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希望は現実の敵か?

前回の『仮面ライダー鎧武』では、ついに光実が正体を明かし、紘汰の前で斬月に変身して襲い掛かってきました。
彼の曰く、「希望ってのは悪い病気みたいなものだ。甘いことばかり言って現実から目を背けるようになる」。だからこそ、感染源である紘汰を消さなければならない、と。
ちなみに貴虎についても「死んだよ。その病気のせいでね」と言うのですが、殺そうとした側の張本人が何を言うのやら……

しかし、生きていた貴虎本人はロシュオによって地球に帰されたところで、そんな紘汰と光実のやりとりも一部始終見ており……今回の冒頭で、姿を見せ割って入りました。
今回、貴虎は以前使っていた旧型の戦極ドライバーでふたたび斬月に変身(途中から貴虎が使うのは次世代型の「ゲネシスドライバー」に変わっており、正確にはそれで変身したのは「真・斬月」です。光実が奪ったのもこちらのゲネシスドライバーの方)、ついに兄弟対決となります。
性能的には光実の変身する真・斬月の方が上のはずですが、開発者サイドの人間としてその性能を知り尽くしてきた練度の差か、戦いが貴虎が優位に進めます。しかし、最後で兄弟の情により手が鈍ったところで反撃を食らい、貴虎は海に沈みました。
「崖から落下」に続き「水没」も生存フラグというのが定番ですが、さすがにこの場合助ける存在はいなさそうなので、厳しいでしょうか。

さてこの話、光実の言う枠組みに従えば、「希望」と「シビアな現実」の対立ということになります。
しかし、この対立図式にはもちろん前提があって、それは「現実は過酷である」ということです。
ですが、「希望」も「過酷」もどちらも構成されたものであって、その意味でいずれもわれわれの理念に貼られたレッテルである――ということはないと、なぜ言えるのでしょうか。
確かに、『鎧武』世界で人類がおかれた状況の厳しさはいかなる視点からしても確かなように思われます。ロシュオが消し去った米軍のミサイルはアメリカ各地に転送されて壊滅的な被害を出した上、前回は「いたずらに苦しませるのも忍びない。時計の針を早めてやるか」とロシュオが地球全土にクラックを開いてヘルヘイムの植物を出現させた結果、世界中で軍隊が出動して対ヘルヘイムにおおわらわ、一気に事態はのっぴきならないところまで来ています。

しかし、だからといってそうした「現実」を見据えた上での「希望」が全て否定されることはただちには導かれません。
さらに反対方向から考えてみるならば、光実はなぜ「自分の選んだやり方は現実を見て、それに適合したやり方だ」と信じられるのでしょうか。それこそ都合のいい願望である可能性はないのでしょうか。
彼がフェムシンムと協力しているのは、紘汰が「オーバーロードと話し合って協力を得る」とか言っていたのと、どう違うのでしょうか。「犠牲を出す過酷な道である」ことから「それが良策である」ことは導かれません。

そもそも、彼はいつから皆して「知恵の実」を求めることを当たり前だと思うようになったのでしょうか(「私は王になりたいわけじゃない。王になる人を見守りたいの」という湊耀子に対しては「バカな」と呆れていました)。元々、手段を選ばず知恵の実を求めるのは凌馬やシドの欲望でした。
彼は誰よりもよく現実を見て、上手く回っていると思っていますが、ある面では「現実とはこうあるべきはず」という思い込み、あるいは願望によってひどく視野を狭められているように思われます。

その意味で、紘汰の読みはおそらく核心を衝いています。
「あいつはずっと自分たちを騙していた」と憤る皆に対して、紘汰は言います――「一番苦しんでるのはあいつ〔光実〕自身のはずだ。あいつは、自分は本当は何が望みか分かってないんだ。自分がついたウソにがんじがらめにされて、追い込まれてるだけなんだ」
ただし、だから「話せば分かる」という理屈にはならないわけで、その区別をよく理解していないところが紘汰の「甘い」所以なのでしょうが……

さて問題は、光実にはいかなる末路、いかなる挫折が相応しいのか、ということです。
彼はフェムシンムのレデュエと協力して、自分の選んだ人間を生き残らせることを約束させて、それをノアの方舟に喩えるなどすっかり神様気取りです。
こういう人間がえてしてあまり良い末路を迎えないのは当然のことです。

光実自身、別にレデュエを信用しているわけではありません。レデュエは同胞の一人を光実の監視役に付け、光実は内心で「分かりやすいお目付け役とは、甘く見られたものだな」等と思っていました。
しかし、ではなぜレデュエが約束を守ると信じられるのか、どうも定かではありません。レデュエに強要する手立てがあるとも思えないのですが……この辺も彼の言う「現実」が実は願望の謂いではないかと思えてしまう理由です。

ただ、最後でレデュエに裏切られたとしても、その場合に光実が思うのは「もっと上手く立ち回るべきだった」であって、「上手く立ち回ることばかりを追い求めた結果、自分が何を見失っていたか」は考えない可能性の方が高いのではないでしょうか。

他方で、甘い「希望」を求めて諦めない紘汰が光実のシビアな見通しに勝利する――これは普通のヒーロー物なら定番の展開ですが、(シナリオライター虚淵玄氏の作風などという問題は全く抜きにして)それだけではやはり、「希望」と「現実」という対立軸そのものの甘さを突き崩すには至らないでしょう。

ここにどんな決着をつけるか、注目です。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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