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ディストピアの支配者としての“魔法少女”――『僕らは魔法少女の中』

今回取り上げるライトノベルはこちらです。
先月発売の作品ですが、『空ろの箱と零のマリア』、『Fランクの暴君』等の作品がある御影瑛路氏の新作です。

僕らは魔法少女の中 ―in a magic girl's garden― (電撃文庫)僕らは魔法少女の中 ―in a magic girl's garden― (電撃文庫)
(2014/05/10)
御影 瑛路

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さて、本作の舞台は10年前に「世界の終焉(ヒューマンイールド)と呼ばれる大異変があり、多くの生物が絶滅して、人口も100分の1にまで減少しています。
さらに、人間の魂を喰らう「魔法少女」が出現し、人間は魔法少女に飼育される状況にあります。

主人公・水無月岳哉(みずづき たけや)のいる空殻(そらから)学園も、魔法少女ホワイトノワゼットの支配下にあり、10代の少年少女だけが学園の敷地内に集められて、意味の見えない武器を使った戦闘訓練を強制される日々。そして、一週間に一度、魔法少女に喰われる「生贄」が選び出される決まりです。皆この学園を「空殻ファーム」と呼んでいます。
しかし、自らの慕い恋い焦がれる女性・伊集院麗歌(いじゅういん れいか)が生贄に選ばれたのをきっかけに、岳哉はホワイロノワゼットへの反逆を決意します。

魔法少女は不死身で、魔法以外では殺せません。
しかし、物理的な力で拘束は可能。加えて魂を喰らうということは、飢えさせることはできるのではないか――岳哉はそう考えます。
さらに、ホワイトノワゼットが普段は変身を解いて(この世界の魔法少女も、元は人間の少女から変身する存在です。なお、変身前でも不死ではありますが、一部を除いて魔法は使えません)岳哉のいる第十八クラスに潜んでいることを知った彼は、クラスの全員を拘束することを決意します。

大切な人を助けたいという私情を一つのきっかけとしながら、クラスメイトを拘束し処刑するという非常な決断を下さねばならない。そんな中でクラスメイトの中から魔法少女を探し出す命懸けのゲーム……かと思いきや、中盤で状況は一変し、魔法少女によって学園に囚われているという事態の意味そのものが大きく変わることになります。

本作は二章構成で(もちろん、これは完結したストーリーの章分けとしては少なすぎるのであって、続刊を前提した作りです)、第一章のタイトルは「檻の中の檻の中の檻」となっています。
最初二つの「檻」は、ホワイトノワゼットの展開する「閉鎖的形象空間(21コンフェクショナリー)が二重構造になっているという設定を差しているのかも知れませんが、むしろ人間が魔法少女の飼育下にあるこの全世界が一番外側の「檻」と取れるように思われます。
その中のホワイトノワゼットの支配する空殻ファーム、さらにその中で岳哉がクラスメイトを監禁する教室、ということで三重の檻です。
問題は、この三重の「檻」相互の関係です。どの檻とどの檻が敵対し、どれが仲間なのか――そこを揺るがすのが一つの大きな見せ場です。

しかしそれが判明すると、後半は普通のバトル物になっている感もあり。
上位の魔法少女の力は圧倒的で、今のところ絶望的な戦いであり、まず皆が戦おうという希望を持つまでの話という感が強いのですが、それでもやはりまともなバトル物です。

それから、本作は作者が趣味の音楽活動で作った楽曲が先で、その楽曲にあるストーリーのプロットを小説化したものとのことですが、そうした事情の故か否か、どうも構成のバランスに疑問を感じます。
冒頭に第十八クラス全員の名簿があるのですが、人物像が見えないまま死んでいくキャラが多く、あまり役に立っているとは思えません。中盤の転回を行かすためのミスリードにしても力の入れどころに疑問と言いますか……
岳哉の恩人である麗歌にしても、彼女を慕う人々の「ファミリー」は大きな影響力を持つ組織だとのことですが、それにしては麗歌のことは岳哉の回想で少し描かれるくらいで、なぜそんなに凄いのかよく分かりません。
岳哉を救った麗歌の言葉と行動が敵の否定される言辞と重ね合わされる場面もあって、その辺の捉え方の多角性をテーマにするつもりなのかも知れませんが、それにしても麗歌の社会的影響力に関する不可解さは変わりません。
さらに、「人類最強」と言われる生徒会長の鬼崎暦(おにざき れき)。彼の形容しがたい壮絶な過去は確かに、単独の作品になり得るくらいの強烈なインパクトがありましたが、それが挿話的に使われてあっさり終わるのも勿体なさ、あるいはバランスの悪さを感じます。


しかし、最大の問題はやはり、「なぜ“魔法少女”なのか」ということでしょう。
本作の魔法少女は、要するに人間を家畜としか見なさなく、ディストピア世界を支配する怪物です。たとえば、これが特撮ヒーロー物に出てくるような怪人だったとしても、ストーリー的には何の不都合もなさそうです。

『魔法少女オブ・ジ・エンド』でもそうですが、敵の怪物に少女の外見と「魔法少女」という名前を与えたから、何だというのでしょうか。
『オブ・ジ・エンド』に比べると本作の「魔法少女」は美少女の外見ではありますし、人間が変身するものであり、人格や知性をもっていて言葉を喋りますから、その点でまだ本来の魔法少女に近いとはいうものの、日本のアニメ固有の存在としての「魔法少女」に繋がる文脈が希薄だという点では大同小異です。
『魔法少女育成計画』のように、二次元の理想化された存在としての魔法少女が「不死」という設定に繋がっているとかんあらばまだ話は分かりますが、そういう雰囲気もあまり感じられません。

「いかなる問題意識で魔法少女を描くのか」――この問いもいい加減飽きるくらい言ってきたことですが、これがアルファにしてオメガなので、こだわらせていただきましょう。

たとえば、ライトノベルではほとんどの作品にたくさんの美少女が登場します。それらは――話がコメディだろうがホラーだろうがミステリだろうが関係なく――「美少女もの」という「ジャンル」なのでしょうか。
そうとも言えますし、さらにそれは、美少女という装いがいか重要か、という点でライトノベルの構成について多くのことを物語っているのかも知れません。
では逆に、ライトノベルにしては男性キャラクターの比率が高ければ「男もの」、とりわけ中高年男性が多ければ「おっさんもの」とでも言うのでしょうか。
言ってはいけないという法はありません。しかし、それが作品の内容について物語ることは限りなく零に等しいでしょう。そのように無益な括りを私は「ジャンル」とは呼びたくありません。

その意味で、どんな物語のどんなポジションであろうと、少女の姿で特殊能力を使い魔法少女を使う存在が出てきたら「魔法少女もの」である、等とは言えないはずです。
であれば、一体「魔法少女」を扱う意味は何なのでしょうか。しかももちろんこれは、「中高年男性」のように出てきて不思議のない存在ではありません。

「この作品は流行の○○です」と説明して、それが作品の内容についてどの程度のことを物語っているのか――これ一つの試金石です。


本作のもとになったという楽曲はこちらのようです↓




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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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