オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
乾いた思春期の不安――『砂漠のボーイズライフ』
折角だからたっぷり食ってやろうと思った結果、想像以上に消費してしまいました。
こうやって使うための券なので損はしていませんが、一気に使ってしまった分それほど得をしていない気もしないではありません。普通の夕食を10日分賄えるのとどちらが良かったのか……と。
いや、美味いのは確かでしたが。鱧(ハモ)なので、スーパーで買うとどうも骨っぽくてあまり好きになれなかったのですが、さすがに高級寿司店のものは違いました。
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今回取り上げる小説はこちら。入間人間氏のまたしても新作です。
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主人公の菊原は、高校受験で第一志望校に落ちて、本命ではなかった私立の男子校に進学することになりました。
そこで彼は、長髪をヤシの木のように頭上に纏め上げた同級生・相地(あいち)と出会います。
この髪型、髪の毛は襟や耳にかからないこと、と規定している校則には引っ掛からないというのですが……
この相地という男、破天荒なのは見た目だけではありません。
髪型のことを教師に言われれば、校則には反していないと言い張って教師相手に大立ち回り。さらには学校への贈呈品の楽器の音色を聴いてみたいと言って盗み出そうとしたりします。
そして菊原は、相地に強引に誘われ、不本意ながら騒動に巻き込まれることになります。
友達(柔道をしにやって来たモンゴル人留学生、クトゥグ)の寮の部屋を溜まり場にしていたり、他校の女子と会えると聞いて演劇部に入部したり、ちょっと折り合いの悪い奴と顔を合わせる機会は多くて微妙なものがあったり……いかにも男子高校生の日々という感じです。
しかし、破天荒で強引な性格のヒロインに主人公が振り回される話なら、ライトノベルには珍しくありませんが、男の悪友というのは……そんな女っ気のなさ=潤いのなさがタイトルにもある「砂漠」に喩えられているわけです。
ただ、そんな本作にもヒロインと呼べる女性キャラクターはちゃんと登場します。
評判通りに演劇部の活動絡みで――相地の強引な誘いの成果もあって――接触することになった他校の女子・中口さんです。
明るくて親しみやすいけれど、いきなり「男子校ってホモでいっぱいなの?」(p.132)と訊いてくるような、ちょっとおかしくて腐女子っぽい彼女。
嫌がられているわけではないものの、改まると何を離していいのか分からないこともしばしば、連絡先を交換しようとしても多分断られそう……という微妙な距離感も作者ならではの迫真性に満ちたものです。
が――そもそも問題は、「女がいない」ことなのかどうか。
そもそも、この学校がどんなところかという内容以前に、受験に失敗したという経緯がありました。
志望校に落ちたことを聞いて泣く両親を見て、あぁ僕はここで格好をつけないといけないんだなと思った。だから僕は落ち込む様子を一切見せないよう務めて、残った春休みを普段通りに振る舞って過ごした。いつまでも肌寒く感じられたのは、そういう年だからだろうか。
(入間人間『砂漠のボーイズライフ』、KADOKAWA、2014、p.6)
これが本作の導入部ですが、ここでのどこか鬱屈した思いが、彼の根底にあり続けます。
もちろん、受験の失敗なんて、歳を取れば大したことでなかったと気付きうるようなことかも知れませんが、確かに一時期は、失敗を引き摺ってこのままずっと駄目なんじゃないか、と思うこともあるものです。
けれどもそれは、代わりの成功があれば埋め合わせられるようなものでしょうか。傍から見れば「些細なこと」を引き摺るという事実そのものは、客観的に見てことが些細であるか大事であるかが問題なのではないことを、物語ってはいないでしょうか。
つまるところ、女という潤いがないという口実の下に流れているのは、何が足りないとか何があれば解決するとかいう次元を超えた、「将来への漠然とした不安」といったものなのです。
ここに本作の描く、思春期の繊細な機微があります(傍から見れば些細な不安で死ぬ大人も少なくありませんし、これが思春期限定の事柄であって大人になれば解決する、とまで断言はできませんが)。
僕が本当に足を踏み込んだ砂漠は、自身が生み出す砂で埋め尽くされていた。
その砂はいくら手の中に拾い集めても、隙間からこぼれ落ちる。どれだけ注意しても、消えていく。気づくと僕の手は穴だらけになって、砂を拾うことすらできなくなっていて。
(同書、p.234)
これは、どこに行こうと自らの生み出した砂漠の中、という状況を見事に描写しています。
この文言が出てくる文脈を読めば、菊原がそんな自分の状況を自覚するカタルシスも味わうことができるでしょう。
ちなみに、私も一人の男子校出身者として思うのですが、人が存外、男子校に在籍している内は女がいないことを嘆きません(私の場合中高一貫だったので、早い内から慣れていたというのもあるかも知れませんが)。その代わり卒業した後、女に免疫のない自分を後悔する事例は多いです。
まあ本作の主人公の場合、この男子校に来たことが不本意だったのでまた少し事情の違う面はありますが、本当に気にしているのは女云々ではない、ということも含めて、まことに実感の湧く場面ばかりです。
私の場合、問題を起こして停学ということこそありませんでしたが、土曜日の放課後などに校内に女を連れ込んでいる奴を見るのも、部活動で他校の女子と関わるのも、経験がありますし……
さて、同作者は来月には『安達としまむら』の3巻も刊行予定です。
こちらは男子校、次は――舞台は一応共学の高校であるものの――ほとんど男の登場しない女子高生ばかりの百合物と対照的ですけれど、思春期の繊細な心情の描き具合には確かに共通するものがあります。
ライトノベルでは珍しく(メディアワークス文庫がライトノベルかどうかはさておいて)、主人公たちが親の庇護下にあることを強調する点も共通しています。
僕らの大人に対する弱みは、ひとえに親の庇護下にある、に尽きる。
それは僕たちの剥き出しの急所であり、教師はいざとなればその部分を徹底して攻めることができるから、強気を保っていられるのだ。もしその急所が存在しないのなら、蛮勇の責任はすべて生徒本人に注がれる。教師は真っ向から、そいつ自身をし相手にしなければいけないのだ。
生意気盛りの高校生を正面から相手する元気が、この担任にあるとは思いがたい。
(同書、p.26)
一方でそんな「親」という縛りなど歯牙にもかけない人間のバイタリティを前にして振り回されることがある一方で、「所詮親の庇護下でできることしかできない」自分を自覚して、どこか冷めていたりもする――そんなところまで含めて、思春期らしさなのでしょう。
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