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二分法:フォーマットと内容、ファンタジーと現実

どこかで書いた覚えのあることを繰り返すことになりそうでどうかと思いつつ、結局私は「誰も一冊の本を書く義務とてない」というベルクソンの金言を大切にしたいと思います。
つまり、義務で書くのではなく、内容が書かれるのを求めてくるようなことこそを書こう、というわけです。

で、部分的にはすでに何度も触れてきた話ですが、入間人間氏の『バカが全裸でやってくる Ver.2.0』からいくつかの引用を見てみましょう。
ライトノベル作家としてデビューした主人公が第二作を書く場面、そして書いて発売し、重版が決まった直後の場面です。

(……)改めて担当編集の送信してきたメールを拝見して、次作のキャラ設定を固めていく。自称宇宙人の少女を主軸にした恋愛もの。これでどうだろう。担当編集の案を二つほど参考にして、それを混ぜて作ったのはそんな話だった。ヒロインとドラム缶の風呂に入るという提案から一体、どこをどう借りたのかは分からないが思いついたその話を採用し、あらすじを組み立てる。続編を意識するなら他の登場人物も増やしておきたいところだ。普段は必要最低限の人数だけで展開させているので、物語の主軸に絡んでこないキャラクターを考えるのはどうも落ち着かない。何人か作り上げて、ピンと来るものがなにかあったキャラクターだけ採用した。そこで大体、主要人物は決まる。後は作り上げたストーリーの骨に、言葉で肉付けをするだけだった。(……)
 髪の色は一人だけ異質に設定した。全員が華やかな色だと目立たないのではと危惧してだ。大学内で見かけた、左が赤で右が淀んだ黒というツートンカラーの髪の色にしようかと思ったが、少し派手すぎるかと自重した。代わりに水色の髪という普段、まず見ることの叶わない意図にする。宇宙人=水色という図式は割れながら理解し難い割に、不思議と説得力を伴っていた。恐らく、地球上に存在しない髪の色だからであろう。これでよし。
 (入間人間『バカが全裸でやってくる Ver.2.0』、アクキー・メディアワークス、2011、pp.121-123)


 僕は喜ぶべきか複雑な心境に陥った。これは僕の手柄と言いがたい。キャラは編集がお膳立てしたもので、話の筋も僕からすれば不満足に映る。煮詰める時間が足りなかった。それなりに苦労はしたが、どうにも太鼓判の出来とは言いがたい。でも売れてしまった。勢いはあるし、きっとこの後も重版が続くだろう。そうすると当然、2巻の発売を催促される。事実、担当編集者のメールにはこの調子で2巻もいきましょう! と締めくくられていた。
 濡れた髪を掻き上げて頭を抱える。どうしよう。2巻の構想などまったくない。しかしそろそろまた書き出して、八月、九月には刊行にこぎつけたい。デビュー作の売れなかった僕としても、売れる作品の続きを書くことに異論はなかった。その経緯や出来映えに納得のいかないものはあったが、求められているなら、それに応えるのがプロというものだ。
 1巻でメインヒロインの問題を解決させてしまったことを、今更に公開する。なんだかんだと引き伸ばすべきだったろうか。いやそれだと売れなかったかも知れない。となるとこうした場合、次の問題を発生させるしかない。やっていることは少年漫画と大差ない。悪役を倒した後、次の悪役が出てくるようなものだ。もう一回宇宙人っぽくなる。それは間を開けないと使えない。社会復帰して、失敗して……よし、働かせよう。そして艱難辛苦を用意しよう。そしてそんな思いつきから二巻を書き始めて、果たして何巻まで行けるかは分からないが、可能な限りは続ける。
 売れない本より、売れている本を書く方が生きているって気にはなる。
 (同書、pp.126-127)


「僕」の「デビュー作」は(『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』ではなく)『バカが全裸でやってくる』なのですが、この第二作のモデルは明らかに『電波女と青春男』です。

ですが同時に、一つのほとんど矛盾と言って良い事柄も明らかです。
「続編を意識」して登場人物を増やしておきながら、メインヒロインの問題を解決してしまったらもう書くことがないと言わんばかり、他の登場人物を使って引き伸ばすことを考えた気配がないのです。
こういう場合、続巻ではサブヒロインにスポットを当てていくのが定番です。その結果としてサブヒロインが輝きすぎ、メインヒロインの影が薄くなって揶揄されたりする、ということもしばしばあります。
(だからこそ、この話は個人の経験談を強く思わせつつ、「ライトノベル作家の少なからずが経験しそうな悩み」という普遍性を持った部分を確かに衝いています。入間氏はそういう個別性と普遍性、言い換えると内の理屈と外の理屈の差異に敏感な作家です)

『バカ全裸 Ver.2.0』の引用から始めましたが、実のところ、ここで書かれていることがどこまで実話なのか、というメタな話を抜きにしても、はっきりと確認できる事実があります。
『電波女』は8巻(+1巻のリメイクであるSF版)も続きながら、ついに「今回は○○(サブヒロインの名前)さん回」と言える巻がなかった、ということです。
短編ではリュウシさんや前川さんが主役のエピソードもありましたが、単行本単位ではありません。
『電波女』に限らなくとも同作者の作品は、章によって主役の切り替わる群像劇は多いのですが、単行本レベルの区切りをスポットの当たるキャラから考える、という発想が希薄なように思われます。

そのことを考えると、『電波女』は、主人公が美少女たちに囲まれるというハーレムラブコメのフォーマットを備えながら、ついに内容がそのフォーマットに沿うことのなかった(できなかった)作品のように思われるのです。
無論、それと評価とは別問題で、そこから『電波女』特有の持ち味が生まれているという面もありますが。

上の引用を見ても、どこまでが編集者の提案なのか定かではありません(一つ目では「ヒロインとドラム缶の風呂に入るという提案」を貰ってそこからほぼ別物の話を考えたことになっていますが、二つ目では「キャラは編集がお膳立てした」ことになっています)。さらにその前、かわいい女の子を出せと編集に要求されて「ライトノベルを読み漁った」(同書、p.97)という話になると、『バカ全裸』の「僕」のデビュー作にはそもそも女性キャラがいなかったという設定なので、いっそう真偽の程が分からなくなってきます。
ただ、美少女たちが複数登場するというハーレムラブコメ的なフォーマットは編集者の要望による可能性が高いと推察はできるでしょう。

着想が誰に由来するにせよ、『電波女』はブリキ氏によるイラストも含めて、ハーレムラブコメらしい体裁を備えることに成功したのは確かです(イラストレーターの選定は後からでしょうが、選定した編集者は当然その辺を意識していたでしょうし、アニメ絵のイラストが映えるキャラクターとして青髪という特徴付けも妥当でした)。
しかし実態は……

そこから私の思考はさらに、『電波女』が最終巻手前の7巻で、(妄想による)マルチエンディングを見せたことへと飛びます。
それぞれ別のヒロインと結ばれるマルチエンディング、という発想自体が「ゲーム的想像力」に由来するものであることは確かです。
そして現代のハーレムラブコメそのものが、ギャルゲー的想像力に基づいてそれを他メディアに持ち込むことに多くを負っている、という聞き慣れた論も、まったくの間違いとは思いません。

しかし、何から何までゲームと同じようにしてしまえば、小説としてのアイデンティティは何なのか――と、これはその名に値する作家ならば問うて当然のことです。
であれば、ギャルゲー的な構図を取り込んだハーレムラブコメで、エンディングの分岐可能性までゲームをなぞる等ということはそうそうないか、あればあったでかえって特異性を浮き上がらせることになるのが当然、と思います。
つまり『電波女』の――いささか変化球的な形で使われた――マルチエンディングも、元々ハーレムラブコメを外れていたがゆえに出てきたものではないか、と。

そんなことを考えていると、近作『エウロパの底から』にあった以下のような記述も、少し違って見えてきます。

 初期作品における『都合のよさ』が鼻につくようになってしまっていた。人生が思い通りに行くはずもないことは進行形で経験済みで、ましてや他人もこちらの思惑通りに動いてくれるはずがない。そうした意識が強まって周囲を意識するようになってから、僕の作風は大きく変わっていったように思う。
 主人公は大した理由もなくあらゆる女の子の好意を獲得しないし、作品中でやたらに持て囃されることもない。唯一つのあるべき役割を持つ故の主人公として描くことに重点を置いた。ヒーローを描くか、現実的な主人公、つまり今を生きる僕ら一人一人を等身大として描くかという点で、後者を取ったのだ。
 しかしそれは間違いだったのかもしれない。僕が描くものは現実じゃない。
 ファンタジーに求めるものは、その都合のよさだったのだ。(……)
 (入間人間『エウロパの底から』、KADOKAWA、2014、pp.40-41)


みーくん等初期作品の主人公が「都合のよ」い世界に生き、「大した理由もなく」あらゆる女の子の好意を獲得していたのかどうかは、大いに疑問ですが、近作においてハーレム色が薄れ、それどころか主人公が過度に過酷な状況に追い込まれるケースが見られるのは事実。
私も作者に心境の変化でもあったかと邪推してはきました。
ただ、『安達としまむら』は思春期の繊細な感情を描いており、しまむらは男なら鈍感ハーレム系主人公でもおかしくなさそうですし(2巻でヤシロが妹とセットになったのでしまむらがモテモテという印象は大分薄れたものの)、『強くないままニューゲーム』の藤もいかにも男子高校生らしい少年で、ルートによってはヒロインとイチャイチャしていたりもします(逆にルートが違えば酷いものですが)。この変化をそう一概に言うことができるのか、とも思います。

とりあえず、『エウロパ』に関してもこれがどこまで作者の本音か、ということは脇に置いて、上の考察を振り返って、私は問います。
そのような「ファンタジー」と「現実」の二分法を差し当たって採用するとして、作者は「都合のよ」い「ファンタジー」を書こうとしたことはあれど、書き切ったことはそもそもあったのか――と。

人が転回したと思った時も、その人にとって一番大事な軸は、基本的に変わらないものなのです。

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コメント

ちょっと本題から逸れてしまう感ありますが

みーまーの『都合のよさ』は6巻の杉田の言うところのよさなのではないでしょうか。
思春期の憧れ、壊れているけどカンペキ、です。それならそこは腑に落ちるなぁと。

入間人間が肯定できなくなってしまったファンタジーって、好きな人が必ずに近い確率で好意を肯定的に受け取ってくれる、というようなのも含む気もします。
なのでわたしは、書ききったこともあるのではと思います。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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