程度はっきりと敵味方が分かれています。特に主人公チームには安定した絆があります。もちろん、それ以外のところでははぐれ者や裏切りも出てきますが……
そんな中でも、バトルロワイヤル「女王のための統合戦争」を積極的に推進する過激派組織「バーバ・ヤーガの小屋(十二月会)の一小隊が今回ついに登場、交戦します。
それから、主人公である水奈の体現者(マスコット)早良坂蓮(さわらざか れん)という人間の身体に宿って、蓮の身体がこの世に生まれて以来人間として生きてきました。そして、蓮の姉である早良坂人魚も魔女dしたが、体現者に人格を乗っ取られて失踪しており、水奈と蓮は彼女を追い求めています。
この2巻では終盤でついに人魚も登場。圧倒的な力で全てを攫っていきます。


本作の「魔女」の魔法は全てが元々戦闘用ですが、そのせいか、最初から使い方が指定されているように感じられるものが目立ちました。
実際、「そんな使い方があったか」「そうやって攻略するのか」といった意外性のある展開は、あまり見られませんでした。
ただ、今巻では人魚が圧倒的な威力と汎用性のある魔法を披露、さらにそれでえげつない殺し方を見せてくれました。他の魔法の限定された印象をもまとめて払拭するくらいに。
万能の魔法が最強なのは当然といえば当然ですが、これくらい分かりやすい方がラスボス格には相応しいでしょう。

1巻で登場したメリィの魔法(他人の魔法の強化)は、7匹の「大罪の獣」の1匹にしては物足りない、という印象は今でも拭えないのですが。


さて、本作の基本設定として、魔法とは罪です。
魔法の国の住人はそれぞれに生まれ持った固有の「罪科」を持っており、それが契約した魔女の魔法になるのです。この罪科は原罪に例えられます。

キリスト教神学で言う原罪と言えば、アダムとイヴが神の禁を破って「善悪を知る木の実」を食べてしまったことを指します。それゆえに全ての人間は罪人であり、キリストのみがそれを贖うことができる、というのがキリスト教の基本です。
しかしこれは、個々の人間の立場から見ると、特定の罪を犯す以前に罪を背負っているという、通常の罪とは逆の状況になります。
キルケゴールが『不安の概念』で「罪」と「罪性」を区別することによって明瞭に論じていますが、アダムはまず罪を犯すことによってこの世に初めて罪性を持ち込んだのに対し、その後の人間はまず罪性があって、それから罪を犯す、ということになるのです。
もっともキルケゴールはこのような考え方を批判し、アダムの物語は全ての人間に当てはまる「無垢から罪への飛躍」の描写であって、全ての人間は罪を犯すことによって新たに罪性をこの世界に持ち込むのだと論じていますが、それはこの際深入りしません。
いずれにせよ、何かをする以前から生まれながらに背負っている罪とは一体何を意味するのか、という疑問が生じてくるのです。

本作において、魔法の国の住人にとってそれが何を意味するのか、詳しく語られることはありません。そもそも、肉体を持たず固有の罪科によって個体が区別されるという魔法の国がどんなものなのか、ほとんど描写されないからです。
ただ、「魔女」となった少女たちの側から見れば明瞭です。
魔女の力は魔法の国の女王の力の欠片、魔女たちを最後の一人になるまで殺し合わせ、その力をふたたび統合して新たな女王を生み出すことが、魔法の国の住人たちの目的です。
つまり、魔法の力には殺し合いという宿命が、否応なく付いて来るのです。それが「罪」に伴う「罰」というわけです。

今回は、「難病で入院している少女(魔女ではないただの人間)」というモチーフが登場します。
本作の魔法は全て戦闘用であるものの、使い方次第では彼女の病気を癒すことのできる魔法もあるでしょう。しかし、その魔法の効力そのものに問題はなくとも、魔女として魔法を行使することはそれだけ殺し合いを引き寄せ、そして身の回りの人間をも不幸にしかねません。
だから、魔法で病気を癒そうとすることは、病気の少女にとっても決して幸福をもたらさない、というわけです。

ここまでは、話は明晰です。
ただ、魔法に対抗できるのは魔法だけです。何しろ本作においては、魔女の姿や魔法によって引き起こされた現象は魔力を持たない人間には認識できないので、この点が覆るのは難しいでしょう。
そして水奈の魔法は、魔女を殺さずにその魔法を奪うことで、殺し合いという運命に抗いつつ「女王のための統合戦争」を終わらせることができる可能性を持っているのです。

「私は、私の最善を尽くすしかないんだ」という台詞で、「最善」に「魔法」というルビが振られていた(p.225)のは、象徴的なように思われます。
これは水奈自身に限らず、仲間の魔法に関してもそうで、彼女たちの魔法は――その結果がハッピーエンドにはならないとしても――「最善」たり得るのです。

「魔法って罪なんだよ」「使った人が幸せになるようにはできていないんだ」(p.149)と言った水奈が同時に魔法を「最善」とし得るのは何なのか、何が「罪」と「最善」を架橋するのか――もちろん、今後の展開次第という面もありますが、少なくとも同じ彼女の口から出た台詞がいかなる考えに基づいているのか、というのは現段階でもある程度見えてしかるべきことのはずで、それがどこまで「罪」に関する問いに基づいているのかというと、疑問なしとはしません。


ちなみに、ぼかした表現になってはいますが、今巻の最後では病気の少女が「魔法によって癒された」ことを示唆する記述もありました。これが希望たり得るのか、そう一筋縄で行かないのかはまだ分からないことではありますが――

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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