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一人前の人間の条件――『樹木葬 -死者の代弁者-』

今回取り上げるライトノベルはこちら。
『鳥葬』『密葬』に続く江波光則氏の「葬」シリーズ(仮)の第3作にして完結編です。

樹木葬 -死者の代弁者- (ガガガ文庫)樹木葬 -死者の代弁者- (ガガガ文庫)
(2014/02/18)
江波 光則

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それぞれ1冊で物語としては纏まっているので、『密葬』が出た時も意外でしたが、その『密葬』で主人公・陵司の物語りとしては完結しているように思われただけに、今回はなおさら意外でした。
ただ、読んでみるとその意義ははっきりしていました。

『鳥葬』では、幼い頃にふざけて人を殺してしまいながら、幼いがゆえに罪を問われなかった、すなわち「まだ人間じゃな」かった陵司と幼馴染たちを巡る事件を通して、「人間になる」条件を描いていました。――捨てられぬ顔=人格の重みを持ち、ゆえに「顔向けできない」という恥を知ること。
『密葬』は、そんな陵司が、重い過去を抱えながらも、普通に生きることへと歩み出す物語でした。――悪意や攻撃的なものも含めて、他者とコミュニケーションを交わすこと。
とすれば、続くこの『樹木葬』のテーマは何か――それはまさに「大人になること」です。
実際、今回は高校を卒業して5年、一浪と一留でまだ大学生を続けながらも工場で働いている陵司が描かれます。

何度も言いますが、ライトノベルというのはことさらに主人公の中高生率が高い分野です。主人公が大人の作品もあるにはありますが、シリーズの途中で卒業して大人になるというのはかなりのレアケースでしょう。

大学の夜間部に通いながら中古自動車の整備工場で働いている陵司ですが、最近は社長の娘の流音(るね)(中学二年生)の世話を頼まれています。
この流音、意図的に嘘を吐いて電車で乗り合わせるサラリーマンを痴漢冤罪に陥れるなど問題を起こしてばかりの娘です。そんな彼女の縁で陵司が関わることになったのが、中学生の連続自殺事件。その背景には、インターネット上で死んでやる等と盛んに言い立てる遊びがあり、そしてネット発祥のコミュニティにおける痴情の縺れがあったようですが……
また、それとは別に陵司は、いじめを受けて自殺しようとしていた男子高校生に出くわします。彼にとっては自殺こそ、復讐の手段でした。
さらに、陵司の働く工場を買い取ろうとするヤクザも登場。工場が裏でやっている良からぬ仕事の利権が関わっているのですが、ここでも社長の弱味は娘です。

こんないくつかの事件が絶妙に絡み合って物語を織り成すのですが、陵司が、タイプは違うもののかつての自分を連想させる危なっかしい「クソガキ」に手を焼く「大人」の立場になっていることが、何とも印象的で感慨深いものです。
『密葬』の真琴が得意とし、陵司も最後に反撃で用いた、「相手に先に手を出させて法に訴える」というゆすりの手口も使いこなします。そういう良からぬところも含めて、成長しています。
いじめを受けた少年が、死ぬ度胸はあっても生きて警察沙汰にしようとは思わないのに対して、陵司は「ガッコの中だけで収まってっからそういう変な意識生まれるんだよ」(p.101)と言ってのけるのも(高校時代にすでに警察沙汰にする名人を相手取った経験があるからでもありますが)、彼がすでに学校というコミュニティの特異性を相対化して見ることのできる立場にあることを示しています。

とは言え他方で、陵司もまだ十分に大人でないこともまた、強調されています。
たとえば流音という厄介な娘を持つ社長にせよ、いじめた子供の親にせよ、子供を庇いますし、庇えるなら「みんなそうする」と断言します。

 俺は親じゃないし子供もいない。自分のことだけを抱え込んで手一杯だ。家庭なんて物も知らないし、自分の子供なんて想像もしたくない。そんな物は、俺の手に負えるような代物ではなかった。
 (江波光則『樹木葬 -死者の代弁者-』、小学館、2014、p.241)


他方で、その社長も中古車が好きだからこそ整備工場を経営していて、金銭的には十分に得になる取引を持ちかけられても、工場を手放そうとはしません。それは、十分な姉を出して工場を買い取ろうとしている相手には理解しがたいこだわりです。

 人生を、金という数字に置き換えるのは味気ないけれど、年を取ってその都度、苦労をしてみれば、少しずつ、味気なくとも数字に換えられるのならそうできたら楽なのにな、と思うのかも知れない。
 そういう大人が立派なのか、損をしてでも自分の拘りを貫いていくのが立派なのか俺には分からないし、そんな答えがすぐに出てくるぐらいなら、進路を決めるぐらいの事で思い悩んだりはしていない。
 (同書、p.198)


これらはそれぞれ、ある意味では大人の条件と呼べるものかも知れませんが、とすれば大人の条件は色々です。
しかし、それら全てを備えた「大人」は作中には見当たりませんし、そもそも多くの条件を満たすほどにいっそう大人になっていくという類のものなのかどうかも、自明ではありません。
大人とは何か、それはクリアカットな答えが一発で得られる類の問いではないのです。

けれども、一つだけ決定的に重要な点があります。
流音や、その友達の自殺した中学生は、どこまで本気で死ぬと言えるかをいわば遊びで競っていました。
いじめを受けていた男子高校生・比呂志は、自殺を意趣返しの手段として考えていました。

しかし、死ははたして、意のままにできる手段のようなものなのでしょうか。
自殺することまでは自分の意志でできても、死んだ後のことはどうにもなりません。死人には何もできません。

「じゃあさ、次は私が自殺したらなんで死んだのか見当付く?」
「ホントの所は知らないけど、夢の見すぎだなとは思う」
「ばかにしてんの?」
「されてもしゃあない。死んだ人間ってのはな、生きてる人間に、死んだ後の事をどうされたって文句なんか言えねえんだ。ぜーんぶ他人任せで、死んだ人間がどう考えているかなんてのはこれっぱかしも斟酌されない」
 (同書、p.32)


これが「死者の代弁者」の意味です。

それでいて、「自分は誰それのせいで、こんな目に遭わされたから死を選んだ」と言うのは、死を他人のせいにしています。
普通は「自分で何かをする」というのは責任を伴うことですが、死を意のままにしようとすることは独特の形で、無責任
と表裏一体なところがありはしないでしょうか。

死をファッションや道具のごとくに振りかざすのではなく、その抗い難さに服することによって、命――それもまずは自分の命――に責任を持つということ、それが「クソガキ」と「大人」を分かつ決定的なポイントとして浮上してきます。
それはまた、「成長することは可能性を捨てること」という、何度か繰り返されているテーマとも一体です。死というのは究極的な可能性の喪失ですから。可能性を失うことを慎んで受け入れること、それこそが大人の条件なのです。

この『樹木葬』は三章構成ですが、各章のタイトルがそれぞれ「まだ人間じゃない」「死者の代弁者」「わたしを離さないで」と、(順番は入れ替わっているものの)シリーズ3冊のサブタイトルになっています(いずれも元ネタがあり、あとがきに当たるページでは引用元が挙げられていますが)。
題材的にも、インターネット上で他人の情報を解体し整理するというあり方やそれに対する嫌悪感、相手に先に手を出させるゆすりの手口など、今までのシリーズ中で描かれたことがいくつか反復されます。
シリーズのテーマを反復し集約しつつ、「一人前の人間になること」という問題の一つの着地点を描いてみせた、文句なしの完結編でした。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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