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選択の(不)可能性の行き着く先に――『僕は友達が少ない 10』

今回取り上げるライトノベルはこちら。
通常は毎月25日発売のMF文庫Jが6月6日発売でしたが、『僕は友達が少ない』久々の新巻です。
同じMF文庫Jで発売日が通常と異なった前例として、『魔法戦争』(スズキヒサシ)の7巻が今年1月10日に発売されたケースがありましたが、これはアニメ放送に合わせたものだったはずです。今回はそれとも事情が異なるのですが……これに関連する話は後述。

僕は友達が少ない10 (MF文庫J)僕は友達が少ない10 (MF文庫J)
(2014/06/05)
平坂読

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 (前巻の記事

読み返してみると前巻の時にも同じことを書いているのですが、本作が1巻で作中でギャルゲーをやり、「ギャルゲー主人公の男友達」を問題にした時から、私は本作に「ハーレムラブコメはいかにして可能か?」というメタ的な問題意識を見てきました(「隠蔽されるホモソーシャル」参照)。「同性の友達くらいいて当然」というのは、まさしく普段注目されないハーレムの可能性の条件の一つでした。
と同時に、「友達とは何か?」というなかなかに真剣な問いに対する取り組みも。
本作は巻が進むにつれ、シリアスな要素が強まり、ハーレム物の定型や常識を打ち破るメタ展開もますます目立ってきましたが、それも私の読み筋からすれば一貫したテーマの延長線上と解釈しています。

もちろん、テーマと細部は別です。たとえプロットが存在していようと作品は生き物ですし、本作の場合は長期に渡り続いて思いがけない人気が出る中で、紆余曲折もあったでしょう。それでも、私はこれが単純な「路線変更」といった言い方に回収される事柄だとは考えていません。

しかしそうした私の読みは誰からも注目されず、悔しい思いをしっぱなし……というのは半分冗談ですが。
ただ衆目を集めようと思ったらこんなスタイルでブログはやりません。

さて、そもそもハーレムラブコメがギャルゲー的想像力の影響下に成立していることは少なからず言われていることですが、やはりメディアの違いを無視して何から何まで同じようにすれば良いわけではありません。
中でも問題はやはり、選択の問題です。
ギャルゲーでは、複数の攻略ヒロインの中から一つのルートを選べるのが一般的です。ゲームならば、複数の選択肢が平等に並置されていて、(難易度の差はあれど)プレイヤーの意志次第で好きに選べるのです。
しかし、選択や決断とはそもそも、そういうものでしょうか。

実際、主人公の小鷹がハーレム状況を甘受するのではなくなった前巻から、「誰を選ぶのか」という別の次元で彼が行動を迫られていることが、ますます明瞭になってきたように思われます。
かくしてこの10巻は、「選択の(不)可能性」についての問いを突き進む内容となりました。
(この「(不)可能性」という表現は、可能と不可能の境を問うことを意味しているのであって、「可能か不可能か」という二者択一に対する何らかの答えを含意するわけではありません)

そろそろ10巻の内容に入りましょう。前巻で夜空の事情を知った小鷹、「俺に夜空を助けさせてください」と宣言していました。
ひとまず、夜空と生徒会長・日高日向の和睦を図って、隣人部と生徒会が合同で親睦のゲームを開催することになります。
主催は前巻でその本性(レズビアンの変態)を見せ付けた生徒会会計・神宮司書記(じんぐうじ かりん)
行うのは人狼ゲーム。親睦のために互いを疑い合うゲームを提唱する辺り、彼女も大概残念というか奇人です。

この人狼ゲームの章が10巻の中では抜きん出て長く、ゲームの展開を詳細に描いていて、フォーマットとしては本作恒例の皆で遊んでいる日常シーンなのですが、今までに比べると随分と大人しめです。
(旅先であって大掛かりなゲームなど持参していないという明瞭な理由もあり)実在のゲームなので、「ゲームの仕様がおかしい」というギャグがないのもありますが、やはり人間関係の変化――とりわけ、夜空が星奈と正面から喧嘩(ゲーム中での足の引っ張り合い)しなくなったのが大きいでしょう。
しかも生徒会メンバーが加わっての対決要素があるゲームにより、仲の良さと悪さが本当に絶妙なレベルで共存する隣人部のコンビネーションを改めて印象付けます。

そして学園に戻ると、生徒会メンバーを手伝う機会が増えたことで、夜空を始めとする隣人部の面々にも大きな転機が訪れます。
変わろうとして、実際に変わっていく面々を見て、小鷹は「自分も変わらねば」と思うのですが……

そんな状況の変化が終盤の「夜空復活」に繋がる流れは流石の手腕でした。

夜空に関しては、いじめられている者を放っておけず、友達を大切にする正義感の強い面と、卑屈に「リア充」を僻み、暴言や暴挙を連発する面とが、決して一方が他方に変わってしまったのではなく、ましてや一方が本物で他方が偽物なのでもなく、一人の人物の内に同時に、同じ根をもって形成され、共存し続けていること――それが前巻ではっきりと示されたことでした。
この背景が生きてきます。
そんな彼女が立ち上がるのは、どんな時なのか――そこには今まで描かれてきたことが結実しています。

隣人部メンバーは総じて容姿も能力もハイスペックで(小鷹も面倒見が良く家事が得意で勉学もまずまず、ついでに喧嘩も強いと大したものです)、きっかけがあればそれを皆に認められて人気者になることに何の不思議もありませんでした。
けれども、人が決起する理由として、真に重要なのは不特定多数からの評価でしょうか。
もちろん「地位が人を作る」という面は大いにありますが、その場合も「地位」の実質は必ずしも不特定多数の支持ばかりではありません。顔の見える特定の人間との関係は決して無視できないものがあるでしょう。
本作のテーマから言えば――言うまでもありますまい。

他方で、小鷹は空回り続きです。
「夜空を救う」と言っておいて、彼は大したことをできていません。親睦のゲーム会の提唱にはそれなりの意義がありましたが、それ以降は……
変わろうとするのも、変わらねばという焦燥感と意気込みばかりが目立ち、結局変われないことを強調する結果になりました。

もっとも、自分を変えて得たものをふいにしてでも真に大切にしたいもののために立つというのも主題に関わる重要な部分ですかし、終盤の山場で、かつてヒロインたちの好意を受け流すのに使っていた「え、なんだって?」を別の使い方をしてみせたのはカッコいいところでしたが、何でも自己犠牲で解決した気になるのも駄目な主人公の(あるいは若さゆえの自分酔いの)傾向です。
火輪は最初から鋭く指摘していました。

「……多少暑苦しいほうが醒めているよりはずっとマシだけれど、『何かをしている自分』に酔ってしまわないよう注意することね」
 (平坂読『僕は友達が少ない 10』、KADOKAWA、2014、p.25)


8巻の最後の章タイトルに「羽瀬川小鷹が主人公になるとき」等とありましたが、皮肉にもそれ以降、「物事は主人公を中心に回ってはくれない」ことを思い知らされる結果になっています。

しかし、それも当然かも知れません。
自ら動くということは、それだけ「ままならないもの」にぶつかるということです。
これは「現実はそうだが、フィクションなら違う」というだけの話ではありません。作品そのものが作者にとってすらままならなさを含むものであって、今まで動かなかった主人公を動かせば、「物語の圧力」による抵抗を受けることは十分に考えられることなのです。本作はそれを自覚的に使っています。

そして、ままならないのは周辺状況だけでなく、自分の心もです。

今まで積極的に異性にアプローチしない男がモテていたとしたら、それは「消極的であること」込みでモテていたのであって、その男が積極的にアプローチし始めるとかえって女性は引いていく、ということはあり得ます。これは周辺状況の方からの、「ゲームのように並置されたヒロインを選ぶことができるのか」という一つの問いかけです。
しかしさらに、内面の方から問うこともできます。誰でも無差別に好きになれる、はずがありますまい。
そして、フィクションの主人公といえど、本来、内面が無色透明でも読者が自在に好きなヒロインへの思い入れを投影できるような存在ではないはずです。
それどころか主人公自身にとってすら、自分の心はしばしば自分にも分からず、抵抗を見せ、そうして葛藤を生むのです。

内と外からいかに多くの圧力が押し寄せ、ほとんど選択の余地なく(あるいは他の選択肢があったとしてもその時は選べず)押し流される事態を描く――これはやはり、10巻に渡り日常風景の反復の中に変化を積み重ねてきた成果であって、描かれてきた過去の重みが拘束力となってのしかかるのです。
そうして思いもかけぬ展開を見せて引きとなり、次巻でエピローグとのこと。

どこに辿り着くのか、楽しみです。

 ―――

さて、今巻は表紙と口絵こそ書き下ろしでしたが、本文イラストがありませんでした。
今やキャラクターのイメージが確立しているのですんなり読めてしまうのですが……
前巻でイラストレーターのブリキ氏が病気で倒れていたことが発覚、しかし回復したようで良かった……と思っていたらふたたび長らく新巻を目にせず、やっと出たらこの結果です。
あとがきの日付が「2014年2月」になっているのもイラストレーターの都合で遅れたという事情を容易に推察させますが……

さらによく見ると、口絵は全て一行に収まる大まかな構想を聞いただけで描けそうなイメージ映像です。
ブリキ氏が本文との整合性よりもサービスを優先し、内容が作中の場面というよりイメージ映像になるのは今に始まったことではないのであまり気にしませんでしたが、いつ描いたのか……等と邪推し始めると、なおさら最近は仕事が進んでいない状況なのではと思えてきます。

イラストレーター急病で発売が遅れた挙げ句、イラスト無しでの発売を決定するというところまではまだ理解できます。
問題は、それがイレギュラーな発売日、しかも告知が発売日1ヶ月前を過ぎて(MF文庫J公式ブログの5月12日付記事)という緊急発売だったことです。
「今」出さねばならぬ喫緊の理由は思い当たらないのですが……イラストを諦めると決めたら急げとでもいうのでしょうか。

ただひたすらブリキ氏の容態が心配です。
何でも情報公開すれば良いというものではありませんが、ただでさえこのレーベルは作家やイラストレーターの急病が多い感があるので、実態を明らかにする必要が感じられます。

ちなみに同じイラストレーターの『トカゲの王』も、作者・入間人間氏のQ&A(3月25日付)で新巻の発売は「様々な事情があって必ずこの月だ、とお約束することはできない」旨を述べていました。これも(「様々」とは言うものの)第一にイラストレーターの事情としか思えません。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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