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魔法少女は何故……――『マジカルデスゲーム 2 反証のアーギュメント』

今回取り上げるライトノベルはこちら。『マジカルデスゲーム』の2巻です。

マジカルデスゲーム(2) 反証のアーギュメント (ファンタジア文庫)マジカルデスゲーム(2) 反証のアーギュメント (ファンタジア文庫)
(2014/05/20)
うれま 庄司

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 (前巻の記事

1巻で13人の内5人が脱落していたことから予想された通り、この2巻にてひとまず完結を見ます。

本作のポイントは、「投票」で処刑を決め、しかも投票の棄権も許されないという人狼ゲームのシステムにより、全員が否応なく罪に手を染めてしまうことにあります。
一度手を染めてしまえば箍が外れるもので、しかも「魔女」を処刑するまで逃げられず、ゲームが続けば次は自分が処刑される番かも知れないと思えば、人はどんどん残酷になっていきます。
もう確信がなくても、「魔女である可能性が高い」というだけで処刑してしまうことに疑問を感じなくなり、暴走が生じ……

と、追い詰められていく魔法少女たちの心理描写に関しては文句無しに面白い作品だったかと思います。

問題は、謎解きの部分でしょう。
1巻の時点で、すでに投票以外でも物理的に殺される魔法少女が出現していました。まず、誰がどんな魔法を使って殺したのか――これが第一の謎。
加えて、全ての魔法少女には殺人を禁じる「魔法少女の誓い(アリス・オブリージュ)」が課せられているはずなのに、どうして殺人が可能だったのか――これが第二の謎と言ってもいいでしょう。
さらに、1日に一つルールを追加制定することができる「魔女狩りの宣誓(グリモワール)というシステムがあるのですが、1巻の最後で、魔法少女の一人フブキは「嘘を吐いてはならない」というルールを追加の上、全員に「あなたは魔女か」と尋ねました。にもかかわらず、全員が否認し、しかも「魔女狩りの宣誓」に反したことによる処罰は下されませんでした。一体どういうことか――これが第三の謎です。

第一の謎に関しては、バトル物的な能力の応用の範囲内で、理解はしやすいものです。まあ、本人も気付かれないよう能力を過少申告していたりするので、フェアに推理可能とまでは言い切れないかも知れませんが。

問題は、ルールに関する第二と第三の謎の解答です。
詳細なネタバレはしませんが、結局のところこれが、いわば「ルールの適用範囲外を認める」ことによる解決、という形になっていたのです。
「いかにしてルール違反にならないか」ではなく「そもそもルールに縛られない」では、文字通りに反則の感があります。
確かに、「神様の御使い」たるフィアには魔法少女の魔法が効かない、という描写は1巻にありましたが、そのことを差し引いても、です。
そもそも、フィアはゲームマスターに相当する存在です。ゲームマスターの立場とプレイヤーの立場の間に互換性はなかろう、と考えること自体が先入観であり盲点であると言えばそうですが、その盲点は、衝かれて「なるほど、その手があったか」と感心できる類とは言い難いものです。

ここに魔法ミステリの難しさがあります。
現実に存在しない「魔法」というものの、作中世界固有のルールに関しては、どんなに説明したつもりでも「何ができて、何ができないか」はなかなか十分に伝わらないものです。
「このルールとシステムの範囲内で、実はこんなことができました」というのは後出し気味でアンフェアに感じられることが多く、それゆえに魔法ミステリで傑作を生むのは難しいのです。

ついでに、主人公レナの魔法は「正直に話した時、それが本心であると相手に伝わる」というだけのもの。
しかし、いくら誠意があることを伝えても残酷なゲームのシステムとそこに生じる悪意をどうにかすることはできない……という絶望感はいいのですが、やはり主人公の能力たるもの、終盤で活用されることが期待されます。
が、2巻クライマックスを見るといささか微妙でした。

魔法の応用法としては、直接の殺し合いにおける使い方の方がよほど面白く感じられ、「騙し合いのゲーム」をコンセプトにしていた割には……という印象は残りました。

そしてさらに、主題の問題があります。
魔法少女たちはなぜこのようなデスゲームを強いられるのか――これに関して、一応このゲームの目的は説明されます。
しかし、ではなぜその目的のためにこのゲームをやるのか、ということに関しては、まさにこういう残酷なゲームの中で問われる資質がある、という説明はありましたが、いささか物足りなさは感じます。
そうした資質を問う方法は他にもあろう、と思ってしまいますから。
結局、このシステムそのものを定めた存在については「存在するはず」と言って将来の問題のようにしてエピローグとしてしまったのも、このゲームシステムの存在意義について棚上げにされた印象を与えます。

なぜ魔法少女たちは、こんな残酷な殺し合いを強いられるのか――これがたとえば『魔法少女育成計画』ならば、「魔法の国のお役所体質が外道の暴走を許した」という明確な理由付けがありました。
同じ問いを求めるべきではないのかも知れませんが、これは「そもそもなぜ魔法少女を題材にするのか」という問題に関わり、本作中でも問われていなかったことではないだけに、やはり気にしたくなります。

本作では、「人を殺してはならない」という魔法少女のルールが問題になります。
戦う魔法少女は、往々にして人外の敵と戦うがゆえに敵を殺すことは問題にならなかったり、はたまた敵を改心してうまく解決していたりすることもあります。
けれども、つねにそう上手く行くとは限りません。
本作の場合、特定の「魔法少女の敵」が存在するわけではなく、凶悪犯罪者を含めた人間を相手にしているのですから、なおさらです。

人を殺さない「愛と正義の魔法少女」は、本当に良いものなのか――
無論、こんな問いに究極の答えはないのかも知れません。ですから、そんな魔法少女のあり方を肯定する者と否定する者は交差しないまま終わるのもやむを得ないのでしょう。
しかし、この問いとデスゲームのシステムとの結び付きが存外弱く、そこに問いの掘り下げ不足を感じます。
エピローグは綺麗でしたが、生き残った彼女の将来にあまり期待する気になれないのも、そのせいではないでしょうか。
改めて、魔法少女という掘り尽くされた鉱脈にさらなる問いを重ねることの難しさを見た思いです。

繰り返しますが、デスゲームの中で追い詰められる少女たちの姿や魔法を使った戦いは面白い。
しかし、あえて「魔法少女」という題目を扱った以上、それだけでは足りないものを感じてしまうのも事実なのです。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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